とんとんとん…・
軽やかな包丁捌きを乙女二人はほぅっっと感心して見ている。
調理人(になっている)剣心は夕食の支度を始めたのだが、お手伝いをする!と言い張る少女と、少女とすっかり打ち解けた薫が手元を見つめているのだ。
「すごいですねー。こんな上手にお料理する男の人、見た事ないです。」
少女は心底感心している。
「でしょ、でしょ、剣心ってすごいのよー。私も初めて彼のご飯食べたとき、感動したもの」
薫も普段は子供もいて、落ち着きが出てきていたのであるが、歳の近い少女のおかげか随分と楽しそうにはしゃいでいる。
「私、どうしても桂剥きが苦手で。すごく分厚くなっちゃうんですよね。」
「分かる分かる!ツマのつもりがお味噌汁の具みたいになっちゃうのよー」
『薫―!!ちょっと手伝って。』
女将がひょこっと顔を出し、手招きしている。
「あ、はーい!行きます。じゃあ、ちょっと行って来るわね。」
「あぁ。」
「はい。」
少女と二人きりになった途端、沈黙が流れた。なにか手伝ってもらおうにも、今のところ大した仕事はない。どうしたものかと考え
ていると、少女が遠慮がちに話しかけてきた。
「あの・・素敵な奥様ですね。」
お世辞ではなく、本当にそう思うという口調が少女の口から出てきた。
「そうでござろう?拙者には勿体無いくらいの人なのでござる」
少女は少しびっくりした表情をしたが
「いえ、ご主人とお二人とてもお似合いで。羨ましいです」
「…あの少年は恋人でござろう?」
唐突に自分のことを聞かれて少女は顔を真っ赤にして顔を振った。
「ちっ違うんです。…彼は…・・幼馴染なんです。ただの…」
そう言う彼女の表情は悲しげであった。
「そうでござるか。では想い人でござるか?」
はっと少女は顔をあげた。
「そう、見えます?」
「ただの・・と言った顔がとても悲しそうでござったから。」
「今の関係壊したくなくて。一歩も進めないままなんです。きっと彼にとって私は女の子じゃあないのかなって思ってしまうんです。」
「相手の気持が分からなくて当たり前でござるよ」
剣心は優しく微笑み、少女の頭を撫でた。
「す、すいません。いきなりこんな話ししちゃって。…誰かに聞いて欲しかったのかな。」
「構わないでござるよ。拙者も伊達に歳はとってないゆえ・・」
「え?おいくつなんですか?」
好奇心に満ちた目で問われてしまい、剣心は思わず正直に答えてしまった。
「これでも三十路でござる」
「え?、みそ・・えぇ?30越えてるんですか??」
信じられない〜あ、でも笑ってごめんなさい、と笑う彼女が可愛らしく、剣心は一緒になって笑った。
励ますつもりで、ぽんぽん、と彼女の頭を撫でたその時。
「あかりっ!!」
入り口を振り向くと、少年が立っていた。
随分と変わった髪形でござるな。
それが剣心の第一印象であった。
少年の前髪だけ明るい金の色をしている。
だが目は黒く、前髪以外は黒い。
なによりも理知的な瞳が印象的であった。
「なにしてんだよ?」
怒った顔で二人を見ている。感情を隠そうとしない少年だった。
気に聡い剣心はすぐに少年の本音が見えたが、少女には分からないようであった。
本当をいうと気配を感じたので、わざと彼女に触れたのだが。
これは、女将の言う通り。
はがゆいでござるな・・
左之も弥彦もこんな想いで拙者達を見ていたのでござろうか、と思いつつ…
「目が覚めたでござるか?」
話しかけたが、少年はあかり と呼ばれる少女しか見ていない。
「ヒカル、大丈夫?あのね、この人が私達を助けてくれたのよ。」
先程の会話を聞かれていなかったか、内心穏やかではないのであろう。
びくびくした態度になってしまい、それがまた少年のカンに触ったらしい。
「なにしてんだよ、って聞いてんだよ。」
声色が下がった
彼が何故怒っているのか分からなくて。
ただ、怒っていることだけははっきりと分かって。
少女はますます怯えたように応えた。
「なにって・・お手伝いしてるん。。だけど?」
少年がこれ以上口を開けば、益々険悪な雰囲気になりそうだった。
「あかり殿?ここはもういいでござるよ。手伝ってくれてありがとう。しばらく部屋でゆっくりするといい。」
剣心は少年がなにか言いたげだったが。
あえて気付かない振りをして話しかけた。
「怪我はないでござるか?二人拙者にぶつかってきた時はびっくりしたでござるよ」
努めて明るく声をかけた。
「ヒカルっ。この人が私達を助けてくれたのよ。」
なんとなく状況が掴めたのか、ばつが悪そうに少年は一旦視線を外したがすぐに真正面から剣心を見据えた。
(ほう・・)
少年の瞳には目の前の少女を怪しげな男から守ろうとする意思が見えた。
真っ直ぐで、濁りの無い・・そう、愛する妻の一番門下生のようだ。
剣心はいつもの穏やかな表情で少年を見つめた。
しばらくすると、探るような雰囲気が消え、
「助けて頂いて・・ありがとうございました。」
少年の口から、お礼の言葉が出た。
(どうやら、信用してもらえたようでござる)
剣心は二人を交互に見やると、にっこり微笑み
「さぁ、あともう少しで夕餉でござる。しばらく部屋でゆっくりすると良い」
少年の後に少女が続き、二人は厨房を後にした。
「さて、あとは・・と。」
次に取りかかろうとした剣心は
「薫殿?そこにいるのは分かっているでござるよ」
「ふふっ。やっぱりお見通しね。」
薫がひょこりと顔を出した。
その顔を見て剣心は一瞬目を丸くし、手招きをして薫を呼び寄せた。
綺麗に絞った布巾で、薫の頬を優しくこする。
「見事でござるな・・・」
苦笑しつつも愛しい妻の頬の煤を拭き取った。
「女将さんとね、ちょっと納戸の整理をしてたの。人手があるときにって。」
「相変わらずでござるな。」
祝言を挙げ、子を得た今も変わらない愛しい人。
薫を想う気持は泉から湧き出る水のように尽きる事は無い。
普段は幼子に取られがちな愛しい妻と、こうやって二人きりでゆっくり居られるのは久しぶりだった。
そんな剣心の心の中を読んだのか。
「ふふっ。久しぶりね。こうして2人だけで過ごすのも。ちょっと女将さんに感謝かしら。」
「そうでござるなぁ。」
自然に薫を己の腕の中に引き寄せ、両腕で包み込むように抱きしめる。
薫の首元に顔をうずめると薫はくすぐったそうに身じろぎをした。
最初の頃は引き寄せただけでも顔を真っ赤にして、それでも大人しく自分の側に居てくれたことがどんなに嬉しかっただろうか。
今は自然に寄り添い、お互いの存在を感じるだけで幸せになれる。
やがて薫の艶やかな唇に、己のそれを近づけようとした・・
「やだっ!!」
と声が聞こえ、バタバタと足音が聞こえた。
一瞬薫に拒否されたのかと思い、剣心は固まってしまい薫を凝視する。
「私じゃないわよ?」
「「と、いうことは・・・」」
二人同時に厨房の入り口を見た途端
先程の少女が飛び込んできた。
慌てて密着していた体を離すと同時に、少女は薫に飛びついた。
「か、薫さんっ・・うっ・・・ひっく・・」
「ど、どうしたの?」
体にしがみつくようにして泣きつづける少女に、薫は懸命に宥めるが一向に落ち着く気配が無い。
「ちょっと場所を変えようか。ね、こっち来て。」
薫は少女を宥めすかしながら、剣心に目配せをすると少女を連れて出ていった。
ああいう状態の彼女には同姓である薫が適任であろう。
やがて剣心も厨房を後にした。
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