カルマの坂 <7>



街並みから察するに、テレビに映っているのはY国の首都だろうか。
普段なら大勢の人で賑わうその街に、彼らの姿は見えない。



画面に映っているのは、武装した集団と警官隊が争っている場面だった。










何が起こったの?










一瞬、他国の軍勢が攻め込んできたのかと思った。
だが、それにしては戦闘が小規模すぎる。
現に武装集団が手にしているのは、割と手に入りやすい小型の武器ばかり。












まさか         反乱?











彼女の思考を読んだかのように、男が静かに切り出した。



「反乱が起こったようだな」



ぎくり、と全身に緊張が走る。
「国に対する不満が爆発したというところか」
動揺を押し隠すようにしてさりげなく答えた。
「・・・不満なんてあるわけないじゃない」
「国民全員がそうとは限らないということさ」



男の険しい表情と言葉に一瞬自分の父親を見たが、それは無視した。



「君主様を敬い、国のために皆一丸となってお仕えする。国民全員がそう思っているわ」
「本当にそう思っているのか?」
男の声に僅かばかり怒りが含まれているのを感じ取った。










「じゃあ何で収容所なんてものがあるんだ?」










彼女はすぐに返答できなかった。
まさか、この男が収容所のことまで知っているとは思わなかったからだ。
男は更に言葉を続けた










「俺も何度かY国に足を運んだが、何人もの人間が死んでいくのを見てきた。病気になっても医者にかかることが出来なかったり、貧しさのために飢えて死んでいったり・・・でも、君主はそれを知っても何の解決策をとろうともしない。自分は豪勢な屋敷に住み、贅沢な食事をとっているというのに・・・そんな君主を君は敬うというのか?国民を見殺しにするような君主だぞ!?」
「く、君主様の悪口は言わないでよ!」



一気にまくしたてる男に何とか声を絞り出すが、その声に覇気はない。
そんな彼女に追い討ちをかけるかのごとく、男が言葉を放つ。










「君は、自分の家族や親しい友人が病気になって医者にかかることができずに死んでいくのを見ても、今と同じことが言えるか?」




















男の言葉は的確に彼女の『核』を突いた。
今まで抑えていた『想い』が、胸の奥から競りあがってくる。



感情的になってはいけない、これは私を取り込むための罠だ       



彼女は思わず反論しようとする自分にそう言い聞かせた。
そして、彼らの言いなりになったことで、国や両親の変わり果てた姿を思い浮かべる。




















私がしっかりしないと、皆不幸になってしまう。










大きく息を吸い込んで、彼女は男の瞳と向き合った。
「何度聞かれても答えは同じよ。私達国民は、母国に忠誠を誓っているの。一国の主が国民よりいい暮らしをしているのは当たり前でしょ?」

男の片眉がぴくりと上がった。
そんな彼に対して、彼女は無表情に続ける。

「それに、君主様は他国から私達を守るために、私ごときでは理解できないようなご心労を抱えていらっしゃるの。それを思ったら、貧しさくらい何よ。そう思っているのは私だけではないはずよ」



言葉にしていくうちに、段々と落ち着きを取り戻してきた。



「確かに、反乱分子はいるわ。でも、それはどこの国でも同じこと。そういった輩(やから)を収容所に入れるのも、国の秩序を保つ立派な役目なのよ」
「国の秩序を保つ?収容所に入れられた人間こそが、Y国を正しい道に導くかもしれないのに?」



男の問いには答えず、彼女は手を伸ばしてテレビを消した。
ぷつん、という音と共に、画面が黒いガラス板に変わった。










そこに映る彼女は、紛れもなくスパイの顔をしていた。










「・・・随分と手間の掛かることをするのね。そうまでして、Y国の情報が欲しいの?」
「何?」
そう言われても、男には何のことだか分からない。
首を傾げる男をきっと睨んで、
「とぼけないで。こんなもの、いつ撮影したの?S国にも、Y国と同じような街並みがあったとは知らなかったわ。もう少しでだまされるところだったけど、残念ね」



どうやら、今の映像は彼女をだますためにS国が用意した作り物だと思われているらしい。



違う、と言いかけてやめた。
今の彼女の瞳は、先日のように怒りに燃えていない代わりに氷のように冷たい。
瞳同様、心まで凍らせている彼女に、何を言っても無駄だと悟った。










他にかけるべき言葉が思いつかなかった。



「・・・また来るよ・・・」
力なく言って立ち上がる。










ふと、テーブルのマーガレットが目に入った。
テレビをつけることに頭が一杯で、花のことをすっかり失念していた。










男は備え付けのコップに水を注ぎ、その中にマーガレットを挿す。
とん、と置かれたその花を見て、彼女は怪訝そうに花と男を見比べた。



「何、これ」
「半分はお見舞い・・・もう半分は、この前のお詫びかな」



この前、と言われてすぐに何のことか思い当たった。
途端に彼女の表情が険しくなり、
「いらないわよ、こんなの」
と言って邪険にコップごと花を払いのけようとする。

しかし、その手を男がやんわりと掴んだ。










「花に罪は無いんだ。八つ当たりするなら、俺のほうにしてくれないか」










その瞳は今まで向けられていたものと違い、酷くやさしい。
不覚にもどきん、と胸が高鳴り、それを感づかれないようにそっぽを向いた。

「今度は随分と古典的な方法を使うのね。おまけにそんな気障(きざ)な台詞・・・」

そこまで言った途端、男が吹き出した。
何を吹き出すのか、と不機嫌そうに眉をひそめると、



「すまない、同じことを知り合いに言われたものだから、つい・・・」



笑いをこらえる男に、彼女は憮然としている。
そんな彼女の表情に気付き、男は小さく咳払いをして笑いを引っ込めた。



「じゃあ、今度こそこれで・・・」
そう言って、男は背中を向けた。

彼女は無言で彼の背中を見送っていた。
先ほど、男と自分の父親の姿が重なったことを思い出す。










な、何でお父さんとあの男が重なるのよ!










今浮かんだ考えを振り払おうとしつつ、彼女は父親の背中と、男のそれを比べてみた。



彼女の父親の背中は、広くて大きい。
対して、男はそうではない。
むしろ、父親の背中に隠れてしまいそうだ。










ほら、やっぱりお父さんとは違う。











何で、少しでも似ていると思ってしまったのだろう。
この男と父親はこんなにも違うのに。



そんなことを思いながら男の背中を見つめていると、不意に男が立ち止まった。
そうだ、と思い出したように顔だけ向ける彼から、慌てて視線を逸らす。



「今のニュース、夕方辺りに続報が流れるかもしれない。その時にまた一緒に見てみよう
「・・・まだそういうこと言うの?」
さすがに怒りを通り越して呆れてくる。
だが、男は冷めた眼差しを彼女に向け、こう言った。










「生憎とそんな仕掛けを作るほど、俺は暇じゃない」










恐ろしいほどまっすぐな瞳は、男の言葉が真実であることを証明している。
しかし、彼女の中にある『女スパイ』の顔がそれを否定した。










だまされてはいけない         











この男は敵国であるS国の人間なのだ。
彼の言葉を信じるわけにはいかなかった。



例え、彼女の本能が『信じていい』と告げていても。










「信じると思っているの?この私が」
男のまっすぐな視線を正面から受け止めて、毅然とした態度を崩さずにそう答えた。

そんな彼女を一瞥して、
「信じる信じないは勝手だが、俺は今まで君に嘘をついたことはないよ」
再び顔を戻した男から、その表情を読むことは出来なかった。










それじゃあ夕方に、と言い残して彼は病室を出て行った。





















「何が『夕方に』よ」
思わずコップに手が伸び、それを投げつけたい衝動に駆られたが、寸前でやめた。
悔しいがそれでは男の言うとおり、ただの八つ当たりだ。



「・・・確かに、花相手に当たってもしょうがないわね」
つん、と花をつつくと彼女の表情が和(やわ)らいだものに変わる。










その時、彼女の口元に小さな笑みが浮かんだことに、彼女自身も気付かずにいた。










「かわいい・・・何て名前かしら?」
女スパイと呼ばれても、花を愛する心くらい持ち合わせている。
ただ、その時間がなかっただけ。



国に帰れば、季節ごとに色とりどりの花が人々の目を楽しませる。
しかし最近は、任務に忙殺されて花に目を向ける余裕すらなかった。



「これと同じような色で、もうちょっと小さい花なら首都へ行く途中に咲いていたわね」
枝分かれして、小さな花を幾つも咲かせる品種なら、彼女も首都に続く街道で何度か見かけている。











テレビに出ていた武装集団も、あの街道を通ったのかしら?











あの映像は、S国がでっち上げた作り物だと信じたい。
だけど、Y国にも反乱分子がいることは事実。



彼らは皆、収容所に送られるが、そうなる前にうまく身を隠す人間もいる。
そういった人間が集まり、武器を手にすれば、たちまち軍隊並みの武力を持つ集団が出来上がる。



すぐに鎮圧されれば怪我人も少なくて済むが、もしそうならなかったら        最悪の結果が待っている。










同じ国民同士で殺しあうの?
中には知っている顔もいるかもしれないのに          










大きく頭を振って、恐ろしい考えを振り払った。



惑わされてはいけない。
あの映像が作りものだという可能性だってあるのだ。










あの男は、夕方にまた続報が流れるかもしれないと言った。
ならば、その時の映像に注意しなくては。










ひょっとしたら、どこか矛盾した映像が出てくるかもしれない。
そうすれば、反乱の知らせがS国の作り話であることが証明される。










今度は冷静になって見定めなければ。










触れなくても分かる。
今、彼女の心臓は他の人間に聞こえるのではないかと思うほど、大きく波打っている。



落ち着け、落ち着くのよ          



鼓動を静めるかのように、彼女は自分の胸を押さえた。










全ては今日の夕方に         










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何か、ここまで書くと毎回クライマックスになっているような・・・

Y国の国民は、君主によって狂った思考を植えつけられている、という設定ですが、国民全員というわけではありません。
人間は一人一人、「心」というものを持ち合わせています。
それを第三者が完全に支配するのは不可能だと思っています。
そうすると「間違っている」と感じる人も出てくるわけですよ。

そういう人たちが集まって、やがて反乱を起こす。

今回「Y国内で反乱」の報を受け、女スパイは激しく動揺してます。
果たして、彼女のとる道は・・・?