アフターダーク
尊敬している雷十太の凶暴さを目の当たりにした由太郎の心痛はいかなるものか。
しかし、彼の師であるはずの雷十太は露ほども気にかけぬ。
「離れるでござるよ薫殿」
剣心は薫を下がらせ、刀に手をかけた。
それが合図だったかのように雷十太の猛攻が始まった。
「ぬおおおおう!!」
攻撃の都度大きく振りかぶる太刀筋を読むことは容易なことだった。
いまだ抜刀しない剣心が雷十太の攻撃を紙一重でかわす。
代わりに餌食(えじき)となった木々や岩が滑らかな断面を見せるが、剣心にはかすりもしない。
「俺の斬刃刀の時と似たようなもんだな。どんなに威力があっても当たらなきゃ意味がねぇ」
自分の出る幕はないと悟ってあっさり見物に切り替えた左之助の呟きが聞こえたのか、雷十太の表情が悔しげに歪められた。
そして足元の砂を蹴り上げ、間を置かず上段から振りかぶる。
「先生!!」
由太郎の叫びは悲鳴に近かったのは、師である雷十太が卑怯と罵られる目潰しを使ったから。
「ぬん!」
勝つためには手段を選ばない。
しかし彼は、向き合っている相手にそういった小細工は通用しないということも理解すべきであった。
「甘えって」
全てを見通したような左之助の言葉が終わらぬうちに、左肩にめり込むような感触と痛みが襲ってきた。
目潰しを仕掛けられたと同時に跳躍した剣心が、雷十太の左肩に龍槌閃を見舞ったのだ。
激痛に唇を噛み締めたが倒れない。
皮肉にもそれは、雷十太の巨漢が見てくれだけではなかったという証明になった。
戦いを見守っていた薫の瞳に映ったのは、一撃を食らったにも係わらず不敵な笑みを浮かべる雷十太だった。
「どうやら貴様は『纏飯縄(まといいづな)』のほうでは斃せんか」
構えなおした姿を見て嫌な感じがした。
薫の足元からざわりと何かが這い上がってくる。
それは前川道場で立ち会ったときと同じ感じだった。
何か仕掛けてくる。
剣心の身に危機が及ぶのを防ぐべく、薫は口を開きかけて はっとした。
彼女の視線の先には剣心と、その背後で瞬きもせず戦いに見入っている由太郎。
そして雷十太の矛先が向けられているのは 。
「危ないッ!!!」
駆け出すと同時に薫から叫ぶ声が放たれた。
「秘剣!飛飯縄(とびいづな)!!」
雷十太の剣が何もない空間を斬る!!!
薫の叫びが耳に届いたのは同時だった。
剣心が立っているは雷十太の攻撃を難なくかわせるかわせる位置だ。
現に雷十太の剣は全く届いていない。
しかし秘剣というからには必ず何かある。
?
キィンと金属的な音が風に乗って聞こえてくる。
薫の叫びがあったからではなく、本能的に体が動いた。
音が間近に迫ったとき、刀を受け止めるように構える。
だが愛刀には何の衝撃も伝わらなかった。
代わりに感じたのは、右腕の皮膚が裂ける感触。
殺気はおろか、何の前触れもなく傷つけられたという事実に驚いた。
頬を撫でる風が完全に去ったと思った瞬間、背後から響いた衝撃音と血の匂いが我に戻らせた。
(しまった!)
振り向いて再度愕然とする。
剣心の目に映ったのは、薫が鮮血を撒き散らしながら宙を飛んでいる光景であった。
「薫殿!!!」
一瞬血の気が引いたが、それはすぐ誤りであったことに気付く。
地面に倒れこんだ薫の腕の中にはぐったりとした由太郎がいた。
剣心が見た鮮血は自分と同様、彼の右腕が裂けられているためであった。
おそらく、何らかの危機を感じて駆け出したのは最初からこの少年を守るためだったのであろう。
「私より由太郎君を!」
すぐさま起き上がった薫に怪我はないようだ。
由太郎の傷を見ると、切断面から血が溢れてはいるが思ったよりは少ない。
それは、剣心の傷も同じことだった。
違うのは、由太郎のほうがより重傷だということだ。
「止血して早く医者に 」
手ぬぐいを取り出し、手早く由太郎の傷口に巻いている薫の耳に冷酷な声が聞こえた。
「放っておけ。急所に当たらねば死ぬことはない」
一番弟子に対する慈悲や気遣いなど全く感じられない声であった。
「バカヤロウ!」
反射的にまっすぐな怒りが雷十太に向かう。
「てめえの技で自分の弟子が怪我したんだぞ!?分かってねえのかッ」
弥彦の怒号を、雷十太は鼻で笑った。
「分かっていないのはお前らのほうだ。我輩が本気でそんな小童を弟子にすると思っていたのか」
今度は薫の瞳が向けられた。
「今の世の中、剣術が金にならんのはよく知っておろう。だが真古流を起こすには多額の資金が欠かせぬ」
そこで雷十太は出資者を探した 由太郎の父、塚山由左衛門だ。
雷十太が由太郎を弟子としたのは、出資者の息子だからだ。
そこまで語って、雷十太が倒れている弟子を一瞥する。
「せっかく破落戸(ごろつき)を雇い使って狂言強盗までして作った出資者をここで失くすのは惜しいが・・・まぁいい、代わりなどどうにでもできる」
「せん・・・せぇ・・・・・」
意識を失っているとばかり思っていた由太郎から悲しげな声が発せられた。
最後の最後まで由太郎は己の師を信じていたのだ。
どこまでもか細く、今にも消え入りそうなその声に剣心達は何も出来ずにいた。
戦いの最中、すぐ後ろに由太郎がいることは分かっていた。
だからこそ、彼を守るつもりで前面にいたのだが、それが返って仇となった。
無言で由太郎を抱き上げると彼の体重と共に己の無力さがずしりとのしかかる。
そのまま歩き出すと、当然のごとく戦いの続きを望む雷十太から抗議の声が上がった。
「一刻ほどそこで待っていろ 貴様には生き地獄を味わわせてやる」
燃えるような怒りを内に秘め静かに言葉を紡ぐと、雷十太の反応などお構い無しに駆け出した。
弥彦と薫もそれに続く。
残された雷十太から無念の呟きが漏れた。
「これで三度目・・・またしても仕切り直しとは・・・ッ」
あくまで決着をつけようとする雷十太を眺め、その場に残った左之助が心底呆れたように言った。
「・・・ったく、この羽根オヤジは自分の仕出かしたことに気付いてねぇな」
「何・・・?」
言葉の中に侮蔑が含まれていることを感じ取り、雷十太が殺気立つ。
ぎらつく視線をそのまま左之助に投げると静かに受け止められた。
両者の睨み合いが続く いや、双方睨んでいるという表現はおかしい。
怒り狂うと思われた左之助の瞳はあくまで落ち着いており、どことなく哀れむような光を宿していた。
「どうした?緋村に代わって我輩と戦うのではないのか?」
侮るような問いにこれまた静かに返す。
「本当に分かってねぇ」
ふぅ、と息を吐き出して続けた。
「おめえはこの世で一番恐ろしい男の逆鱗にとうとう触れちまったんだぜ」
夜遅くに門を叩いても小国医師は嫌な顔一つせず、剣心達を中に迎え入れた。
まず剣心を小国医師が担当し、由太郎は奥の部屋で恵が診る。
剣心の傷口を縫い合わせる頃になっても恵が出てくる気配がない。
それが、由太郎の傷がより深かったことを知らしめた。
「先生、よろしいですか?」
恵に呼ばれ、小国医師も奥へ消えた。
奥の部屋でどのような会話がなされているのか、残された三人に知る由はない。
誰も口を開こうとはせず、静寂が落ちる。
雷十太には一刻待てと告げたがこの分だと少し遅くなるやも、と剣心が考え始めた頃、奥の部屋から恵と小国医師が出てきた。
真っ先に立ち上がったのは薫だ。
「どう?由太君は」
幸いなことに命に別状はないと聞き、安堵に包まれる。
前例のない症状だったためか、治療を終えた後も恵の困惑が残っていた。
医師としては何で斬られたのかが疑問だという。
しかし、それを聞かれても薫にも答えようがなかった。
「でもよかったわ、大事に至らなくて」
喜色満面の薫に対し、恵の表情は厳しい。
「確かに由太郎君は無事よ。ただ 」
「ただ?」
ここで恵が言いよどんだ。
それを継ぐ形で小国医師が沈痛な面持ちで語る。
「神経と筋がバッサリ切断されてしまって、もはや治しようがない」
弥彦の瞳が小国医師に向けられた。
まるで何かに縋るように。
だが、小国医師から発せられたのは「絶望」であった。
「・・・可哀相じゃがあの子はもう二度と剣術は出来んじゃろうて」
薫が息を呑み、剣心も瞳を伏せる。
続けられた小国医師の話では、雷十太の技をまともに受けたら腕が切断していたという。
そうならなかったのはその前に剣心の右腕にかすり、威力が削がれたためと思われる。
いや、その前に薫が飛び出さなければ飛飯縄はただ立っていた由太郎を襲い、死に至らしめたかもしれない。
命は助かった 剣術を続けられないという事実と引き換えに。
「冗談じゃねえぞ!!」
言葉を失った大人達に反発するように弥彦が吼えた。
「あいつは剣術に賭けているんだ!才能もあるんだ!それなのになんでそうなるんだよ!!」
日頃顔を合わせれば反発してばかりの二人だったが、やはり弥彦は由太郎の力を認めていたのだ。
己の良き強敵手になり得ることも。
「あんた医者だろ!だったら何とかしろよオイ!!」
小国医師に掴みかかっても無駄だということは弥彦自身が一番よく分かっているだろう。
それでも何かに縋りつかずにはいられなかった。
何かをせずにはいられなかった。
「・・・ごめんなさい弥彦君。残念だけど医者だって万能じゃないの」
恵の手がそっと肩に乗せられた。
やるせないのは恵や小国医師も同じだ。
しかし、今の弥彦にはそれを斟酌(しんしゃく)する余裕などなかった。
「・・・・・ッ」
無言で恵の手を振りほどくと、部屋を飛び出していった。
乱暴に戸を開け放ち、足音が段々遠ざかっていく。
「弥彦・・・」
弥彦の気持ちが痛いほど分かるために、薫は後を追えずにいた。
ただ彼の去った方向だけ見ていると、剣心が立ち上がった気配がしてそちらに顔を向ける。
どこに行くかは聞かずとも分かる。
剣心の背中に小国医師が躊躇いがちに声をかけた。
「止めても無駄じゃろうから止めんが、一つだけ言わせてくれ。その『飯綱』とか言う技、おそらく 」
「正体は空気の断層によって生じる真空の波・・・・・『かまいたち』と呼ばれる自然現象でござろう」
「なんと・・・気付いておったか」
小国医師の目が見開かれる。
剣心は「飯綱」の正体を既に見破っていたのだ。
傷口は開いても出血が少ない それは「かまいたち」で出来る怪我の特徴。
「飯綱」も「かまいたち」も、突き詰めれば同じ風の妖怪の名称なのだ。
それさえ気付けば「飯綱」が放たれたとき、一瞬切っ先が歪んで見えたのも頷ける。
「見破る種はあった。だが不覚にもそれが出来なかった 」
やるせない気持ちでいるのは自分も同じだ。
もっと早く気付いていれば。
どれほど悔いても時は戻らない。
剣心の左手が強く握りこまれた。
「ならばせめて拙者の剣で秘剣『飯綱』を叩き伏せる!!」
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街角 血の匂い 流線 遠く向こうから
何処かで聞いたような泣き声
Song:ASIAN KUNG-FU GENERATION