LITTLE WING
自分を狙ったはずの狂剣が防がれ、しかもそれを防いだのが己のよく知る人物であることに気付くと口から勝手に言葉が飛び出ていた。
「剣心、母屋にいたはずじゃないの!?」
「ちゃんとこの家の御子息よりもてなしは受けたでござるよ。あまりに見事な庭園ゆえ、散策していたら偶然にも薫殿の姿が見えたもので・・・」
無理のある言い訳に突っ込みたい気持ちでいっぱいだったが、剣心の意識は目の前に立ちふさがる雷十太に向けられているのを感じ取り、薫は口をつぐんだ。
依然として刀同士は交差したままだ。
ちりちり、と小さな金属音が断続的に聞こえているのは力が加えられている証拠。
それが剣心と雷十太、どちらのものかは分からないが。
その力が不意に緩められ、雷十太が剣を下ろした。
相手の戦意が静まったのを感じた剣心は、自分から仕掛けようとはしなかった。
「そうか、この町に腕の立つ流浪人がいると聞いたがそれが貴様か。この娘の道場の食客であるなら我輩と戦う理由はありそうだな」
挑戦的とも取れる問いに剣心は無言で刀を掲げた。
「必要とあれば相手をいたす。が、拙者は殺人剣を振るう気はござらん」
静かに納刀するそれが逆刃であることは雷十太にも分かったはずだ。
しかし雷十太がおとなしく退くはずがなく。
「 これでも戦わぬと?」
雷十太が剣心から離れ、上段に構える。
そのまま振りかぶると前川道場のときと同じように一瞬剣先が歪み、轟音と共に剣が橋に叩きつけられた。
違うのは前川道場の床とは違い、更に大きく裂かれた切断面。
薫は二度目だが、剣心にとっては初めて目にする技であった。
(真剣でこれほどの威力であればおそらく金剛石でも真っ二つにしたはず)
それに技を極める瞬間に発生した剣先の歪み。
弥彦から話には聞いていたが、あんな現象が発生する技など今まで聞いたことも見たこともなかった。
まともに食らえば刀ごと斬られる。
「剣心」
剣心の緊張を読み取ったのか。
背後からのひそやかな呼びかけに、剣心は顔だけ振り向かせた。
安心させるために微笑んでみせると、薫と距離を置き雷十太と向き合う。
「見たところ貴様も古流剣術の使い手。ならば日本の剣術が廃れていくのを見てもなんとも思わんのか」
「拙者とて剣客の端くれ。剣術の未来を憂う気持ちはある」
だが、と剣心は抜刀の構えを取った。
「他のものを虐げ活人剣を潰そうというのならば、拙者は全力を持ってお主を阻止する」
「その小娘も人を活かす剣などとほざいていたが、活人剣など戦いにおいて何の役に立つ?所詮は小娘の戯言よ」
活人剣の理は実戦を積んだ者から見れば夢物語に過ぎぬ。
実際今までも何度現実を突きつけられたことか。
つきりと痛む薫の胸に剣心の言葉が力強く響いた。
「殺人という剣術の本質を否定する気はござらん。しかし現実に薫殿は活人剣を以って剣術を後世に伝えようとしている。お主と考え方は違えど、剣術の未来を考えている点では同じではないのか」
しかし雷十太の反応は冷ややかなものだった。
「違う。剣術とは相手を完膚なきまでに叩きのめし、畏怖させるほどの存在でなければならないのだ」
そして話は仕舞いとばかりに構える。
両者とも動かず、相手の出方を見ている。
先程まで聞こえていた鳥の鳴き声も池の鯉が跳ねる水音も聞こえない。
緊張感高まるこの場に感嘆の声が響き渡ったのはそんな時だった。
「おお!さすが達人同士の手合わせ!迫力が違いますなぁ」
見れば茶を載せた盆を手にした塚山が声同様、少し興奮した様子で対峙する二人を眺めていた。
が、自分の声で中断させてしまったことに気付き、すぐばつが悪そうな表情になる。
「あ・・・気にせず続けてください。お茶はここに置きますから」
言葉通り茶を置いて、去っていく塚山の背中を雷十太が忌々しそうに睨んだが、薫はほっと胸を撫で下ろした。
表情こそ変わらぬが剣心も張り詰めていた気が少し和らいだように見える。
「邪魔が入ったな。勝負は一時預けよう。だが忘れるな」
納刀した雷十太が歩き出し、すれ違いざま言った。
「我輩に力を貸すか。我輩に殺されるか。お前達の道は二つに一つだ」
「どちらの道も御免こうむるさ」
剣心に同調するように薫も大きく頷いた。
二人を嘲笑うかのように雷十太は鼻を鳴らし、彼は庭園を後にした。
雷十太の姿が見えなくなると待ちかねたように薫が口火を切った。
「さてと。何でここにいるのかじっくり聞かせてもらいましょうかね」
可愛らしい笑顔の中に怒気が込められているのは誰の目から見ても明らかだ。
剣心の額に玉のような冷や汗が幾粒も浮かぶ。
近くに潜んでいた左之助と弥彦が危険を察してこっそり逃げようとしたが、
「そしてそこの二人!逃げようったってそうはいかないわよッ」
「げ、何で分かったんだよ!?」
「あんた達のやることなんて全てお見通しよ!」
今にも頭に角が生えそうな薫に見つかり、結局三人揃って並ぶ羽目になった。
事情を聞いた薫が慌てて由太郎のもとに駆けつけたが、そこで彼の見たものは顔の原形をとどめていないほど痛めつけられた三人の男達だった。
自分を木に縛り付けた犯人達とはいえ、その痛々しいほどの有様に由太郎は一抹の哀れすら感じた。
が、すぐ自分が被害を受けたことを思い出し激昂したのは少年の年齢を考えると至極当然といえよう。
「ギャーギャーわめく元気があるならあのデカブツの金魚の糞してねーで一人で道場へ来い!」
由太郎の騒ぎように辟易したのか。
弥彦の言葉に何も言い返せず、悔しげな表情で黙り込んだ由太郎を尻目に一同は帰路についた。
小さな事件が起きたのは翌日早朝。
「たのもーッ、たのもー!!」
威勢のいい声と何度も門を叩く音が神谷道場に響き渡る。
近所迷惑になる前に剣心が出てみれば、全く悪びれた様子を見せない由太郎が立っていた。
「おろ、こんな朝早く何の用でござるか?」
しかし由太郎は剣心の問いかけを無視して横柄な物言いで言い放った。
「あいつを呼べ!」
「はて、あいつとは?」
「あいつと言ったらあいつだよ!あのクソ生意気なチビ!!」
「ああ、弥彦のことでござるか。すまぬがまだ眠っているゆえ、時間を改めて来てはもらえぬか」
どこまでもおっとりとした対応に由太郎の苛々が頂点に達した。
「眠っていようが何だろうが一人で来いと言ったのはあいつだ!いいから今すぐ叩き起こしてこいよッ」
どうやら弥彦に会うまで帰る気はないらしい。
人を訪ねる時間を考えれば非常識とも取れる行動だが、「来い」と言ったのは確かに弥彦だ。
由太郎の言うことももっともである。
それにこれ以上言い合っていたら近所の誰かが起き出してしまうかもしれない。
「あい分かった。しかし弥彦は神谷道場の門下生。お主を中に入れる前に師匠である薫殿に事情を説明せねばならぬゆえ、今しばらくここで 」
「その必要はないわ」
いつの間にか薫が表に出てきて、こちらに歩み寄ってきた。
起き抜けのせいか、少し気だるそうだ。
家から出てきたことに気付かず、僅かばかり驚いている剣心に構わず薫は由太郎に話しかけた。
「由太郎君、だったわね。昨日は本当にごめんなさい」
「別に・・・あんたにやられたわけじゃないし」
由太郎の目線に合わせて腰をかがめた年上女性の視線をまともに受け取ることが出来ず、口調がぶっきらぼうになったが薫は気にしていないようで小さく微笑んだ。
「弥彦に用っていうのは、要するに試合をしたいってこと?」
「それ以外に何があるんだよ」
唇を尖らせる由太郎を一瞬凝視してから、
「それじゃ、弥彦を起こしてくるわね。剣心、この子を庭に案内して」
「承知した」
剣心が由太郎を庭に案内すると、ちょうど薫に起こされた弥彦が眠い目をこすりながら現れたところだった。
「あのなぁ・・・てめぇ、今何時だと思ってんだよ」
気持ちよく眠っていたところを無理やり起こされたせいでかなり機嫌が悪い。
しかし由太郎も負けてはいない。
「時間なんて言ってねーだろ!さあ、勝負だ!!」
「だからってお前な・・・ッ」
今にもブチ切れそうな弥彦を嗜めたのは薫だ。
「言い出したのはあんたでしょ。だったらごちゃごちゃ言わないの」
師匠から命じられ、渋々ながら弥彦が由太郎を道場に案内するが、ずっと言い争っている。
遠くなる声に向かって薫が叫んだ。
「私が行くまで始めちゃ駄目よ!」
自分の声が頭に響いたのか、薫がこめかみを押さえた。
それを見た剣心が口を開く。
「薫殿、どこか具合でも?」
どことなく元気がないことがずっと気になっていた。
しかし薫は眉尻を下げて否定した。
「あ、そうじゃないの。今日は少し眠れたんだけど、夢見が悪くて。久しぶりに眠ったと思ったらこれだもの」
いやになっちゃう、とおどけて言う薫だが、その瞳はいつもに比べるとどんよりしている。
そんな剣心を安心させるためか、彼が口を開く前に明るく言った。
「あれでも一応門下生ですもの、私がちゃんと見ていないと」
「大丈夫でござるか?」
ありきたりなことしか言えない自分が嫌になる。
薫の口元を笑みが縁取り、
「何かしていたほうが気分もすっきりするわ」
そして支度のために自室へ戻った。
本人は平気そうにしているが、やはり重いものが心にのしかかっているようだ。
試合の合図をした時も覇気がなく、弥彦に「気合が入ってねーッ!!」と竹刀で叩かれていた。
さすがに本人もまずいと思ったのだろう。
剣心と目が合ったとき、ばつが悪そうにぺろりと舌を出した。
「一本目!!」
二回目の合図が道場に響いた。
「行くぜ!!」
まっすぐな眼差しと力強く握られた竹刀。
真剣勝負に立ち向かう少年に清々しさを覚えるが、ほどなくして薫と弥彦と剣心の目が丸くなる。
「お前・・・竹刀の持ち方違ってねーか?」
弥彦の指摘は図星だったようで、由太郎は傍から見ても分かるほどうろたえていた。
彼は剣術の稽古を受けたことがないという。
由太郎が朝早く訪れた理由もそこにあったのだった。
「雷十太は稽古をつけてはくれぬのか?」
殺人剣とまではいかずとも剣術の基本くらいは教え込まれているとばかり思っていた。
剣心の問いは由太郎の瞳に寂しげな色を映し出した。
「先生は今、真古流を興そうと忙しいんだ」
尊敬する雷十太から直接教えを乞いたいだろうに、それでも師である男がやろうとしていることの偉大さを自分なりに理解していた。
弥彦と同じ年頃でありながら己の望みを押さえ込む由太郎がいじらしい。
同情したわけではないが、剣の道を志していながら剣を取ることも出来ずにいる若者をこのまま帰すわけにはいかなかった。
「いいわ。せっかく来たんだから今日は私が教えてあげる」
「え?」
言われた言葉に目を丸くしている由太郎の手にしなやかな指が触れた。
「いい?まずは竹刀の持ち方」
必然的に薫の端正な顔を至近距離で見つめることになり、少年の頬がほんのり赤くなった。
「何赤くなってんだよ、このエロガキ」
意地の悪い指摘は当たらずとも遠からずと言ったところか。
「う、うるせーッ」
「弥彦、チャチャ入れないの!」
由太郎の抗議に次いで薫の嗜める声が弥彦に飛ぶ。
「フン、勝手にやってろ」
面白くなさそうな弥彦を無視して薫は再び由太郎と向き合った。
基礎から始め、上段からの素振りを繰り返す由太郎の元気な掛け声が響く。
「面!面!」
「そうそう、その調子!上手じゃない由太郎君」
薫からの賛辞に由太郎の表情が明るくなる。
「ホントか!」
「ホントホント、素質あるわよ」
「よっしゃあ!」
無邪気に喜ぶ由太郎とは対照的に弥彦は仏頂面で二人の稽古を眺めていた。
(稽古をつけてほしいならそう言えばよかろうに・・・全く素直じゃない)
人数分の握り飯を作ってきた剣心が道場の入り口からそっと様子を伺えば嫌でも不貞腐れた少年が目に入る。
笑いを噛み殺しながら中に入って弥彦に握り飯を渡せば、誰にともなく吐き出した不満で剣心は思っていたことが間違っていないと知る。
薫に握り飯を渡すときに小声で一番弟子の様子を囁けば、
「もう、子供なんだから・・・弥彦ォ」」
しかし名前を呼ばれたからといって素直に飛びつけるわけではなく、いつもの憎まれ口が飛び出してきた。
「何だブス!」
「何ィーーーーーーッ!!!」
かくして問答という名の口喧嘩が始まった。
お互いを口汚く罵る師弟に苦笑するしかないが、薫がいつもの調子に戻ったことにほっと胸を撫で下ろしたことは当の本人しか知るまい。
今朝顔を合わせたときはあまりよくなかった顔色が、今は大分よくなっているのが分かる。
やる気のある少年達に稽古をつけることにより、薫自身の気力も取り戻したのだろうか。
試しに握り飯を受け取ろうとしない由太郎に、
「味は薫殿の作ったのよりはいいはずでござるよ」
と言ってみればそれを耳聡く聞いた薫の鉄拳が飛んできた。
(よかった、いつもの薫殿だ)
頭にこさえた大きなたんこぶは高くついたが、それでも元気のない薫を見るよりずっといい。
知らずに漏れた笑みはそのままに、剣心は由太郎の隣に腰を下ろした。
「あっ、コラ勝手に横に座るんじゃねーよ!」
昨日出会ってから、由太郎にとって剣心は「尊敬する雷十太先生の敵」と認識されたらしい。
敵と言えば確かに敵だが、ここまで邪険にされると少し傷つく。
「どうだ、竹刀剣術は面白いでござるか?」
それでもめげずに話しかけてみれば一瞬だけ考え込む素振りを見せてから、
「・・・所詮は遊びだからな。遊びは面白いに決まってるさ」
やれやれ、と由太郎に気付かれないように小さく嘆息する。
先程まで初めての稽古に胸躍らせ、上達振りを褒められれば更に上を目指して意気込んでいたはずなのに。
(素直でないのは弥彦と同じでござるな)
しかし強さを求める理由は弥彦と正反対だ。
武士とはその身分に恥じぬよう己を磨き、誰に媚びることなく携えた剣と共に生きていく。
弥彦同様士族の出である由太郎にとって、『武士』というのは己の強さと誇りを持つ存在として彼の心の中に君臨している。
しかし父親である塚山に剣の才はなく、あるのは商いの才。
「俺は先生のような無敵の剣客になって親父を見返してやるんだ」
彼にとって父親は、武士の象徴ともいえる刀を揉み手しながら売りつけている卑しい存在だ。
「でも稽古をつけてもらえないようじゃいつまでたっても強くなれないわよ」
由太郎の話で重くなっていた空気は決然とした声で霧散した。
ぐっと詰まった由太郎をまっすぐ見つめ、薫は一つの提案をする。
「由太郎君、よければあなた、ウチに入門してみない?」
弥彦と由太郎、それぞれ違う意味で仰天した。
「見返すとか叩きつけるとかっていう気持ちは置いといて、まず剣術をやりたいって気持ちだけで稽古を受けてみて」
弥彦と競い合えばきっと強くなる 薫から告げられた言葉が耳に残った。
遊びと言ったが、気付いたら時間を忘れて稽古にのめり込んでいた。
「俺が・・・ここに入門?」
剣術を習い、強くなる。
由太郎の心は揺れた。
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夢見る重さに負けちゃいけない
傷つく勇気を忘れちゃだめさ
Song:LINDBERG