「間違いない、ここだな」

門に掲げられた道場の看板を確認すると背後に控えていた仲間達を一瞥する。
先頭に立つ男と同様、皆揃いの編み笠を被っているため表情は窺えないが、全身に緊張感を漲らせた。
「相手は先生が一目置くほどの剣客だ。油断召されるな!」
彼らの手には抜き身の得物。
明らかに攻撃の意思を持っていることは一目瞭然であろう。
四人の招かれざる客が門をくぐった。
目指すは賑やかな声が響く道場     










ベスト オブ ヒーロー



神谷道場に入門     薫の提案に異を唱えたのは弥彦だ。
「俺は反対だぞ!」
「お前・・・さては俺が稽古して自分より強くなるのを恐れているな」
小馬鹿にしたような言葉が火種となり、少年同士遠慮のない言い合いが続く。
「こら、二人ともっ」
半ば呆れて止めに入る薫の存在など見えていないだろう。
反対するのも無理はないか、と剣心は苦笑した。
弥彦から見れば由太郎は自分達に危害を加えようとする雷十太の弟子だ。
薫と剣心が真古流に加わることを拒否した時から、彼らの間には深い溝が出来た。
だが、それさえなければ弥彦と由太郎は共に競い合い、力を伸ばすことができよう。



脳内で繰り広げられていた微笑ましい光景は、喧嘩を止めようとしていた薫の表情が厳しくなり、同時に外から伝わる敵意によって中断された。
「皆、壁に跳べッ」



剣心の言葉の意味を瞬時に理解し、薫は少年らの手を掴んで壁側に退いた。
「キエエッ!!」
裂帛の気合と共に道場の板戸から槍が突き現れた。
剣心も抜刀し、敵意の中心を一刀!
真っ二つに分断された板戸の向こうから現れたのはそれぞれ武器を手にした男四人。

一人は槍を。
一人は双身刀を。
残りの二人は日本刀を。

彼らは剣心を囲むようにして四方に分かれた。
薫にも行くかと思われたが、彼女には一瞥をくれただけでそれ以上のことはしないようだ。
狙いをまずこちらに定めたのか、あるいは手堅く一人ずつ片付ける気か     どちらにせよ、敵の目が己に集中していることは剣心にとっては好都合である。
油断なく相手の出方を待っていると、背後にいた長身の男から落ち着いた声がかかった。
「失敬、我々は」
「揃いの編み笠で分かるよ。雷十太のいう真古流の同士でござろう」
「それなら話は早い。単刀直入に伺いましょう」
口上を遮られても淡々と話を進めていく。
彼らは彼らで目的があってここに来たのだから。
「我々の同士になるか否か     状況をよく考えてお答えください」
静かな問いかけとは裏腹に、それぞれの武器は剣心に向けられている。
「説得か脅迫か知らぬが」
険しい視線が向けられたような気がするが、このくらいの嫌味は彼らの行動に比べれば軽いものだろう。
剣心は相手に悟られぬよう両足に力を込めた。
「拙者は自分の意志を変えるつもりはござらんよ」
空気が動いた。



「ならば死、あるのみ!!」



両側にいた二人が同時に剣を振り下ろすが、既に目標は上に跳んでいた。
     どうやら脅迫のほうでござるか」
冷ややかに見下ろす剣心の体が上空で一瞬停止し、落下する。
落下する瞬間の緩慢な動きを見逃す相手ではない。
「その首もらった!!」
恰幅のよい男がその体型に似合わず鋭く槍先を突き出してきた。
眼前に迫る槍に逆刃刀沿わせるようにして軽く押すと、難なく槍先から逃れる。
そのまま刃が滑るに任せると、自然相手の顔面を強打させる結果となった。
なす術もなく昏倒した彼と、最初に攻撃され中空に跳んだ際仕掛けた一撃で倒した僧侶風の男を抜かせば残すはあと二人。
泡を吹いて倒れる僧侶風の男に加えられた一撃は、仲間の誰も気付かなかったようだ。
「私が参りましょう」
立ち向かう相手がかなりの腕前と見て取り、長身の男の表情が変わった。
剣心もまた迎え撃とうと構えなおす。

が、それより早く相手が切り込んできた。

「!」
全力で向かってきたのだろう。
その力に剣心が圧された。
剣心より早く打ち込んだ上に切り返す隙を与えない連撃に、見守る薫の背中に冷たい汗が伝った。
「ぬうううッ!!」
一瞬でも隙を見せたらやられるのは分かっている。
だからこそ、長身の男は攻撃の手を緩めない。
しかし彼は一つ見誤っていた。
緋村剣心の強さは「速さ」だけではないということに。



「うおおぉぉぉおおおぉおおお!!!」



耳を劈(つんざ)くほどの轟音と雷声!!
連撃そのものを打ち砕くほどの一撃が放たれ、長身の男は戦いに敗れた。
「ひいい!」
完全に勝機を失ったと見て取るや、出目男が持っていた日本刀を捨て一目散に逃げ出した。
あと一歩で道場を出る、というところで視界が真っ暗になった。

「同志を打ち捨てて一人逃げようたぁ、あまり感心できねーな」

ぎりぎりと左之助の手が出目男の頭を締め付ける。
万力のように力を加えられ、引き剥がそうにも引き剥がせずくぐもった呻き声しか出ない。
「放してやるでござるよ左之。戦意を失くした者を討つ気はござらん」

剣心は出目男に雷十太への言伝を命じた。
来るなら一人で攻めて来い、と。

左之助から解放された出目男が這う這うの体で逃げていくのを見送ると、今度は悔しげな声がかかった。
「ったく・・・おめーは俺の居合わせない時に限って楽しい喧嘩しやがって」
「だから拙者は楽しくないって」
殺されてもおかしくないような事態のすぐ後なのに笑って話をしている剣心を見て、由太郎はへたりと床に尻をついた。



     この男、本当に強い・・・!



雷十太こそが日本一の剣豪だと信じている。
だが、この国には雷十太と同じように強い男がいるのだ。
(剣術・・・少しならここでやってみてもいいかな)
そう思えるほどに。

「で?」

誰に向けられたかは定かではないが、どこからともなく聞こえてきた怒りを含んだ声に一同の視線がそちらに向いた。
全員の視線を受けながら、薫は青筋を立てながらにっこり微笑み、
「だ・れ・が、これを弁償してくれるのかしら?」
背中に外の景色をたたえながら彼女が指差したのはもとは外へと通じる板戸が無残な木材と化した姿だった。
板戸を失った道場に寒風が吹きすさぶ。
剣心の顔が真っ青になったのは寒さのせいだけではなかった・・・・・















雷十太による真古流の襲撃から十日経ったが、今のところ何事もなく日々が過ぎている。
念のため薫が出かけるときも同行していたが真古流と見られる人間は近くにはいないようだ。
薫の身の安全を考えてのことだったが、当然のごとく本人から不平不満が零れた。

事の発端は自分なのだから自分の身くらい自分で守ると。

弥彦から聞いた話では、前川道場の一件について薫は「剣心には言わないで」と強く口止めしたそうだ。
剣心に心配をかけさせたくはないという薫の心は素直に嬉しいが、事態は彼女一人で背負えぬほど大きくなっている。
「薫殿の気持ちはありがたいが、拙者も雷十太に狙われる身。であれば、なるべく二人一緒に行動したほうが何かと都合がいい」
静かに諭すと渋々ながら承諾した。



以来、雷十太から仕掛けてくることもなく穏やかな日常に戻っている。
その代わりといってはなんだが、雷十太の代わりに由太郎が毎日稽古を受けにやってきていた。
それに伴い弥彦との喧嘩も日常に加わっていた。
今日も左之助と共に道場の門をくぐった直後、荒々しい罵声に出迎えられた。

「はいはい、喧嘩はそこまで!!」
負けん気の強い少年二人の面倒を見るのはさすがにうんざりしてきたのだろう。
薫の注意する声に苛立ちと諦めが混じっている。

それでもひとたび竹刀を握らせると、由太郎にかなりの剣才が秘められていることが見て取れた。
「どう?」
薫も気付いているのだろう。
弥彦との打ち込み稽古を注視している剣心に同意を求める。
「こりゃあ驚いたでござるよ」
正直に感想を述べると、満足げな笑みが返ってくる。
「由太君も熱心に稽古を受けてくれているし、今日あたりもう一度入門を勧めてみようかと思って」
「そうでござるな。弥彦にとっても良い刺激になる」



二度目の勧誘は赤べこで牛鍋を囲んでいる時。
由太郎が食べ終わる頃を見計らって薫が切り出したが、彼は数秒逡巡しやがて出した答えは。



「ごめん」
断られるのは想定内のことだった。
石動雷十太を敬愛する以上、活心流に入門することはないだろうと。
だが、なぜそこまで畏敬の念を抱いているのかが分からない。










一同の疑問は、暗くなった林道を歩きながら語られた。
「先生に初めて出会った時もちょうどこんな夜だったんだ」
数歩前を歩く由太郎はその日のことを思い出しているかのようだ。










「この林道を抜けて屋敷へ帰る途中、馬車ごと兇族に襲われた時だった」
馬車は横転し、供の者を傷つけられ、ならず者達に怒りを向ける。
町から出れば家の灯りは途切れ、人っ子一人通らない。
こんな町外れでは助けを呼んでも誰も駆けつけてはくれぬ。
戦う術を持たぬ由太郎はただ睨みつけることしかできなかった。

もし殺されることになっても士族らしく潔く散ろう。

健気な覚悟を決めた少年が見たものは己の父親が土下座して許しを請う不様な姿。
「何とぞ命だけは・・・」
そこにいるのはかつて己の誇りのため命をかけた武士ではなく、財と命のために地に這いつくばる矮小な人間だった。
「けっ、ざまあねぇ」
「腰の刀と一緒に士族の誇りも金に替えちまったのかい」
目の前の出来事が信じられずただ茫然と見つめていたが、嘲りの声で我に返った。
「オイ、お前は土下座して命乞いしねえのか」
「ふざけるな!!」
一気に頭に血が上った。



俺は親父とは違う!



いきり立つ由太郎の腹に容赦なく蹴りが入った。
倒れることを許されず、胸倉を掴まれなすがままになっていると山のようにそそり立つ大きな影が現れた。

巨漢は無言で刀を抜くと大きく振りかぶり、地面にたたきつけた!

土を抉り、岩をも砕く一撃を見た兇族たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げ出してしまった     これが雷十太と由太郎との出会いだった。










「正に一撃     これこそ無敵と俺はそのとき思ったんだ」
強さはなくとも武士の誇りはあるはずと信じていた父親の姿に幻滅し、絶望しかかっていた由太郎の前に現れた雷十太の雄姿は瞬く間に少年を心酔させた。
「あの雷十太が人助けねぇ」
口には出さないが、全員左之助と同じ感想を持った。
「先生は無口で無表情だからみんな誤解してんだよっ」
すぐさま弁護にまわるのは雷十太に傾倒しているがため。

由太郎にとって雷十太の絶対的な強さは己の理想であり、また目指すべき高みである。

「緋村剣心、いずれあんた先生と戦うんだろう?それにもしかしたら薫さんも」
「え?えぇ、そうならないことを祈ってはいるけど」
急に振られて返答にまごついたが、由太郎の頭の中は本物の剣客同士の真剣勝負が既に始まっているようで瞳がきらきら輝いていた。
「俺だって同じだけど、でも戦わなくちゃいけないならそん時は正々堂々真っ向勝負で頼むぜ。それが無敵同士の戦い     
由太郎の瞳が驚愕に染まった。
彼が見たものは背後から討とうとする師の姿     
凶刃が剣心達に迫る!



「先生ッ!?」



由太郎の叫びと秘剣「飯綱」が大地を切り裂くのはほぼ同時。
その直前に剣心は薫を、左之助は弥彦をそれぞれ抱えて雷十太の間合いから逃れていた。
真剣で飯縄を放つということは本気で殺すという意思以外なにものでもない。
その証拠に仕留めそこなった雷十太から小さな舌打ちが聞こえた。
「夜道で背後からの不意討ちかよ。いよいよバケの皮がはがれてきやがったな」
由太郎から聞かされた武勇伝を全く信じていなかった左之助などは逆に嬉しそうだ。

「違う!今のはただの挨拶代わりだッ」
懸命に声を張り上げ、師を仰ぎ見る。

「今のは全然本気じゃなかった・・・そうですよね、先生!」
縋るような少年の問いは無視された。
いや、由太郎の存在自体忘れ去られている。
今雷十太の目に映るのは標的である剣心と薫の姿のみ。
「先生・・・」



これは何かの間違いだ。
先生が闇討ちのような汚い真似をするわけがない。



師の真意は分からないが、あの日自分が師と仰いだ人を信じたい。
少年は祈るような気持ちで見守ることしか出来なかった。













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それぞれの場所に刻まれた記憶 
決して忘れない
僕達のベスト オブ ヒーロー

Song:倉木 麻衣