Just break the limit!



神谷道場に到着した恵が診察を終えると、居間で待っていた剣心と弥彦に結果を報告した。
「血を吐いたということですから貧血を起こしていますし、脈も弱いです。でも、私が見た感じでは特に肺や胃には異常がないようなんですが・・・」
「つまり、薫殿が血を吐いて倒れた原因が分からないということでござるか?」
恵の診たてに剣心は思案した。
食欲がないのはいつものことだが、胃の痛みを訴えるわけでもなく、肺の音も正常なそれと変わらないという。



雷十太と決着をつけたときにも薫は診療所で倒れたが、そのときは熱が出ただけで吐血まではしなかった。
あれから体調が悪そうには見えないし、稽古も普段どおりにこなしている。



恵も同じ疑問を抱いたのだろう。
「熱を出したときにもこれといった症状は見られなかったし、現に休んだら回復していたようですし・・・血を吐くようなことは何もないはずなのに」
「体に異常がなくとも血を吐くことはあるのでござろうか?」
剣心の問いに、恵は少し考えて、
「吐血するのは体の器官に異常がある、もしくは機能が低下した場合がほとんどです。ですが、薫さんのようにそういった異常が見られないとなると、体そのものが弱っているとしか答えようがありませんね」
「体が弱っているったって・・・別にいつもと変わらないぜ?」
弥彦が言うと、顔をそちらに向けて答えた。
「自分の体が弱っているということ自体、本人に自覚がないのかもしれないわ。そうなると余計厄介なのよねぇ」
「厄介とはどのような?」
恵は再度剣心と向き合った。

「体に何か問題があれば何らかの対処が出来ます。でも本人がそれを自覚しているわけでもなく、診察してもこれといったものがないとしたら、本当に何も問題がないかあるいは何か隠された重大な病気があるのかが考えられます。そのどちらかの判断が非常に難しいのです」
「なるほど・・・して、恵殿の考えは?」

出された茶を一口すすって恵は答えた。
表情が固い。
「・・・・・今の時点では結論は出せません。もう少し様子を見てみないと何とも」
今出来ることといえば精のつくものを食べさせ、しばらく静養させることだと告げた。










他にも恵と色々と話し合った後、剣心たちは許可を得て薫の部屋へ集まった。
布団の上で半身を起こした薫に気遣わしげな目が向けられたが、
「本当に大丈夫よ。自分でも血を吐いたなんて信じられないくらい」
にこりと笑うところはいつもと変わらない。
「ったく、心配かけやがって」
顔を背けてぼそりと呟く弥彦に、
「あら?あんた心配してくれたの?」
軽口を叩くと、思いのほか鋭く睨まれた。
「当たり前だろ!目の前で血を吐いて倒れられたら誰だって心配くらいすらぁ!!」



怒りながら少年の瞳が揺れている。
そういえばこの子の母親も血を吐いて亡くなったのだと気付き、軽はずみな言動を恥じた。



「ごめんね、弥彦」
素直に謝ると、そっぽを向いたまま悪態をつく。
「謝るくらいならさっさと元気になれよ。うるせぇやつでもいねえと稽古にならないしな」
ぶっきらぼうだがこの少年の最大限の思いやりに薫は、うん、と短く返した。
しばらく一番弟子の横顔を見つめていたが、ふと彼が握り締めているものに気付いた。
「弥彦、それは?」
「あ、忘れてた」
手にしていたのは一通の書簡。

「驚くなよ、由太郎から手紙が来たんだぜ!」

手紙を見たときの自分と同じ反応を期待していたのだが、薫の返事は淡白なものだった。
「あぁ、由太郎君の」
全く声の調子が変わらない薫に、弥彦の膨らんでいた気持ちが音を立ててしぼんでいく。
「驚かないのかよ?お前のその態度、何だか最初から手紙があることを知っていたみたいじゃねえか」
指摘された瞬間、薫の体に緊張が走るのを剣心は見逃さなかった。
「そ、そんなことあるわけないでしょ?驚きすぎて言葉が出なかっただけよ」
「驚きすぎて言葉が出ないって・・・何だよ、そりゃ」
疑惑の眼差しから逃げるように顔を背けた薫に対し、剣心が助け舟を出す。
「せっかく恵殿も来ているんだ。弥彦、手紙を読んでくれぬか」
「そうね、私も由太郎君の様子を聞きたいし」
恵も薫の様子に気付いたのだろう。
剣心に調子を合わせてくれた。
大人たちからの催促に、弥彦も抱いていた疑問を即座に捨てた。
封を切ると、中から由太郎と塚山の署名がしてある手紙がそれぞれ入っていた。
弥彦は迷わず由太郎の手紙から広げ始める。
嬉しさを隠さず、笑顔で文面に目を走らせるが。

「・・・なんだこりゃ?」

怪訝そうに眉が下がったのを見て、剣心たちも手紙を覗き込んだ。
そして一同首を傾げることになる。
「おろ、これは      



書かれている文章が読めない。
本人が書いたのなら利き腕ではない左であるから、書体ががたつくのは無理もないが、それ以前に字が読めないのだ。



「日本語じゃあないわよね・・・あ、こっちの手紙はどうかしら?」
そう言って薫は塚山からの手紙を広げて読んでみる。
塚山の手紙はまず息子の非礼を謝罪するところから始まっていた。
そして船上での由太郎の様子を詳しく報せてくれた。

現在由太郎は船で独逸語を学んでおり、彼の手紙は覚えたての独逸語で書かれているとのこと。
ちゃんと日本語で書くよう叱りつけたが、どうしてもこれで送ると言って聞かなかったらしい。

その部分を読んでいると、毎日のように道場に通い、弥彦と口喧嘩をしていた姿が鮮やかに思い出される。
自然と笑みがこぼれたが、続く文面に一同の表情が歓喜のそれに変わった。



なんと、日本を出立してから僅かに由太郎の腕が動いたというのだ。



一旦帰国することも考えたが、由太郎本人が「完全に治してから神谷道場に戻る」と言ったため、予定通り独逸に渡るそうだ。
それを聞いた弥彦は最初、
「何だ、戻ってこないのか・・・」
と残念そうだったが、すぐ目を輝かせて言った。
「でも腕が動いたって言っていたよな?それってあいつが前と同じように剣術が出来るようになるってことだろ?」
「そうなればいいと拙者も思うでござるよ」
剣心の言葉など耳に入っていない様子で、弥彦は続けた。
「剣術は無理だって言われたときにはどうなるかと思ったけど・・・小国のじいちゃんも耄碌(もうろく)したんじゃねえの?」
「こら!失礼なこと言わないのッ」
すみません、と慌てて謝るが、恵も口元を綻ばせ、
「あのときの診たてに間違いはなかったけれど、医師をやっているとたまにこういうことにめぐり合うことがあるの」
そして恵は話し始めた。

腰を損傷し、足が動かなくなった患者が必死の努力で歩けるようになったこと。
死の病に冒され、もってあとひと月と診断されたが本人の気力と家族の手厚い看病のおかげで一年以上生き続けた患者のこと。

      こういうのをきっと奇跡と呼ぶのでしょうけど、私は逆に失礼だと思う。だって、歩けたり病魔に打ち勝ったのは医師や薬ではなく、患者本人の心の強さだもの。きっと由太郎君の場合も、剣術をやりたいという強い心が怪我の重さに勝ったのかもしれないわね」










心の強さ。
薫が由太郎に施した力の効果もあるだろうが、それ以上に由太郎本人が「腕を元通りにして剣術をやりたい」と強く願う心が回復を早めたのだろう。










神谷道場で稽古していたときの充実した顔。
習えば習うほど磨かれていく己の力を実感し、瞳はまっすぐ未来を見つめていた。
一度は断たれた剣術の道だったが、今頃海の上で再び目指すことが出来る喜びと希望に満ち溢れていることだろう。



由太郎からの手紙は誰にも読めなかったが、最後はこう締められていた。
日本に戻ったら神谷活心流で弥彦に負けないくらい強くなるから待っていてほしい、と。






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I believe 本当の勝敗はきっとそこにあるんだ

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