「失礼するでござるよ」

声をかけたと同時に襖を引くと、窓に頬杖をついている少年が目に入った。

剣心が入ってきても振り向きもしない。



「・・・・何があったか知らないでござるが、女性を泣かすのは無粋でござるな」

「・・・・・」



少年は応えない。



「痕になっていたでござるよ」

この言葉は効果があったのか、少年は真っ赤な顔をして振り向いた。

「そんなきつくはしてねぇっ」



少女が目に飛び込んできた時に、剣心は少女の首もとの痣を見逃さなかった。

自分も妻につけてしまって何度も怒られた吸い痕。



少女はこの少年が好きだと言った。

だが拒絶したと言う事は、この少年の想いはあの少女に伝わっていないということになる。



剣心は優しげに微笑むと、

「順番を間違えてはいかんでござるよ」



観念したのか。

少年は前髪をくしゃっと手で掴むと、下を向いて呟いた。

「な、んでっ、あいつはああも無防備なんだよ・・・」



どうにも我慢が出来なかったのであろう。

剣心がぽつりぽつりと誘導をすると、少年は言いにくそうにしながらも事の起こりを話し始めた。





幼馴染として過ごし、高校生になってから次第に疎遠になっていった。

しかし夏祭りを一緒に行ってから、自分の気持に気付いたが。

今の関係が崩れる事を恐れて、1歩が踏み出せなかった。

そうこうしているうちに、やたらと彼女にちょっかい出してくる男達が現れた。

彼女は友達だといって、まったく警戒していない。

さすがに彼女の姉も心配になったらしく、今回のハイキングに自分をボディーガードとして送り込んだ。

自分は前日まで仕事で、疲れていたが引き受ける事に躊躇いは無かった。



だが、下心ありありの男共に何の疑いも見せない彼女に。

はっきり伝えようとしたが、受け入れるどころか彼らをかばう始末。

お人よしにも程がある。



先程もそのことで言い合いになり、かっとなり・・・



「押し倒してしまった、ということでござるか。」

「・・・・・」



「俺の部屋に来てさ、平気でベッドに寝転んだり。露出の多い服を着て来たり。最近俺も限界に来てたせいもある・・」



はぁ、とため息をついて

「言い訳にしか、なんねーよな・・」



「その苦しみは分からないでもないでござるな。拙者も妻には随分振りまわされた」

苦笑いをしながら、剣心は独り言のように呟いた。





なにやら話しがそれているが、通じる物があったのか。

少年は少し落ち着いてきたようであった。



「ただ、後から妻が言うには、私だって振りまわされたわ、ということでござる」

実際、散々迷惑をかけ、肝心の気持は彼女から言わせてしまった。



自分の気持を告げた時、彼女は泣いていた。



「気持は、言葉にしないと伝わらない時もあるのでござるよ」





少年が剣心の顔をみた。剣心も目を合わせて諭すように言った。



「近い距離にいるからと言って、それに甘えてはいかんのでござる。」



少年は聞き入れたのか。

「そうだよな・・」





「ちょっと・・失礼するでござる」



剣心は廊下に出ると、静かにたたずむ女将を見る。



「さすがだね。あんたが気配に聡いから助かるわ」



「なにか、あったのでござるか?」



「いやね、先程お嬢さんと薫が外に出て行ったんだけどさ、最近野犬が出没していること、伝えてなかったんだよね。気になるから迎えに行ってやってくれるかい?」



「承知」



剣心は逆刃刀を手にし、出ていった。





「さて、私は夕餉と・・お風呂の用意だね。こんなことなら弥彦も呼べば良かったか・・」

弥彦にとって甚だ迷惑な台詞を呟きながら、女将は厨房へと歩いて行った。



しばらくして、襖が開いた







「もう、嫌われちゃった・・。ひっく・・」

「あかりちゃん、落ち着いて、ね。びっくりして拒絶しちゃうのは当たり前よ。好きだから無条件に何でも受け入れられる訳じゃ

ないわ。」



薫は中々泣き止まない少女を旅館の裏手まで誘導し、静かなところでじっくり話しを聞いていた。



少女の気持は分かる。自分の想いを相手に伝えて、今の関係を壊してしまう怖さ。それは自分の想いが彼の人の重荷になるのではないかという恐れと似ていた。

かつて自分も悩んだ時期があった。

目に写る人々を救いたいと言う彼の目的を、自分の想いが縛りつけるのでは無いかと、苦しめるのではないかと。

だが、試練を乗り越え絆が深くなれば、それはいつしか自分の想いと重なり、共に歩んでいくことに躊躇いはなくなった。

それも彼が自分への想いを伝えてくれたからこそだった。



「ねぇ、あかりちゃん。近くにいるからといって想いが伝わるわけじゃないわ。」

少女の背中を優しく撫でながら薫は続けた。



「想いは言葉にしないと。側にいるだけで幸せなのは最初だけ。私も夫と同居してた時、想いは増えて、伝わらないもどかしさに随分やきもち焼いたもの。」



「薫さんも、伝わらなくて苦しかったの?」

涙に濡れた眼で少女は薫を見上げた。

「私はね、伝えたくても彼の重荷になるんじゃないかって、躊躇してたの」



「でも、私それでも側に居たいって言ったの」



「そ、それで・・」



「すぐには・・・・色々抱えているものがあったから。でも、彼なりに返してくれたわ。落ち着いた後も宙ぶらりんな時期があったけど、最後には想いを伝えてくれたわ。彼も悩んでたみたい。」





「私、関係壊れるの嫌で、今のままでいいんだって、幼馴染で良いって振舞ったんだけど、辛いだけだった・・・。」

思い出すように、少女は空を見上げた。

しばらく眼を閉じて考えていた少女は、ゆっくりと薫を見つめて微笑んだ。



「私、伝えてみます。薫さんのように」



「そう、頑張ってね」

ぽんぽんと、薫はあかりを落ち着かせるように肩を叩いた。

「ふふっ。旦那さんと一緒ですね。」

「え?」

「いえ、なんでもないですっ」

にこりと笑って振り向いた少女の背後から何かが飛び出した。



「あぶないっ!!」

「きゃぁっ!!」



とっさに薫は少女を抱え込んでかばった。

ザクッと袖が破れて真っ赤な血がぽたり、と地面に染みを作った。



グルルル・・・・



そこにいたのは、1匹の薄汚れた野犬だった。



どこからか、入りこんできたのだろう。随分と気が立っている。下手に動くと飛び掛られそうで動けない。

薫は枯れ木を手にすると、あかりを背後にまわした。

「あかりちゃん、大丈夫?」



「あ・・・・・私より、薫さんっ腕から血がっ」

薫の後ろでガタガタ震えている少女は持っていたハンカチで薫の血をふこうとする。



「大丈夫よ、私は鍛えているから。いい、よく聞いて?」



「多分また飛び掛ってくるわ。その時私が相手をするから、あなたは屋敷に向かって走って。そして、剣心を呼んで来て」



「薫さんを置いては行けませんっ」



いつ飛び掛ってくるか分からない野犬を前に視線を外せない。

「大丈夫!私は剣術をしているのよ。だから、お願いね」



その時、じりっと犬が間を詰め出した。



来る!



薫があかりの背中を押したと同時に野犬は薫に襲いかかった。



薫は寸前で身をかわすと、枯れ木を腹に打ち込んだ。

犬は悲鳴を上げて地面に倒れこむ。



「あかりちゃん、行きなさいっ!!!」

あかりは踵を返し、走り出した。



「あかり殿!」

剣心が駆け寄ってきた。。

「あ、あ、か、薫さんがあっちでっ」

薫がいる場所を必死に指で指す。



途端剣心の顔色が変わり、指差した方に駆け出していった。



安心感と恐怖でへたり込んでいると、がさり、と音がした。

振り向くと、野犬が唸りながら近づいてきた。

もう1匹、いたのだ。



あかりは恐怖でもう声も出なかった。

逃げる事すら出来ない。



ガゥッと唸り声を上げて飛び掛ってきた瞬間、眼を閉じた。



「あかりっ!!!」

抱え込まれて地面に転がった。

その瞬間、あかりは道を踏み外した時に抱え込まれ、崖を落ちて行った事がフラッシュバックした。

あの時も、かばってくれたんだ。



           ヒカル!!           





馬鹿だ。私。ヒカルがこんなにも私を想ってくれてる。あの時も、あの時も。

ヒカルの行動を受け止めていなかったのは私。

仕事の後に、来てくれたのに。

団体で行動するの、嫌いなのに。



ヒカルに抱え込まれ、肩越しからまた野犬が襲いかかろうとしているのが見えた。



ヒカルは自分を離そうとしない。

「いやーーーっっ!!!」



「飛龍閃!!」



犬が飛び掛ってきた瞬間、刀が野犬に命中し、犬は悲鳴をあげながら逃げて行った。



「大丈夫でござるか!?」

「あかりちゃんっ」



剣心と薫が走ってきた。



「いってぇ・・あかり、大丈夫か?」

ヒカルは体を起こすとあかりからゆっくり離れた。

だが、ボロボロ泣いているあかりを見てヒカルはびっくりした。

「ど、どうしたんだよ?どっか痛いのか??」

両肩を掴まれて、揺さぶられる。

ヒカルが心配そうに覗きこんできた。



「ヒカルっ」

あかりはヒカルに抱きついて離れようとしない



「ごめんねっ!!ごめんなさい!!」



後は言葉にならず、胸の中で泣きじゃくるあかりをヒカルは



「俺こそ。ごめんな・・」

そう言って、抱きしめ返した。





剣心と薫は寄り添いながらそんな二人を見守る。

「あの時のこと、思い出しちゃった。」

「あぁ。」



縁との戦いが終わった後、自分の胸の中に倒れこんできた剣心を、薫は泣きながら抱きしめた。

言葉にならない想いを、必死に抱きしめる事で伝えた事を。







*************





「お世話になりました」

「ありがとうございました」



晴れやかな表情の二人は、女将と剣心と薫に頭を下げた。



「気をつけるでござるよ」

「元気でね・・」



「このまま歩いて行けば、たどり着けるから、心配要らないですよ」

女将が少年に説明している。



「薫さん、怪我大丈夫ですか?」

三角の布に釣られた腕は痛々しく、あかりは表情を曇らせた。

「大丈夫よ。心配しないで。」

薫は元気に笑った。



「じゃあ、行きます。」

「女将さん、ありがとうございました」



二人は最後にそう告げると、仲良く手をつないで歩き出した。

やがて霧に包まれ、姿は消えて行った。





「良かったね」

「良くないでござるっ。」

剣心は憮然と薫の腕をみた。



「大丈夫よ、怪我なら。剣心が大げさなのよっ」

そう言って笑う薫は元気そのもの。



あのあと二人想いが通じ合ったのがよほど嬉しかったのか。





「さぁ、二人ともお疲れさん。ゆっくり温泉でも入って帰ってくれたらいいよ」

女将も珍しく微笑むと、館の奥に消えて行った。



途端に剣心が嬉しそうに薫を促した。

「薫殿、その腕では湯浴みも大変でござろ。拙者と一緒に入るでござるっ」



「えぇっ!?なによ〜急に」

「問答無用でござる」



ぱたん、と門が閉まり。



やがて館も霧の中に包まれて行った。










【終】



このお話は宿の案内処に展示してある「introduction」がもとになっています。
これは当宿オープン記念として書いた駄文なのですが、蒼様が気に入ってくださり、ご自身のサイトを開設された際に新たに創作されたそうで。
料理長はもちろん、手伝いに来た薫や迷い込んだ某カポーに囲まれて、ありがたくもσ(^^)も登場させていただいております(*´∇`*)

さて、この「近距離」。
離れすぎているのも考えものですが、近すぎる距離ってのも実は当事者にとってはかなり問題だったりするのですよ。

二人の距離が近いほど、想いは伝わらない。
近すぎるからこそ、相手の心が見えない。

幼馴染の二人にかつての自分達を重ね合わせる剣心と薫・・・ほーんと、見ている側ははがゆいですよね〜
「近距離」というタイトルにふさわしい内容でございます♪



まさかご挨拶代わりに書いたブツがこんな効果を表すとは・・・ああ、あの時の自分を褒め称えてやりたいッ
そして創作していただけるほど気に入ってくださった蒼様に、σ(^^)も喜びを隠し切れません。
誰か・・・誰かσ(^◇^;)の緩みまくった顔を元に戻してぇ〜ッ(叫)



蒼様のお宅でも展示されていますが「UPした暁には五月女将にお持ち帰りしていただければ嬉しいです」とおっしゃってくださったため、当宿でも展示させていただきました。
そして既にお気づきの方もいらっしゃると思いますが、温泉に入った二人のその後の話もあるんですよ〜
その後のお話も快く展示許可を頂いたため、例の店に・・・( ̄ー ̄)ニヤリッ

蒼様、本当にありがとうございました!



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