宙船(そらふね)



薫達が戻ってきたことに気付いて、剣心は風呂焚きの手を止めた。
「おろ?やけに早いでござるな・・・」
二人は母屋に入らず、道場に向かったらしい。
道場に入ると今まさに二人だけで稽古を始めようとしているところであった。

「薫殿、弥彦。一体どうしたのでござるか」

声をかけると弥彦が口を開く前に薫が振り向いて答えた。
「うん、先方の都合で早く終わっちゃったの。だからこれから二人で少し体を動かしておくわ」
「左様でござるか、前川殿の都合で」
「でもお風呂には入りたいからよろしくね!」
あい分かったと返事をして道場を後にしたが、



「・・・・・薫殿、何かあったのでござろうか?」
と首を捻った。



今朝まで露骨に剣心を避けていたのに、今はどうだ。
全て忘れてしまっているかのように普通に会話している。

理由を聞きたいが、それを己が聞くのは何となく憚られた。
(後で弥彦にでも聞いてみよう)
だが稽古が終わると弥彦は最近勤め始めた赤べこに行ってしまい、帰ってくるなり疲れ果てて眠ってしまった。
では翌日にでも、と考えていた剣心であったが、朝早くから左之助が飯をたかりに来て、そのままいつもの家事をこなすようになったため、なかなか弥彦と話す機会がない。
ようやく手が空いたのは昼餉が過ぎた頃だった。
「弥彦、ちょっと・・・」
剣心が手招きしたのと玄関先から呼びかける声が聞こえたのはほぼ同時であった。










「ごめんください」
訪ねてきたのは地味だが清潔な洋服を身に着けた老執事。
実直そうな人柄がそのまま映し出されているようだ。

「神谷薫は私ですが」
彼の尋ね人が自分だと知ると、薫が一歩前に出た。

「ではこれを」
差し出されたのは「招待状」と書かれた一通の封書。
裏を返すと薫の瞳に緊張が走った。
「石動雷十太?」
横から覗き込んだ剣心の目にその名が入った。
「知り合いでござるか?」
問いかけには弥彦が代わりに答えた。



「昨日前川道場で暴れた奴じゃねえか。何でこんな・・・」
「弥彦!」



続けようとする弥彦を厳しく制したのは薫である。
が、それきり口をつぐんで封書の中身を改めていた。
何も語ろうとしない薫を一瞥してから剣心は視線を老執事に向け、尋ねた。
「その者が何故薫殿を?」
「さぁ・・・私はただの執事ですので・・・」
どうやらただ招待状を手渡しに来たわけではなさそうだ。
聞けば表に馬車を待たせてあるという。
つまり、これから一緒に来てくれと暗に言っているのだ。
一通り中身を読んだ薫が顔を上げた。
「分かりました。急なことですので、このままの格好で伺うことになりますがよろしいでしょうか?」
「構いません。さ、どうぞこちらへ」

老執事に促されるまま、薫は表に出ようとする。
事情の分からぬ剣心ではあったが、このまま黙って見送ることはしなかった。

「薫殿」
少し低めの声に薫の足が止まった。
が、彼女は振り向くことはせず、
「ごめんね、帰ってきたらちゃんと説明するからここで待ってて」
そして今度こそ老執事の後についていった。




















薫を乗せた馬車が止まったのはどこぞの大名屋敷かと思うほどの広大な邸宅であった。
母屋へ続く庭を見ても手入れが行き届いているのが分かる。
昨日見た雷十太とこの大邸宅ではどう贔屓目に見ても不釣合いだ。
正直な感想を胸にもう一度自分宛の招待状を確かめるが、やはり差出人の名前は雷十太である。

(こんな大きな家に住んでいるほど大金持ちには見えなかったんだけどな)
一人取り残され所在無く視線をさまよわせていると、母屋から精悍な顔立ちをした男性が出てきた。

「神谷薫さんでいらっしゃいますか?」
「あ、はい」
「初めまして。私はこの家の主で塚山由左衛門と申します」
塚山と言う名で思い出した。
確か雷十太の連れてきた少年も塚山と言っていなかったか。
「それでは先生のもとへご案内いたします。お連れの方々は母屋でお待ちいただければと」
「連れ?」



何気なく聞き流していたがはっとして振り返ると、何と門の辺りから剣心がこちらに向かって手を振っているではないか。



「剣心!?」
剣心だけではない。
見れば同じように手をひらつかせている左之助と、居心地悪そうにしている弥彦が並んでいた。
薫が出た後、走って追いかけてきたのだろうか。
その推測は、弥彦が左之助に抱えられていることからあながち外れてはいないと思われ。
「何で?家で待っているはずじゃ・・・あー!弥彦、アンタしゃべったわね!?」
そのまま叱りつけようとする薫を止めたのは剣心と左之助である。
「まぁまぁ薫殿、落ち着いて」
「これが落ち着いてられますか!師匠の言いつけを破った弟子を叱るのは当然でしょ!?」
「違うって嬢ちゃん。弥彦は嬢ちゃんとの約束を破ったわけじゃねえよ」
「じゃあ何であんた達がここにいるのッ」
怒りの矛先が左之助に向けられる。
が、左之助は涼しい顔で、
「そりゃ、俺が弥彦から話を聞いたからな。何でこんな面白いこと黙ってたんだよ」
「面白くない!ていうか今は弥彦がしゃべったことについて怒ってんのよ!」

「だから弥彦は悪くねえって。だって嬢ちゃんは『剣心には話すな』って言ったんだろ?俺相手なら全然問題ないしよ」

あっさりとした回答に体中の力が抜けた。
(左之助にも話すなって伝えなかった私が悪いのかしら?ああもう何なのよ、この言いようのない敗北感は・・・ッ)
玉砂利に膝をついて脱力している薫に、剣心が声をかける。



「事の次第はよく分かった。しかし素性が分からぬ者に無闇に立ち向かっていくのは感心せぬよ」
「道場破りなんだから素性が分からないのは当然でしょ・・・」
それもそうかと納得している剣心に余計げんなりした。



「〜〜〜〜〜とにかく!黙っていたことは謝るけど、昨日試合をした時点でこれは私の問題よ。剣心達には関係ないんだからッ」
「おいおい嬢ちゃん、これでも一応心配しているんだぜ?負けず嫌いもほどほどにしとけよ」
宥められても怒りしか湧いてこない。

「心配されるほど柔じゃないわ!石動雷十太とは私一人で会ってくるから、あんた達は今度こそ母屋でおとなしく待っていなさいよ?後を尾けて来たりしたら三人まとめてシメルわよッ」

憤怒の形相で言われては黙って頷くしかない。
塚山と剣心達が簡単に自己紹介している最中に由太郎が現れ、あわや弥彦と乱闘かと思われたが双方大人に止められその場はおさまった。
そして剣心達三人は由太郎からもてなしを受けることになり、これなら尾いてくる心配もないと胸を撫で下ろしながら薫は塚山と共に庭園に向かった。















対面場所は塚山邸庭園に設けられた池のほとり。
再会した雷十太は昨日の奇抜な格好とは打って変わって羽織に袴という姿だった。
案内される途中、薫は塚山から彼自身のこと、雷十太との間柄を知った。
真新しい羽織は塚山が彼のために仕立てさせたのだろうか。
しかし腰に大小を帯びているのは変わらない。
それとは別に、彼の手にはもう一本刀がある。

「ではごゆっくり・・・」

塚山が消えると早速薫は切り出した。
「私に一体何の用?」
昨日の試合の件であればすぐ話は終わるはずだった。
だが、雷十太の口から発せられたのは薫の予想を裏切るものだった。



「神谷、お主は今の日本剣術をどう感じておる?」



唐突に問われ、一瞬詰まった。
薫の沈黙をどう捉えたのかは分からないが、雷十太は己の考えをぶつけてきた。
それだけではない。
雷十太が興した「真古流」の一員にと誘われたのだ。
「私にあなたの門下に入れってこと?悪いけど私には既に神谷活心流が」
「そうではない。第一我輩の真古流に型や技はない」

ただ『強い』ということ。
それが「真古流」の第一条件だというのだ。

それではまるで流派と言うより剣客集団と言ったほうが早い気がする。
その疑問をぶつけると、そうとらえても結構と怒ることなく受け止めた。



(強ければ何でもありなんて)



しかし現実には日本全国まわっていても雷十太が認めるほどの強さを持つ者は僅かだと言う。
「その中でも我輩の秘剣『飯縄』をよけたのはお主が初めてだ」
薫の脳裏に陽炎のような剣先が蘇った。
(あれが秘剣「飯縄」)
更に雷十太は続ける。
「我輩と数名の同志にお主が加われば今ある剣術五百余流派を根こそぎ根絶できるはず」
「根絶・・・?再興ではないの?」
思いがけない言葉に眉をひそめた。
「再興である。だがその前に無能なものを取り除く作業が必要」
「取り除くって・・・!」










雷十太が語る再興計画と言うのは薫にとって受け入れがたいものであった。
竹刀剣術を全て潰し、最終的には「真古流」を日本唯一の正統剣術として再興を始めるというのだ。










「ちょっと待ってよ!竹刀剣術を潰すって事はウチの道場     神谷活心流も潰すって事!?」
「いや、潰すのはあくまで竹刀剣術のみ。真古流で日本剣術が再興した暁には、神谷活心流も真古流の流れを汲む流派として継続させる・・・・古流剣術を『真古流』に換えて明治の世に再興するのだ!!!」
いきり立つ薫に雷十太は諭す。
が、彼の説得は更に薫の拒絶を生んだだけであった。
「目指すは他のどんな武術はもちろん、西洋銃火器にも負けぬ無敵の剣術」
「古流剣術を・・・殺人剣を活心流で伝えろと?」
「剣術とはもともと殺人のための技術。今の主流たるしない剣術などがまがい物である」
か、と頭に血が上った。
「あっそう。じゃあ私はあなたの言う『真古流』とやらには入れないわ」
「何?」
「活心流は人を殺すためではなく活かす剣。あなたと私とは最初から相容れなかったのよ」

それに、と薫は続けた。

「まがい物と言われても私は竹刀剣術で活心流を再興してみせる!仮に殺人剣で剣術が栄えたとしてもそんなのちっとも嬉しくないし、逆に悲しむ人がいることを私は知っているもの」
強い目で見据えてから、薫は踵を返し一歩踏み出した。



雷十太の言うこともあながち間違いではない。
西洋文化が流れ込み、斬るよりも簡単に人を殺せる銃火器も出現している。
厳しい修行を重ねて剣の道を極めようとする者は少なくなった。
それでも越路郎から受け継いだ活心流を理ともども守っていく。



(これでいいのよね。義父上、剣心     )
背筋をまっすぐ伸ばして歩く姿は、先程の言葉が真実なのだと感じられる後姿だった。
雷十太はしばし少女の背中を見送っていたが、やがてその目には狂気の光が帯び始めた。

ちりり、と焦げるような剣気が薫を襲う。

ゆっくり振り返り、再び雷十太と対峙した。
おもむろに雷十太が今まで手にしていた刀を鞘ごと放った。
足元に転がってきた刀に視線を落とすと、
「構えろ。剣と剣でしか分かり合えぬのであればこれで語り合わねばならぬ」
雷十太に視線を戻した。
既に彼は抜き身の刀を薫に向けていた。
対して薫は足元の刀を手にしたのはいいものの、抜かずに両手で抱えている。
それでも視線はまっすぐに雷十太に注がれたままだ。
風に運ばれた木の葉が二人の間に滑り込んだそのとき、雷十太が大きく振りかぶった!

ギィン!!!!

己の剣を受け止められ、雷十太の目が見開かれた。
いや、そうではない。
彼の目は突如現れた赤毛の剣客に注がれていた。



「薫殿と同意見でござるな。殺人剣のはびこる世の中ならばこっちから願い下げだ」



剣心の逆刃刀が雷十太の豪剣を受け止め、これ以上の攻撃を許さない。
小柄な体で受け止めたこともそうだが、それよりも木の葉がきっかけで攻撃すると分かった瞬間に立ちふさがった速さに戦慄した。
「お主、何者だ」
目を丸くしている薫を背後に庇ったままで剣心は名乗った。

「拙者は緋村剣心。神谷道場の食客でござる」






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その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者におまえのオールをまかせるな

Song:TOKIO