家路に着くには祭りの会場を通り抜けねばならない。すっかり日が暮れてしまった所為か、祭りはもうとっくに始まってしまっていた。
薄らと寒さを感じる秋の夜。湿った息の隙間から覗く、靡いて揺れる風車。夕焼け空を彩る提燈の灯り。目にも楽しい鮮やかな色彩。雲が薄く広がった空に咲く無数の華。
懐かしさに、胸が締め付けられる。左肩を掠める秋風が、無性に寂しく感じられて、薫は思わず身震いをした。
今夜は薫と祭りに行く予定だから 。
弥彦の言葉をそのまま受け止めれば、剣心も薫と同じ気持ちだったことが汲み取れる。
でもそれなら何故、当日である今日まで私に何も言ってくれなかったのだろう。
見慣れた文字を掲げた看板が、視界の左端にちらり、と映り薫は顔を挙げる。するとそのすぐ傍らに見える緋色に薫は小さく叫び声を挙げた。
「剣心・・・」
「遅かったでござるな、薫殿」
其処に居たのは、父の山吹色の襟巻きを首に巻いた剣心だった。かつて真冬でも薄着のままうろつく剣心を案じて、私が押入れから引っ張り出したものだ。
鮮やかな緋色の色味に、くすんだ山吹色の色彩は剣心の肌によく馴染んで、風が強く吹く日には、彼はそれを身に纏う様になっていた。
「こんな処で何してるの?剣心」
心なしか声が堅くなる。
「日も落ちて来た故、少し心配になって。後半刻ほどしたら迎えに出ようかと思っていたのだが、丁度良かった」
さあ、家に帰ろうと、真っ直ぐ差し出された掌。期待と反したあなたの答え。
もう、限界だわ
意味が分からない
「私、まだ、帰りたくない」
自宅の玄関を直ぐ目の前にして何を言うのか。剣心は驚いて薫の顔を覗き見た。
「薫殿・・・?どうしたでござる?」
視界を塞ぐ緋色。落ち着いた声。淡々とした余裕のある様。何もかもが気に障る。
どうして私ばかりがいつも振り回されなきゃならないのよ。
「剣心・・・今日は何日?」
怒りを押し殺した声で薫が問う。
「10月8日・・・でござるな、確か」
「そうよね。で、さっきから聞こえる太鼓の音。これ何だか分かる?」
「祭り・・・でござるな」
「そうよね、お祭りよねッ!当然剣心も知ってるはずよねッ!?」
山吹色のそれを掴み、薫はゆさゆさと前後にゆさぶった。ぐえ、と剣心の喉元が情けない音をたてる。
ごほごほ、と荒く咳き込みながら剣心は呟いた。
「薫殿・・・その」
「しらばっくれても無駄よッ!!弥彦にぜーんぶ全部聞いたんだからッ!!」
「えっ・・・」
思わず言葉を詰まらせる剣心。それが益々薫の怒りを増長させる。
ふんっと勢い良く首を反対側に背けてこちらを見ない薫の肩にそっと手を重ねた。
「薫殿」
そして、宥める様に薫の名を呼ぶ。
「何よッ」
「あのすまぬ、拙者薫殿に確認もせず・・・」
「そうよッ!何でこんなに突然なのよっ今までそんな素振り微塵も見せなかったくせに!」
「すまぬ・・・中々言い出す機会が無くて」
「だからって何で当日まで黙ってるのよっ。」
「面目ない・・・どのようなものを買えばいいのかとんと分からず・・・時間が掛かってしまったのでござるよ」
「知らないわよそんなことっ・・・て何のこと言ってるの?」
二人を包む空気が一瞬固まった。咬みあわない会話を疑問に思い、剣心は小首を傾げて薫に問いかける。
「薫殿、一つ聞きたいのだが、一体弥彦から何を聞いたのでござるか?」
「何って、だから今夜私と秋祭りに行く予定だからって剣心が言ってたって事を・・・」
薫の言葉を受け止めた剣心の表情が一瞬にして曇ったのを、怒りに我を失った薫が見逃す筈も無く。
「剣心。何か隠しているわね?」
「何も隠してなどござらんよ」
「嘘、じゃあさっきの言葉どう説明するつもり」
「それは・・・あっ、薫殿!!」
薫は踵を返し玄関を潜り抜けると、一目散に道場の方へ駆けていった。背後で己を呼ぶ声がする。
中庭を通り、廊下を渡って己の部屋をも通り過ぎ、目指すは一つ、奥の角にある彼の自室。
バンッと障子を鳴らし、踏み込んだ先に広がったのは。
紅梅色の絞り染めの生地に散らされた、八分咲きの櫻であった。
「これ・・・」
彼の部屋に似つかわしくないその華に、薫は言葉を失った。背後を振り向けば、気まずそうな表情で剣心が開かれた障子を背もたれにして立っている。
「どういう事・・・」
薫は部屋の真ん中で立ち尽くしたまま、そう問うた。けれど剣心は言葉を噤んだまま何も話すことは無い。
その顔は薄らと紅く染まっていて、薫に背を向けたままこちらを見ようとしなかった。
「もしかして・・・」
薫の脳内に生れた一つの応え。
ゆっくりと剣心のもとに歩み寄り、彼を包む山吹色のそれに触れた。
「こんな形で見られたくは無かったのだが・・・」
それは、始めて見るものだった。耳まで顔を紅く染め上げて、目を伏せる彼。ぽつり、と小さく呟くと、緋色の髪を掻き揚げて、大きな溜め息をついている。
そのまま掌を左右に動かして無造作に掻き毟ると、薫の視線から逃れるように首を背けた。
「剣心・・・?」
もしかして、照れているの?あの、剣心が・・・ ?
冷静沈着で物怖じ一つしない彼が。決して感情を表に出すことの無いこの人が。
胸の内がふわりと温かくなっていく。
「薫殿への、贈り物でござるよ・・」
絢爛に咲き誇った櫻を、愛しいあなたへ
「何で・・・?」
思いも拠らない剣心の行動に、薫はただただそう呟くばかりだった。剣心は浅く溜め息をつくと、薫のほうへ視線を向けた。
其処にあるのは見慣れた何時もの穏やかなそれではない。
「今宵の秋祭り・・・薫殿に袖を通して頂こうと、数月前から金を用意していたんだが・・・」
剣心の言葉を受けて、なんとなく疑問に思っていたことが、一つの糸に繋がった。
「もしかして、剣心が急に所長さんの頼みを引き受けるようになったのって、これを・・・?」
「ああ・・・けど、薫殿が新しく浴衣を用意したのを偶然知って」
出すに出せなくなってしまったんだ。
「無駄な出費になってしまっているわけでござるからな。いつも世話になっている分申し訳なくて」
「そんな・・・無駄なんてッ!!」
そんな事、あるわけがない。
「・・・凄く、嬉しいのに・・・」
ふわりと漂う夜風が、二人の髪をそっと揺らす。剣心は散らばった薫の艶やかな髪を取り。
「・・・不安、だったんでござるよ」
そっと、口付けた。鼻を擽る甘い香り。
「妙殿から聞いた。今宵の秋祭りは、薫殿にとって特別なものだと。そんな想い出の場所に、拙者などと一緒に行っていいものか…と」
思わず、薫は息を呑んだ。
「いい年をした男が、と笑われてしまうかもしれないが、最近強く思うのでござるよ・・・」
剣心はそう言うと、掌にとった髪を手放した。ぱらり、と滑るように落ちていくそれ。
「薫殿にとって・・・拙者は何なのか・・・」
これは、夢なのだろうか。
今目の前に立っている男は、確かにいつもの見慣れた人なのに。緋色の髪。やや垂れ下がった瞳。細長いけれど太い関節を持つ指。
彼を司る全てのものが、始めて見るもののように感じられて、薫は目を凝らしてそれらを見つめた。
「薫殿は・・・拙者に亡き父上殿を重ねているのではないか・・・と」
その顔に浮かべられたものは、張り付いた仮面の笑顔ではなく、熱を持った一人の男の表情だった。
「え・・・?」
「拙者を見る薫殿の視線が・・・時折そのように感じられることがあるのでござるよ・・・」
「剣心・・・それは」
私の、せりふだわ。
あなたが私を、”女”として見ていないのではないか、と。
不安で不安で、溜まらなくて。
それでも、それを確かめるのが怖くて。
剣心は慈しむように薫の頭をそっと撫でる。父の残像はもう見る影もなく消えうせていた。
「それと・・・もう一つ」
視線を薫の頭に落としたまま、剣心は言葉を落とす。心に響くような声色で。
「最近拙者も仕事を増やした所為とは云え、家に居る時間も少なくなってしまったでござろう?
漸く出来た折角の休日も、来客の所為でなくなって・・・薫殿は拙者と二人で過ごしたくないのか・・・と・・・」
咎める様なその剣心の口調に、薫は聞き捨てならないと即座に反抗した。
「ちょっと待ってよ、だってあれは剣心が招き入れたんじゃない・・・」
「お、おろ?彼らは薫殿が招いた客では?」
「そんなわけないじゃないっ!!突然よ、突然っ!折角の休日なんだから私だってたまにはゆっくりしたいわよッ」
薫はそう捲くし立てると、肩で大きく息をつき、呼吸を整えた。そしてそのまま体を前へと倒し、愛しい人の胸の中へと倒れこむ。
体が、勝手にそう動いていた。今は、そうしても良い様な気がして。
「・・私は剣心と一緒に過ごしたかったんだから・・・ッ」
同じ、なのだ。
些細な行動で、不安になるのも。限られた時間の中で、共に過ごしたいと願うのも。
全てはあなたを愛しく思う故の、衝動。
「・・・どうやら」
ふわり、と背中を包む暖かな温もり。肌蹴た着物から覗く素肌が、頬に触れる。
想っていたよりも、願っていたよりも、ずっと心地よいそれ。
「拙者たちは取り越し苦労をしていたようでござるな」
ねえ、信じていいかしら。
期待しても、いいかしら。
秤に乗せたあなたの”好き”という気持ちが、まだどれだけのものか分からないけれど
「何だか、馬鹿みたい」
「そうでござるな・・・」
でもたまにはこういうのも、悪くない。
普段は仮面の下に隠したまま、決して曝け出すことの無い素顔のあなたが見れるのなら。
「薫殿・・・これに着替えてみてはくれまいか?」
ねえ、信じていいかしら。
期待しても、いいかしら。
秤に乗せたあなたの”好き”という気持ちが、まだどれだけのものか分からないけれど
確かにあなたも、私を想ってくれていると。
「分かったわ・・・でも、剣心?」
女はね、言葉で言ってもらわないと安心できない生き物なのよ。
だから今度は、ちゃんと、確かなもので証明してみせて?
「仰せのままに、薫殿」
見えない壁を越えた先には、極上の贈り物と甘い言葉が待っていた。
やがて彼の髪が短く切り揃えられ、右頬に刻まれていた怨恨の傷が薄くなり、彼が私の前で声をあげて笑うようになるのは、もう少し先のお話。
【終】
後書きという名の言い訳
本当、すみません。本当にすみませッ・・・↓滝汗
女将様に差し上げるお品ということで、精魂込めて執筆したつもりなのですが、あの・・・出来の悪い作品になってしまい・・・すみませっ・・・
とりあえず全力で先に謝罪を申し上げておきます。けれども愛はたくさん詰め込みました!!涙
拙いものですが、貰ってやっていただけると嬉しいです。あの、返品は24時間受け付けていますので・・・
【百鬼夜行】管理人・早智
早智様のサイトに初めてお邪魔したのは何気にサーチを回っていた時でした。
そのとき、現在連載中の小説にやられ、以後こそこそ通い詰めるという奇行に入るσ(^^)。
不法侵入を何回か続けていると、宿に一通の手紙が舞い込みました。
名前見てびっくりですよ!
それが通い詰めていたサイト「百鬼夜行」の管理人である早智様だったんですからッ
もう本当に丁寧なご挨拶をしてくださるお嬢様で・・・あの文面を見たら世のお母さんは「是非ウチの息子の嫁に!」と言い出すこと間違いなし(=ヮ=)
そしてありがたいことに早智様ってば当宿に来ていただいているお客様!
これを運命と言わずになんと呼ぼう!
そんなディスティニーな関係から始まり、更に早智様から小説を書いてくださるというありがたい申し出が!
そりゃーがっつり頂きますよ、ええ。
σ(^^)たお願いしたのは「照れた剣心」。
ホラ、あまり剣心って感情を表に出さないじゃないですか。
なので今回はこんな内容でお願いしました♪
しかも前・後編!
剣心の気持ちが分からずに悩む薫だったけど、実は剣心もまた同じように悩んでいた・・・お互いの気持ちを知らないまますれ違う二人。
決定打になったのは祭り当日、していないはずの約束を剣心がしていたという弥彦からの言葉。
そして薫が問い詰め、剣心も彼女の剣幕にたじろぎながら訥々と答えるわけなんですが、もーこのやり取りって大好き!
感情のままに動く薫と、やや圧されて肩をすくめている剣心の姿がリアルに浮かびます(笑)
そして明らかになる真相。
真っ赤になった剣心・・・萌え(*´∇`*)
「後輩の生徒が先輩に家庭科でつくったケーキをあげる、そんな感覚で気楽に受け取ってくださればと思います」
と早智様はおっしゃってくださいましたが、とてつもなくでかくて甘いケーキを頂いてしまいました!
早智様、本当にありがとうございました!
そしてこちらは番外編もあるんです!
更にその先の話も・・・( ̄ー ̄)ニヤリッ
宿では番外編を展示させていただきますので、更に仲良くなった二人の話は隠されたお店にてどうぞ♪
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