カルマの坂   <6>



いつもならあまりの暴言に男もそれなりに反論してお互い罵り合いが始まるのだが、この日に限ってはそうならなかった。
男は黙って大統領の罵声を受け入れた。
誰かに罵ってもらったほうがいくらか気が紛れるからだ。



大統領も、何も言ってこない男に何かしら感じるものがあったのだろう。
一通り罵倒して気が済むと、大統領は男に向かってこう言った。










「自分の思想を他人に聞かせるのはいい。だが、押し付けるな」










さすがにこの言葉には黙っていられなかった。
「俺がいつ、自分の思想を押し付けたと?」
「あの女スパイがお前の思想を聞きたがったのか?Y国を捨ててS国に移住するのだって彼女の希望ではなく、てめえの押し付けだろう」



大統領の言葉にうっと詰まる。
それを見て、やはりな、という風に頷き言葉を続けた。










「お前は自分が変わったと思い込んでいるんだろうが、俺から見れば昔から何も変わっちゃいねえよ。あの時と同じ、不満ばかり並べ立てるだけのただのガキだ」










容赦ない言葉を浴びせられても何も言い返すことは出来ない。
大統領の言ったことは全て当たっているのだ。
だからこそ、男はそれに対する言葉を発することが出来ずにいた。



「少し頭を冷やせ。どうせ彼女はお前と会おうとはしないだろう。しばらく距離を置くことだ」
「・・・・・はい」
頷くしかなかった。




















それから男は考えた。

大統領の言葉の意味を。
彼女に対してどう接するべきかを。



自分は何がしたいのかを。



そして、男は自分の考えを実行に移す。




















「しかし花とは・・・えらく古典的な手を使うんだな」
「は?」



古典的、と言われても男には何のことを指し示しているのか分からない。
あんぐりと口を開けた男を、大統領はやや呆れた面持ちで見つめている。



「女を口説き落とす時には必要不可欠な小道具だが・・・そう簡単にいくのかね」
「・・・大統領、何か勘違いしていませんか?」
やっと大統領の言わんとしていることが分かり、一瞬にして男の顔が仏頂面に変わる。
「何だ、あの女スパイをたらしこんで言うことを聞かせようって魂胆じゃねえのか」










男とマーガレットを見比べている大統領の顔は、明らかに面白がっている。
にやにやしているのが何よりの証拠だ。










「変な勘繰りはやめてください。俺は彼女を口説くために花を贈るわけじゃない」
「下心はないと言い切れるのか?」
「・・・殴られたいんですか、あんたは」

さすがに腹が立ってきた。

「てめえが俺を殴るなんざ、百万年早ぇよ」
悔しいが、大統領の言うとおりかもしれない。
十数年前に出会って以来、彼のもとで過ごしてきたが、一度も喧嘩で勝ったことはない。










十数年前、男は金持ちに買われた一人の少女を救うべく、何人もの人を殺した。
しかし少女を救うことは出来ず、逆にその家の住人を殺した罪で役人から追われることとなった。

数人の役人に取り囲まれ、もうダメかと思ったその時、役人達を蹴散らしたのがこの大統領だった。
当時はまだ大統領ではなく、一介の傭兵(ようへい)であったが、その腕力は今思い出しても凄まじいものだった。



最新鋭の武器を持った数人の役人に、武器を持たぬ一人の人間。



普通に考えれば大統領の敗北は必須である。
ところが、大統領は立ちはだかる数人の役人に無手で立ち向かった。



己に向けられる武器など目に入らぬかのように次々と役人達を叩きのめすその姿は、まだ少年であった男にはかなり無茶苦茶に映った。










同時に。

権力や財力とは全く違う形の「強さ」をこのとき初めて目にしたのだった。










そして、そのまま大統領に拾われる形で彼についていった。
次の日、目覚めた少年がまず口にしたことは、
「腹減った・・・」
だった。

あの少女を守りきれなかったことで涙が出るかと思ったのに。

そのことを大統領に伝えると、彼はこう言った。










「それは、お前がその娘の分まで生きようとしているからだ」
と。










痛みなら確かに感じている。
しかし、痛みだけでなく空腹を感じているのも事実だった。

この時点で、少年は生き続けることを誓った。

そして生きていくうえでの必要な知識、身を守るための戦闘術を始め、これまで知りえなかったことを吸収するかのように様々な分野の知識を学び始めた。










少年が成人する頃には、すでに大統領の片腕とまでいわれるほど出世していた。
しかし、男は地位や名誉のためにこれまで努力してきたわけではない。



望むのは一つだけ。
もう二度と、あんな虚ろな瞳は見たくない。










しかし、そのたった一つの望みを叶えるのがこれほどまでに困難なものとは。










スパイとしてこの国に潜り込んでくるのはY国だけではない。
Y国の女スパイのように、他国からも指令を受けてこの国の要人を暗殺しようとしたり、機密情報を盗み出そうとする。
そして、任務が失敗したと悟ると迷わず自決の道を選ぶ。










何度その場面に遭遇したことか。










その時のことを思い出して男の胸に苦いものがこみ上げる。










結局       俺は無駄な足掻きをしているのだろうか?



「辛気くせえツラしてんじゃねえ」
そう言うが早いか、男の額にデコぴんを一発お見舞いする。

「おわッ」

馬鹿力を持つ大統領のデコぴんだ。
倒れはしないが、男の体が後方によろめいた。



「いきなり何するんですか、アンタは!」
額を押さえながら大統領を見上げると、彼は涼しげな顔でこう言った。



「何って・・・渇を入れてやったんだよ。ま、言うなれば愛のムチか?」
「・・・絶対にそれだけじゃないでしょ」

あまりの痛さに涙目になっている。
ぼそ、と小声で言ったつもりが、大統領の耳にはしっかり届いていたらしい。

「何だ、張り手のほうが良かったのか?」
ぱきこき、と大統領が手の関節を鳴らしたのを見て、
「い、いえ、結構です!」
慌てて顔の前で両手をぶんぶんと交差させる。










この人から張り手なんぞ食らったら、間違いなく鼓膜が破れるな・・・










嫌な汗が額に滲み出て、それを拭った。
「じゃ、俺はこれで・・・」
男は早々にその場から立ち去ることにした。
「女の落とし方で分からないことがあれば遠慮なく聞けよ。抱いた女の数はてめえより俺のほうが多いからな」



だからそういうつもりではなく、と口を開きかけたが、それよりも早く若い声が響いた。



「大統領!すみません、至急お耳に入れたいことが・・・」
走ってきたのは諜報部に籍を置く若い男だった。

彼が大統領の耳元で何事か囁くと、大統領の顔が一変して厳しいものに変わった。

「・・・何かあったんですね?」
ただならぬ空気を感じ、男が表情を硬くする。



「Y国でいざこざが起きたらしい」
「いざこざ?他国から攻められているわけではないのですか」
Y国のいざこざと聞くと、真っ先に挙げられるのは他国からの侵略だ。
「詳細は分からんが、俺のところに報告が来るってことはそれなりの規模のもの         それなら、テレビで何らかの情報が得られるかも知れん」










友好条約を結んだ時に、Y国のテレビ局をS国に設置した。
表向きはS国を紹介する番組だが、今回のように何かトラブルが起こったときにはいち早くY国に情報を提供できるようになっている。










テレビ。

そう言われた瞬間、いくつかある部屋の中で女スパイの病室が真っ先に浮かんだ。



「すみません、俺はこれで!」



男は、大統領の返事を待たず、脱兎のごとく駆け出した。



















彼女はベッドから身を起こして外を見ていた。
もう以前のように眩暈に襲われることはない。
これならそのうち歩けるようになるのではないか、と医師が言っていた。



窓には鉄格子がはめられているが、それでも空を見ることが出来る。
看護婦の話だと天気はいいが、外に出ると身を切るような寒さに襲われるらしい。
ちょうどいい温度に設定された病室では、話を聞いても実感が湧かない。



ふと、彼女の優れた聴覚が走ってくる足音を捕らえた。
病室に近づいても速度を緩めないその足音に、あの男ではない、と直感した。



男がこの部屋に来る時は、静かに歩いてくる。
あんな慌てたような足音はしないはずだ。










よかった、あの男じゃない。










ほっとして肩の力を抜いた。
男が姿を見せなくなって三日が経過していた。
もちろん、彼女は会いたいとも思わない。
あんな酷いことを言った人物だ。



絶対に許せなかった。



ただ、あの男が来なくなってから一日が長く感じるのはなぜだろう。










きっと気のせいだ。
今まで、毎日のように来られていたから私も気が抜けなかったのね。











そう自分の中で解釈して、通り過ぎるであろう足音を聞いていた。
が、すぐにそれは自分の誤りであったことに気付く。











バンッ!










何の前触れもなく荒々しくドアを開けられ、彼女は驚いて目を丸くする。
しかし、そこに立っているのが今もっとも会いたくない人物だと分かると、途端に眉を吊り上げた。



「何の用!?もう二度と来ないでって言ったはずよ!」



彼女は感情の赴くままに叫んだ。
しかし、男はそんな彼女の言葉が聞こえなかったかのように一直線にこちらに向かってくる。
「あなたね・・・」
無視されたかと思うと余計に苛立つ。
何か投げつけてやろうか、と思ってテレビの横においてある雑誌を手に取ろうとするより早く、男の手がテレビのスイッチを入れた。



そのテレビを見て、まず驚いたのはまるで目の前にあるかのように鮮やかな色彩の画面。
怒りを忘れて、彼女の視線が画面に釘付けになる。

しかし、そんな彼女の心境など気付かない男は、苛立たしげにチャンネルを変えていく。



       え?」
Y国の画面が映った瞬間、思わず少女の口から声が漏れた。










そこに映る風景は、彼女が知るものではなかったからだ。











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いいのかなぁ、こんなダラダラ長くて・・・;
い、一応後半部分に入っていますので、もうしばらくお付き合いくださいませm(_ _)m

やはり大統領はメチャクチャ強かったということで(笑)

だって、戦車相手でも素手で立ち向かっていきそうなんだもん。
んで、「フンッ」って気合入れると服が破れて(それじゃあ「北●の拳」だよ;)そのまま戦車持ち上げたり・・・と思うのはσ(^◇^;)だけでしょうか・・・