実家に帰らせていただきます!   【後編】



耳を済ませて聞いていると下卑た笑い声が含まれているのが分かる。
話の中に「女」とか「捕らえろ」という単語を聞き、やはり狙いは己であったと緊張を隠せない。

「まだ近くにいるはずだ、探せッ」

男達が焚き火に気付いたのだろう。
消しておくべきだったと臍(ほぞ)を噛んでも今更遅い。
複数の声がするが何人いるかまでは分からない。
しかし、一人でどうにかできる人数ではないことは確かなようだ。
見知らぬ地で、更には闇に包まれた森の中では逃げ切ることは難しい。
唯一の光源である月は森の木々で隠されてしまった。
ならばここに身を潜め、近付いてきた男を一人ずつ倒していくしか方法はあるまい。



でも、もし一度に来られたら?



最悪の状況を思い浮かべ、冷たい汗が背中を伝う。
震え出しそうになる体を叱咤し、杖を握る手に力をこめた。










弱音を吐く前に何とか逃げ切ることだけ考えなさい!
朝になったら家に帰って剣心に謝らなきゃいけないんだから!!










音を立てないように移動しながらいつでも立ち向かえるよう、薫は戦闘態勢に入った。
      しかし待てども待てども誰かが襲い掛かる気配はない。
代わりに聞こえてきたのは何かを打ち据えるような鈍い音と男の呻き声。

「て、てめえ一体!?」
「おい、何を・・・げぇッ」
「駄目だ、散らばれ!!」

何が起こっているのか把握できずしばし唖然としていたが、男達が散開したことを悟ると薫も我に返って移動し始めた。
藪の中を突き進んだのがよかったのかもしれない。
時たま聞こえる男達の呻き声を聞きながらも、彼らが薫の前に現れることはなかった。










これならいけるかも!!










夜目にも慣れてきた。
藪を抜けて後ろを振り返っても誰かが追ってくる気配はない。
ほっと胸を撫で下ろし、何気なく視線を巡らせたとき三間(約5.46m)先に何かがいるのが見えた。
その時、ざぁ、と風が吹き、一瞬だけ木の間から月光が差し込んだ。

      薫とだらしない着流し姿の男の目が合ったのはほぼ同時だった。

唐突過ぎて攻撃するのを忘れた。
それは相手も同じらしい。
まさか己の前に探していた女が現れるとは思わなかったのだろう。
呆気にとられたままこちらをじっと見ているだけである。
両者はお互いの姿を視界に映し出していたが、さすが師範代というべきか、薫が真っ先に体の自由を取り戻した。
が、それがきっかけとなり、男も反応する。
薫は身を低くして駆け、男の胴に杖をめり込ませると、彼は短く呻いて膝を折った。
すぐさまその場から離れようと身を翻(ひるがえ)すが、その細足をむんずと捕まれてしまった。
「きゃ!?」
薫が声を上げたのと、最後の力を振り絞った男が甲高い指笛を響かせたのはほぼ同時であった。



「ちょっと!放しなさいよッ」
意識を失っても尚捕まれたままの足を何とか自由にした頃には既に数人に囲まれてしまった。



「探したぜぇ、お嬢ちゃん」
血の気が引いていくのが分かったが、それでも構える薫に囃(はや)し立てるような声が上がった。
「近寄らないで!それ以上近付いたら怪我するわよ」
もしこれが見通しのいい平地で昼間であれば薫の勝利は確実だ。
しかしここは足場の悪い森の中。
闇に慣れたとはいえ、まだまだ視界がはっきりしない。
おまけに森の中ならこのならず者達の方が自由に動き回れるだろう。
どう考えても薫には不利な状況である。










それでも切り抜ける。
切り抜けねばなるまい。










深呼吸をして心を静める。

先手必勝。
まず右手にいた男を薙ぎ倒す。
そしてその隣にいた男に向かい、得物を振り上げた!

「がふ!!」
一度に二人を倒し、道が開けると薫は即座に男達の囲みを突破した。
「待てこのアマ!!」
背後から聞こえる声は明らかに激昂している。
今まで彼らは薫の強さを知らなかった。
しかし、これで油断できぬ相手と認識したことだろう。
何度も足をとられながら薫は懸命に走った。



男達も移動した気配がするが、薫は走り続けることしかできなかった。
      たとえ、数秒後には絶望することが分かっていても。




「ここまでだ」
正面から聞こえる声に足を止めると、いつの間にか男が立ちはだかっている。
彼らの方が森の中に詳しい。
先回りして薫を待ち伏せていたのだろう。
追ってきた者によって再び退路が絶たれた。
「これで終わりだ。おとなしくしてりゃ命までとらねえよ」
今度は無手ではなく、刃物を手にしている。
薫は気丈にも構えることで応えた。
恐怖で叫びたい気持ちでいっぱいだったが、それでも戦う意志を捨てることは出来なかった。










周囲の空気が変わる。
先ほどとは違い、本気で立ち向かってくる気だ。



      どこから来る?



男達の動きに集中する。
空気そのものに変化が生じるまで薫は動かなかった。










かり。










「!」
何かが動く気配がして顔を向けると、誰も動いてはいない。
その代わり、薫の足元に小石が転がっていた。



石は囮(おとり)だった。



気付いたところで反応が遅れた分は取り戻しようがない。
誰かが薫の腕を掴んだ。
「や・・・っ」
掴まれたところから恐怖が這い回り、全身を支配する。
それが顔に出ていたのだろう。
腕を掴んだ男の口元が嬉しそうに歪み      次に顔全体がひしゃげた。
「ぶふぅ!?」
彼の頬を直撃する蹴り、白い袴、緋色の着物・・・と一連の動きが流れるように薫の目に入る。
暗闇なのに左頬にある十字傷と紫苑の瞳ははっきりと認められた。










「無事でござるか、薫殿!」










答えることは出来なかった。
薫のすぐ目の前に男が躍りかかり、杖の柄で彼の鳩尾を穿(うが)っていたからだ。
まだ数人残っているのを見て取り構え直すと、背中に軽い衝撃を感じた。

「返事は!?」
「ご覧の通りよッ」

不思議なもので剣心がいると分かると俄然(がぜん)気持ちが奮い立った。
凛とした表情で前を見据える薫を見た男達が、暗闇でもそれと分かるほど戸惑っている。
「しかし、こんなところで野宿とは・・・女子(おなご)が一人で旅に出ること自体危険だというに」
打撃音と呻き声が聞こえた。
おそらく剣心が一人を倒したのだろう。
きっとここに来る前にも数人倒してあるに違いない。
「だって旅籠は全部埋まっていたんだもの。剣心こそ、何でここにいるわけ?」

てっきり帰ったかと思ったのに、と付け加えながら薫も刃をかわしつつ素早く相手の懐に飛び込み、また一人倒す。
男達が何か叫んでいるが、剣心と薫はお互いの声しか聞こえていない。

「そ、それは・・・薫殿が拙者の顔など見たくないと言うから、気付かれないようについていくしかないと思って」
「ええ?全然気付かなかったわ!そこまでしなくてもいいのに〜」
「・・・誰のせいだと思っているのでござるか?」
会話しながらもしっかりと応戦しているのは剣客らしいというべきか。
べき、どか、という打撃音にかき消されまいと大声で話を続ける。
「そもそも、何故『実家』というのが師匠の家なのでござる?薫殿の実家は神谷道場のはずでござろう」
「だって、比古さんの家はいわば剣心の『実家』になるでしょ?別に間違ってないじゃない」
「普通『実家に帰る』というのは妻の生家を指すのでは?」
「あら、いいじゃないの夫の実家でも・・・それに比古さんならちゃんと話を聞いてくれそうだし」



確かに話は聞いてくれるだろうが、『ちゃんと』聞いてはくれまい。
その後もことあるごとにその時の話を蒸し返されるのが関の山だ。



禍々しい笑みを浮かべる比古の顔が浮かび、背筋に悪寒が走った。
「間に合ってよかった・・・・」

比古に会う前に薫に追いついて本当によかった。

安堵と共に吐き出した台詞だが、薫は違う意味で取ったようだ。
「ごめんなさい」
「おろ?」
「私が剣心の話をろくに聞かずに飛び出して・・・そのせいで剣心に心配かけちゃったから」
薫特有のしなやかな剣さばきに変化はないが、声が沈んでいる。
剣心の言葉に今に至る状況を思い出し、反省しているようだ。
「剣心がわざとあんなことするはずないって分かっているのに・・・事情も聞かずにひどいことしてごめんなさいね」
はたから見れば剣を振るいながら言う台詞ではないだろう。
しかし言われた側としてはまったく別のことを考えていたため、一瞬言葉に詰まる。
咳払いで妙な間をごまかし、次に発した言葉は常と変わらぬ口調に戻っていた。



「何はともあれ、薫殿が無事でよかった。森に入って姿を見失ってしまったから心配したのでござるよ」



誰かが吠えながら真横から突進してきたが、それを察した剣心と薫が一歩前に出ると、勢いをつけたままその空間をすり抜けていった。
二人の間をすり抜けた所で剣心ががら空きになっている脊髄に肘鉄を食らわす。
そのまま糸が切れたように体が落ちるのを視界の端で捉えながら、さすがに野宿は予想外であったが、と苦笑した。
それは、と薫が言いにくそうに口ごもる。
だがすぐに口を開き、はっきりと言った。










「剣心も、流浪していた頃はこうして野宿していたんでしょ?私も同じようにやって同じように感じてみたかったの」
「薫殿・・・」










いい雰囲気になっているが、現実は甘さの欠片もない。
周囲を取り囲んでいる男達が黙っているはずはないのだが、二人の会話を中断させることはおろか、逆に打ちのめされて地面に伏すという有様。
「でも一人だとやっぱり心細いし寂しかった・・・早く剣心に会いたいってそればっかり考えていたの」
最後の一人に肩口から逆刃刀を叩き込むと鈍い音がしたが、小さく紡がれた言葉は剣心の耳にしっかり届いていた。



この場に立ち向かってくるものはもういない。



それを確かめてから二人はほぼ同時に向き合う。
剣心の手が動き、薫の頬に触れる。
だが触れた瞬間、弾かれたように身を退いた。
「痛!」
「!怪我をしているのでござるか!?」
小さく悲鳴を上げる薫の肩を掴み、そのかんばせを覗き込もうとするが、
「大丈夫、大したことじゃないのよ。ただ、さっき藪の中をくぐってきたからそのとき顔にひっかかっちゃって」

実際傷自体は大したことではないだろう。
派手に引っ掛けた覚えもないし、出血したようにも思えない。

ただ、あまりにも剣心が真剣に聞いてくるから、彼を安心させるように殊更朗らかに答えた。
「痛むのならば無理はせぬほうが」
「だーかーら!本当に大丈夫だって!」
さすがに心配しすぎだと苦笑を禁じえない。
しかしそれだけ自分のことを考えているのだと思えば、嬉しくもある。
更に言い募ろうとしたとき、闇の中で紫苑が近付くのが見えた。



次の瞬間には頬に生暖かな何かが触れ、そのせいでぴりりとした痛みを感じた。
逃れるように首をすくめると、正面からはっきりと言われた。

「薫殿の『大丈夫』ほど信用できぬものはござらん」



動けぬ薫に構わず、再び彼女の頬に舌を這わせた。
「ひゃんっ」
「ちと痛むかもしれんがしばし我慢してくれぬか」
「い、いいわよ、そんなことしなくても!汚いし・・・ンンッ」
体が震えたのは剣心の舌が耳朶に触れたせい。
「薫殿に汚い所などどこにもない」
吐息が吹きかけられ、思わず身を捩った。
剣心の表情は闇に隠され、薫からは何も見えない。
「ここはどうでござるかな」
「こ、ここって?」



いつもと同じように聞き返すと、剣心がほくそ笑んだような気がした。
確かめるために首だけ動かそうとしたが、今度は唇を吸われ、言葉を奪われる。



「なん!?」
口を開いた隙を狙って剣心の舌が入り込み、驚く暇もなく口腔内の愛撫が始まった。
いや、愛撫というより舐めまわされていると表現したほうがいいくらいに、剣心の舌は口の中全体を蹂躙していく。
「ふぐっ、ん・・・は、む!」
肩を掴んでいた手はいつの間にか薫の背中に回されていた。

お互いの唾液に混じってほんのりと血の味がする。
頬に血が滲んでいたのを剣心が舐めとっていたせいだろうか。

普段よりねっとりとした口づけに、薫の思考がぼやけていく。
あまりの苦しさに彼の袖を引っ張るが、まだだといわんばかりに歯茎や歯列も丹念に舐め上げていき、それでやっと唇が離れていった。
「口の中は切っておらぬようでござるな」
最後に触れるだけの口づけを落とし、呼吸が上がっている薫の体をしっかりと抱きしめた。
そのおかげでへたり込むことは免れたのだが。
「もぉ〜・・・私達、これから帰るんでしょう?これじゃすぐ歩けないわよぅ・・・」
「何、拙者が抱きかかえていくから大丈夫でござるよ。どうせ今夜は野宿でござるからして」
「へ?」
目が点になっている薫を公言したとおり抱きかかえ、剣心はさっさと歩き出した。










「今日は歩き疲れたでござろう?おお、そういえばこの辺りに温泉があったような」
「ちょちょちょ!!何勝手に話を進めているのよッ」










慌てふためく薫に、少し邪な光を浮かべた剣心がさわやかに答える。
「薫殿が言ったのでござるよ?拙者と同じように感じたいと」
「私が言ったのはそういう意味じゃない〜!」
「山で迷い込んだときにはお互い温めあうのが一番でござるよ」
「うそつき!ちゃんと戻り方分かっているくせに!・・・あ、何笑ってるのよ!!」
「おろ?拙者は別に笑ってはござらんよ」
「見えないけど剣心が嬉しそうに笑っているのが見える〜ッ」
剣心の笑い声と薫の叫びが消える頃には、叩きのめされた男達の哀れな姿だけ残っていた。





















森の奥に消えた剣心と薫      その後どう夜を過ごしたのかは当人のみぞ知る。











【終】

前編    小説置場



今は閉鎖されましたが、当時仲良くさせていただいた某管理人様より「オフ本作るからゲストとして何か書いてほしい」と頼まれて仕上げたものです。
最初に書いたのがこちらにもUPした「こそあど」なんですが、ちょっと糖度が低くて書き直したものがコレです。
今読み返してみると糖度的にはさほど変わりないよなぁと思ったり(笑)

ちなみになぜ薫が帰る実家を師匠の家にしたかというと、昔読んだ雑誌の記事にちなんでいます。
その時の特集が確か「結婚」とか「夫婦」とかそんな感じだったのかな?
夫婦喧嘩をした後奥さんが同様の書置きを残して家出したため、旦那さんは当然奥さんの実家だと思って連絡したらいないという返答が。
ではどこに行ったのかと考えていると、自分の実家から電話がかかってきてこっちにいると。
両親からこってり絞られた後、改めて奥さんに聞いてみたら、

「だってあなたと結婚したんだから、(私の)実家っていったらここしかないもの」

これが心に残っていたんですよね。
実際σ(^^)も結婚して家を出ると、実家は確かに自分を生んでくれた両親の家なんだけど、今は兄一家も一緒に住んでいるからなんとなく「自分の家」という認識がなくなってきたんですよ。
だからなんとなく分かるんですよね・・・もしかしたらこのときの薫も同じ気持ちだったのではないかと。
というわけで「師匠の家=実家」とこじつけてみました。
合意を求めるにはちょっと賛否両論な内容ですみません;