オレハ センセイニ ウラギラレタンダ










由太郎が目を覚ましたときの第一声だ。
取り乱すことも泣き叫ぶこともなく、ただ淡々とした声だった。
雷十太への敬慕も剣術に対する情熱も全て失くしてしまった由太郎の心は空虚だ。
今は薬が効いて再び眠りに落ちており、その寝顔を寝台の傍らに腰掛けて見守っている薫に無力感が押し寄せる。

本当に見守るだけしか出来ないなんて     

人を活かすはずの活人剣でも挫けた心を慰めることすら出来ない。
医者の力でも由太郎の腕は元通りにはならないと宣告されたばかりだ。
(治せるはずなのに治せないなんて)
そろりと空気が動く。
二人だけの部屋に誰かが入ってきた気配はない。
密閉された空間で何かを語りかけるような微風を感じる     そんな状態にももう慣れてしまった。
だが今は慰めるような風を感じてもただ苛立ちが募るだけだ。
(こんなこと・・・何の役にも立たない!)
きりりと爪を噛み、はたと気付く。



もし。
もし私に特別な力があるのなら、由太郎君の傷も治せるんじゃないの?



小国医師と恵は別室で薬を調合しており、今ここには眠っている由太郎と薫だけしかいない。
強い瞳が宙に向けられた。
「ねぇ。由太郎君を助けるには何をしたらいいの?」
囁くように問いかけても何も起こらないし、何も聞こえない。
しかし薫には周囲の空気が逡巡したかのようにすっと退いていくのを感じた。
去っていく感覚を何とか繋ぎとめようと、もう一度語りかけた。

「お願い。私にその力があるのなら、由太郎君を助けたいの!」

懇願する声が聞こえないのか、それとも既にこの場から去ってしまったのか。
焦燥と不安が入り混じり、薫の瞳が泳いだ。
立ち上がって部屋中を見回していると、導くような風が流れた。
動きをたどっていくと由太郎の右腕に触れる。
祈るような気持ちで、包帯を巻かれた部分にそっと手を置いた。
(今日の夕方まで竹刀を振るっていたのに)
仕方なさそうな顔をして毎日道場にやってくるくせに、いざ稽古が始まれば目の色を変えて真面目に指導を受ける。
竹刀を持つたびに生き生きと輝いたあの瞳をもう見ることが出来ないなんて耐えられない。
心の底から由太郎のことを思った。



どくり。



一瞬、体が重く感じた。
腕に重ねた掌から薫の力が抜け出ていくようだ。
急激な脱力感に襲われ周りの景色が歪んで見えるが、抜け出た力は確実に由太郎に吸い込まれていく。
それを感じると、薫の口元が微かに綻んだ。















NEVER EVER



     畜生。
畜生ォォォォォォォォ!!!!!



診療所を飛び出してひたすら走る少年の胸にあるのは燃え盛る怒りのみ。
(あいつ・・・この俺が必ずぶっ倒す!!!)
慕っている者から裏切られた痛みは弥彦にも経験がある。
今まで信じていた者に裏切られたとき、まず戸惑うことを知った。

ただ悲しい。
そして虚しい。

怒り、憎むことが出来たらどれほど楽かもしれない。
それが出来ないのは、それだけ相手を信じていたからだ。
それでも弥彦にはまだ立つための足があった。
何かを掴む手もあった。
由太郎は裏切られただけでなく、右腕まで奪われたのだ。
身も心もズタズタに傷つけられた友に対して何も出来ないが、せめて由太郎の無念だけは晴らしてみせる。



休むことなく駆ける弥彦の先に剣呑とした空気で向かい合っている雷十太と左之助がいる。
今、弥彦の目には雷十太しか映っていなかった。



「雷十太ァ!!」
そのまま飛びかかろうとするが、左之助に羽交い絞めにされた。
「バカヤロウ、おめぇの勝てる相手じゃねぇって!」
耳元で怒鳴らなくても、そんなことは承知の上だ。
「例え勝てねぇでもこれだけは譲れねぇんだよ!!!」
左之助が手を焼くほど暴れまくって何とか抜け出そうとするが。

「そこを何とか譲ってくれぬか」

低い声が降ってきた。
「剣・・・・」
振り向いて呼びかける声が途切れた。
治療のために肌蹴た着物を直すことなく駆けつけた剣心は息切れ一つしていない。
むしろ言葉を失ったのは、剣心の眼光だ。
その瞳に弥彦は映っておらず、ぞっとするような目で雷十太を射抜いている。
静かに歩を進める剣心をただ見送るしかなく、体が自由になったことすら気付かなかった。
軽く肩を叩かれ、それが左之助の手だと悟った。
「同じ無念を晴らすなら勝てるほうがいいさ」
静かに諭されるまでもない。
「・・・・・分かったよ」
頼むぞ、と背中に告げると、
「承知」
と短く返ってきた。



弥彦と左之助が見守る中、三度目の対戦が行われた。
しかし両者の力の差は歴然としていた。
雷十太が得意の飛飯縄を使っても、一度見た技を剣心が再度食らうことはない。



己の技を容易くかわされ、雷十太が動揺する。
「ならばこれでどうだ!!」
気合とともに飛飯縄が連続で放たれる。
それを剣心が紙一重でかわし続ける。
もはや食らうことはないだろうと静観していた左之助と弥彦であったが、空気を裂いた飛飯縄が剣心の右腕をもかすった時はさすがに表情が変わった。

弥彦は驚愕を。
左之助は不審を。
そして雷十太は狂喜を。

ごぷりと噴き出す血液を認め、雷十太の高笑いが響いた。
「見たか!これが秘剣『飯縄』だ!!」
誇らしげに胸を張るが、剣心の瞳はより一層冴え冴えとしたものになった。










「嬉しいか?」










夜空に吸い込まれるような低い声。
高笑する雷十太の動きが止まった。
「たかがこんなかすり傷を負わせただけでそんなに嬉しいとは、大した殺人剣だ」
れろり、と傷口を舐めながら視線を注ぐ相手は変わらない。
紫苑の瞳と静かな口調に侮蔑が込められいるのは明らか。
言葉を失った雷十太に、剣心は衝撃の事実を突きつける。

「今ので確信したよ雷十太。殺人剣を唱えてはいるが、お前は人を殺めたことは一度もない」

目に見えて雷十太が狼狽した。
本当の人斬りならば、相手を仕留められなかった己の剣を嬉々として語りはしない。
「お前は人斬りの剣が持つ奈落の深さを全く知らない」
剣心の気迫に圧され、雷十太が一歩後ずさる。



「そしてお前の無知にして幼稚な剣が由太郎から剣術を奪った・・・」
逆刃刀の柄を握り締め、いつでも抜刀できるよう鍔に親指をかけた。

「それ相応の代償は覚悟してもらう!!」



「むぐぅ・・・ッ」
剣の腕はもちろん、精神的にも追い詰められた雷十太が青ざめる。
「勝負あったな。雷十太のヤツ、位負けしてる」
だが左之助は、弥彦の言葉に頷かなかった。
先程飛飯縄の連撃によって右腕をかすった剣心を見てからというもの、左之助はある疑念を持った。
(既に傷を負っている右腕にまた傷食らうなんざ・・・いくら何でも剣心らしくねぇ)

まさか。
思い当たったことを口にしてみる。

「おい剣心。もしやおめぇ右腕・・・」
「ああ」
短く肯定され、推測が正しかったことを知る。
剣心の右腕は、縫合の時の麻酔がまだ効いており、自由が利かないのだ。
その事実に弾かれたように顔を上げたのは雷十太だ。
彼の瞳が不敵な光を帯びる。
相手の右腕が使えないと知り、無意識のうちに勝つための算段をしていることだろうということが瞳の色で察することが出来た。
あくまで勝利への可能性を捨てないのは武士としての誇りがあると言えなくもないが、当然それを賞賛する気もない。
代わりに剣心は、その僅かな可能性を潰した。
「お前如きを倒すには、左腕一本で充分でござるよ」
雷十太が憤怒の形相に変わった。

「貴様ァ       !!」

感情のままに吠えた雷十太から飛飯縄が放たれた。
それを剣心は軽くかわす。
相変わらず蔑んだように見ている     少なくとも雷十太にはそう感じた。
「どこまでも我輩を愚弄しおって・・・!もう許さん、殺す!!」
二撃目の纏飯縄が地面を割る。
跳躍してかわしたとき、続けざまに飛飯縄が剣心を襲った。
これも宙でかわすが、着地の瞬間を狙ってまた纏飯縄。
怒りにまかせて突進してきたように思えたが、どうやら纏飯縄と飛飯縄を組み合わせて立ち向かう攻撃を考えていたらしい。
「そうか・・・その手があったか」
左之助も気付いた。










飯縄は受け止めることは不可能。
ただかわすしか防御方法はない。
そのため、相手が間合いに入ってきても纏飯縄を使えば攻撃の隙を与えずに出来る。
そして間合いの外で飛飯縄を命中させれば相手に致命傷を与えることが可能だ。










剣心は左腕のみで倒せると宣告したが、龍槌閃で倒れなかった相手である。
しかも抜刀術は使えない。
こうなると左之助にも勝負の行方が見えなくなってきた。
弥彦にもそれが伝わったのか、飯縄によって剣心の足が傷つけられたとき自分でも分かるほど狼狽した。
「剣心!!」
対して雷十太は最初に飛飯縄がかすった時のように歓喜しなかったが、暗くなった瞳が細まった。
剣心を殺すと宣言したとおり、本気で殺す気だ。
そして雷十太は、剣心が己の間合いに踏み込むことは出来ないと知っている。
「我輩のように飛飯縄でも使えば話は別だがな」
「飛飯縄か・・・拙者には無理だな」
あっさり肯定した剣心に弥彦が息を呑む。
雷十太の顔に勝利の笑みが浮かんだ。
「この勝負、間合いを制した我輩の勝利だ!死ね!!」
とどめの飛飯縄が剣心に向かっていく!



「だが間合いの外からの攻撃ならば・・・拙者にも可能ッ!!」



ぎゅるっ!
剣心の体が瞬時に人体の限界までねじれた。
そして、発せられた言葉に一同驚愕する。
「飛天御剣流抜刀術!!」
負傷した右腕はまだ麻痺が残っている。
自由の利かない腕でまともな抜刀術が放てるはずがない。
しかし剣心が使ったのは右腕ではなく、左腕であった。

「飛龍閃!!」

剣心の声に呼応するように、逆刃刀が雷十太目掛けて射出された。
鞘に納めた刀の鍔を弾いた親指も、鞘を掴んだ手も、確かに左だ。
「がっ!?」
高速で飛ばされた逆刃刀の柄尻が雷十太の眉間にめり込むのと、身を低くした剣心の頭上を飛飯縄がかすめたのはほぼ同時であった。
飛飯縄によって元結が切れて音もなく赤い髪が広がり、それとは対照的に鈍い地響きと共に雷十太が倒れた。
瞬きもせず勝負を見届けた左之助の口から息が吐き出され、口角が上がった。
(ったく・・・本当に左腕一本で倒しちまいやがった・・・)
他にどんな技を隠し持っているんだか、と心の中でぼやく。
「剣心!」
地面に突き刺さった逆刃刀を戻そうとしている剣心に弥彦が駆け寄る。
全員の緊張が解けたまさにその時だった。
突然足を掴まれ、何かと認識する前に弥彦の体が逆さに吊り上げられた!
「ぬおおおッ」
弥彦を捕らえたのは昏倒していたはずの雷十太であった。
剣心と左之助の目に戦意が浮かぶ。
だが、今の雷十太にはどうでもいいことだった。
倒れても離さなかった刀を弥彦に突きつけ、息を切らせながら叫んだ。
「う・・・動くな!動けばこのガキを殺す!!」
その表情にもはや貫禄も怒りもない。
どんな手段を使ってでも勝利を貪り取ろうとする妄執しかなかった。
剣心の手が逆刃刀を掴む。
だが、彼の愛刀が雷十太に向かうことはなかった。



「殺ってみろよ」



挑むような声がすぐ近くから聞こえた。
雷十太が見たのは刀を突きつけられても全く怯えず、挑戦的な目で睨みつけている少年だった。
「殺れるもんなら殺ってみろ!俺は死んだっててめえになんざに屈しねぇ!!」
由太郎と同じ年頃の少年に強い言葉を浴びせられた。
殺傷能力は己の持つ日本刀のほうが高いはずなのに、雷十太はただの竹刀を突きつけられ怯んだ。
「本人が殺れって言ってんだ。殺ってみろよ     真古流は殺人剣なんだろ」
言われていることに間違いはない。
だが、体が動かない。
その理由は     










「真剣だとか古流だとか、そんなことで殺人剣は決まるのではござらん」










静かな口調に我知らず怯えた。



やめろ。
言うな。
それを口にするな!!



聞きたくなくとも、言葉は容赦なく耳に流れてくる。
「奪った命の重みで己が奈落へ落ちる剣      それが殺人剣だ」
世界から一切の音が消えたような気がした。
聞こえるのは分かっていて認めたくなかった真実のみ。

「それが分からぬお前は、剣客としても弥彦にも勝てんさ」

雷十太の中で何かが砕け散った。










「う・・・うぐううぅぅぅうぅぅ・・・ッ」










頭を抱え、呻き出した雷十太を冷めた目で見下ろしながら、
「どうする?仕置きに腕の一本でも捻っておくか」
ばきりと左之助の手が鳴ったが、剣心が抑えた。
地面に這いつくばり、時折何かから逃れるようにして頭を振る雷十太に再度剣を握ることは不可能だろう。
真古流総帥     そして剣客としても自信を粉砕されたのだから。
「それに、そんなことをしても由太郎の右腕は元に戻りはせぬ・・・」
ぽつりと紡がれた言葉は、一同に暗い影を落とす。
春の気配を感じるようになってきたが、吹きすさぶ風は冷たかった。






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もしもたったひとつだけ願いが叶うなら
もしもたったひとつだけ願いが叶うなら
君は何を祈る

Song:浜崎 あゆみ