希望の唄



気づいたら砂の上を歩いていた。
見慣れた風景の中、薫はただ歩き続けている。
(私、いつの間に寝たんだろう?)
もはやこれが夢だと分かっているので驚くこともないが、いつ自分が眠りに落ちたのか覚えていない。
出稽古を終えて家に帰ってきたばかりだから、まだ夜ではないことは確かだ。

とにかく、今の状態では薫が起きることを望んでも起きられない。
誰かが起こしてくれるか自然に目が覚める以外、夢の世界から出る方法はないのだ。

歩くたびに足が砂に埋もれ、それを引き抜く。
(夢の中なのに・・・すごく疲れる)
肉体ではなく、精神的に疲労がたまるのだろうか。
そりゃ毎回こんな夢ばかり見せられたら誰だって疲れるでしょうよ、とぐるりと周りを見渡してみる。
振り向いても砂漠しかないことを確認して、うんざりしながら顔を正面に戻すとぎょっとした。
視線の先に、小さな影が見えたのだ。
ごしごしと目をこすってもう一度見てみるが、己の見間違いでないことを再認識しただけだ。



      子供?



何か布のようなものを頭から被っているせいで顔も性別も分からないが、背丈は明らかに子供のそれだ。
見た目でいえば弥彦よりも少し年下といったところか。
声をかけようとしたが、正直この状況でどう呼びかけていいものか分からない。
薫が躊躇している間にも、その子供は懸命に走ってくる。
まだ顔は見えないが、近づくにつれ何か西瓜ほどの塊を大事そうに抱えているのが分かる。
尤も、こちらも布に包まれて中身は分からないが。
その後ろから子供の後をずっとついてくるようにして、二人の男が現れた。
(でもあれってついてくるっていうより)
薫の見る限り、鬼のような形相で迫る男たちは明らかに子供を捕らえようとしている。
まだ手には何も持っていないが、浅黄色の羽織の下から大小が見え隠れしていた。
何かを叫ぶように口を開き、怒りに満ちた彼らは抜刀してもおかしくない状況だ。
「あっ」
思わず声が出たのは、子供が転んだからだ。
考えるより先に体が動く。
「大丈夫?」



助け起こして被っていた布が下ろされた子供の顔を見て、薫は言葉を失った。
肩まで伸ばされた髪、ぱっちりとした大きな黒瞳。

それは、薫の幼い頃と瓜二つ      いや、彼女本人であった。



「わ、私・・・!?」
追ってきた男たちがいつの間にか消えていることにも気づかぬほど、薫は動転していた。
小さな薫はふい、と体を翻すと、転んだときに落としてしまった塊を持ち上げた。
そして中身の無事を確かめるかのように包んである布を外すと      

「!!!!!!!」
目の前に晒された生首に、思わず口を押さえた。

体の力が抜けてその場にへたり込み、目をそらしたいのに直視することしか出来ない。
死ぬ間際は血糊がべっとりと顔面に張り付いていたのだろう。
今は乾いたせいで余計無残な状態になっているが、男性だということは分かる。
半端に伸びた髪を髷(まげ)にしてあったがこれも解けかけており、無精髭もそのままだ。
見たくもないのにそんなところまで見ていると。



ずるり、と子供と生首が『崩れた』。



ひっ、と息を呑むが、状況は変わらない。
砂の山が崩れるかのようだが、砂山と違うのはそのまま大地に還るわけではなく、崩れながら更に大きさが増していくことだ。
その場から動けずにいると、目の前のそれはやがて人の形に姿を変えていった。
細身だが引き締まった肉体で成人男性だとわかる。
伸びた前髪の間から瞳が覗いていたが、その虚ろな瞳で薫を捉えた。
その姿を認めた瞬間、全身に鳥肌が立った。

見たことはない。
が、本能がこの男から離れろと言っている。

尻餅をついた無様な格好で、ずりずりと後退した。
だが、いくらもいかないうちに後ろから抱きしめられた。
はっとして振り向くと、そこには豊かに波打つ亜麻色の髪を自然のままに下ろした女性がいた。
いつだったか、夢で見た人。
怯えが一瞬消え去り、彼女に見入っていると耳元に桃色の唇を寄せられ囁く声が聞こえた。
「だめよ・・・ずっと一緒にいるの」
どこまでもやさしい声のはずなのに、抱擁は鎖のような束縛。
絡められた腕は、薫の恐怖心を蘇らせた。
「いや、いや!!」
振りほどこうともがくが、女の力は緩まない。
その間にも眼前の男が薫に手を伸ばす。
薫の恐怖の頂点はとうに超え、いまや理性を保てないほど恐慌状態に陥っている。
呼吸は荒く、体が震えて歯の根が合わない。
そしてついに男の手が薫の頬に触れた。
ひやりとした感触に、全身の血が逆流する。



「いや      !!!!!!!!」



両手を前に出して拒絶すると、かざした掌から眩い光が迸る!
その光は視界に映る全ての存在をかき消し、世界は白く塗りつぶされた。




















弥彦を小国診療所に走らせた後、まずは寝かせねばと抱き上げた薫の体はぐにゃりとして剣心にされるがままだった。
部屋に運び入れて一旦壁に寄りかからせると、剣心は布団を敷いてその上に彼女を横たえる。
掛け布団は掛けた方がいいのか、しかし血まみれの道着の上からでは布団にも血が付着してしまうだろうし、などと思案していると薫の唇から呻き声が漏れた。
急いで水桶を用意し、固く絞った布で汗が滲んだ額や、血で汚れた頬をそっと拭う。
以前は触れようとした瞬間に意識が戻って、しばらくは誰が近くにいるのか分からないほどおびえていたが、今は固く目を閉じたままだ。

荒い呼吸を繰り返し、時折眉根を寄せているのはどこか苦しいのかそれとも悪夢でも見ているのか。

枕元に腰掛けた剣心にできることと言えば、ただ見守ることだけだ。
これほどまでに近くにいるのに、うなされる薫を何とかしてやることもできない。
血を吐き、意識が戻らない薫を見るとこのまま死んでしまうのではないかと感じ、瞬時に頭を振って追い出す。
(何を馬鹿なことを)
だが脳裏に張り付いているのは、白い布を鮮血に染めた光景。
一瞬でも悪いことを考えたのはきっとあの光景のせいだと言い聞かせ、代わりに薫のはじけるような笑顔を思い描こうとするが、頭に思い浮かぶのは影を背負った者が持つ憂い顔。



薫の笑顔は好きだ。
人斬り抜刀斎として多くの命と未来を絶ち、日の当たる場所に立つことを許されない我が身であるが、薫が笑いかけると瞬間清々しい風が心に巣食う闇を吹き飛ばす。



すぐに闇が忍び寄るが、少しの間でも晴れやかになる心を否定することは出来なかった。
安らいだ毎日を送っていいはずがない、と戒めながらも、せめてここにいる間だけと己に言いわけし、現状に甘えている。
では、そんな薫に対して自分は何かを与えてやれるのかと問われれば何もない。
与えるどころか、薫の心を慰めることも、倒れた彼女の苦しみを取り除くことも出来ない。
決して安らかとはいえない眠りに落ちている薫を見ると、刺すような痛みが胸を襲った。

(彼女が俺に与えてくれた同じくらいの安らぎですら、俺は与えることが出来ないのか)

焦燥感にも似た歯がゆい思いを抱えていると、
「・・い・・・」
唇が震え、かすかに声が聞こえた。
気付いたのかと呼びかけたが、瞳は開かない。
何かから逃れるようにもぞもぞと身動きしている。
悪い夢でも見ているなら無理にでも起こしたほうがよさそうだ、と判断し、細い肩に手をかけると、
「いや、いや!!」
剣心の手を振り払い、より一層拒否反応を示した薫は先ほどより激しく布団の上をのた打ち回った。
夢の中で彼女の前に立ちはだかっている存在が、薫をひどく怯えさせていた。
剣心もまた、吐血して倒れた薫を見てからというもの、平静ではいられない。
「薫殿っ」
今度は強い力で肩を掴み、剣心は懸命に呼びかけた。
(まだか、弥彦・・・ッ)
弥彦が出て行ってからさほど時間は経っていないはずだが、一刻も早く薫を苦しみから救ってやりたかった。









他の誰かが見たら今の剣心の姿はとてつもなく情けなくて無様だろう       だが、自分でどうにも出来ないことなら、それが出来る誰かに縋りつきたかった。
そのためなら己の無様な姿を晒すことも厭わなかった。










「薫殿!!」
声を張り上げると一瞬薫の体がびくりと痙攣し、意識が覚醒した。
余程嫌な夢でも見たのか、大きく全身で呼吸を繰り返し、視点が定まらず忙しなく動いている。
必要以上の呼吸を繰り返しておりこのままでは呼吸困難になるのではないかと危惧したが、焦る心を抑え辛抱強く呼びかけているうちに段々落ち着いてきたようだ。
薫の瞳がゆっくりとこちらに向けられる。
「剣心?」
掠れてはいるが、意識ははっきりしているようだ。
そっと安堵の息を吐きながら、剣心は薫の肩から手を離した。
「ここ・・・私の部屋?」
まだ状況を飲み込めていな薫のために簡潔に説明してやると、本人も思い出したようだ。

夢のことも聞いてみたかったが、また先ほどのような発作を起こされてはたまらない。
無理に掘り起こすこともないだろう。

「具合はどうでござる?」
当たり障りのない問いかけに、薫は小さく微笑んだ。
「体が重い感じがするけど、それ以外は大丈夫よ」
それより、と薫は続けた。
「剣心こそ大丈夫?顔色悪いわよ」
指摘されるまで気付かなかったが、狼狽していたのが表に出ていたらしい。
いつものように笑い返そうとしたが、顔の筋肉が硬直してうまくいかなかった。
その一瞬の沈黙を薫は別の受け取り方をしたらしく、
「ごめんなさい、そうさせたのは私なのに」
目が伏せられた。
慌ててそんなことはない、と返そうとしたとき、けほりと小さく咳き込む音が聞こえた。
喉を潤すための水がないことに気付き、
「今、水を持ってくるゆえ      



立ち上がろうとしたとき、不意に手を握られた。



驚いて見れば、不安げに揺れている少女の瞳に出会った。
が、すぐに何でもないと顔を背け、剣心の手を解放させる。
お互いの繋がりが失われようとしたとき、今度は逆に剣心が一回り小さな手をとった。
「!」
薫が目にしたのは陽だまりを思わせるような温かな眼差し。
何も言えずにいると、軽く手を叩かれた。

自分はここにいるから安心していい、と伝えるように。

とん、とん、とあやすようにやさしく叩かれるたびに、薫の気持ちも和らいでいった。
先ほどの夢の余韻は残っているし、恐怖が消え去ったわけではないが、
(剣心がここにいる)
という事実が薫の心を落ち着かせた。



贖罪の人生を歩むがゆえに深い関わりを避けてきた元人斬りと、記憶を失い己の存在に怯えて身動きできない少女      この二人が想うことはただ一つ。









「せめて今だけ」










繋がった手は、恵を伴った弥彦が戻るまで離れることはなかった。




















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あなたがいて あなたといて
こんなに幸せになるよ
忘れないで このぬくもり
他の誰でもないあなた

Song:FUNKY MONKEY BABYS