本性を呼び覚ますは鋼(はがね)の輝きと血の臭い

これで私はあなたを守る力を手に入れた

不安と孤独から救ってくれたあなた      今度は私があなたの痛みを受けいれたい

この手を汚してでも、あなたは私が守る




















Believe



冷たい風が頬を撫でた。
次いで肌寒さを覚え、薫の体がぶるりと震えた      己の置かれている状況を理解したのはそれからすぐのこと。
空には見事な満月が浮かんでいたが、それを愛(め)でている場合ではない。
薫の視線はその下に佇む黒笠の姿に釘付けになった。



河原にいる剣心を見つけ、りぼんを手渡した瞬間、何かの力に引っ張られて体が浮いた。



いや「何かが来る」ことには感づいていた。
ただその正体を見極める前に拉致されてしまったのだ。
そこから後の記憶が途切れているのはおそらく刃衛の手に落ちたと同時に気絶させられたのだろう。
鳩尾の鈍痛を堪えつつ、キッと刃衛を睨んだ。
「うふふ、そう睨むな。何もお前を取って食おうと攫った訳じゃあないさ」
両手を拘束され、小さな祠(ほこら)に押し込められているが、それ以外に酷い扱いは受けていない所を見ると、刃衛の言葉を信じざるを得ない。










だが敵であることに変わりはなかった。










大方、薫を盾にして剣心を嬲(なぶ)るつもりだろう
憤りが言葉となり刃衛に向かう。
が、あまり効果はなかったようだ。
薄ら笑いを浮かべたまま刃衛は言った。
「そっちこそ知らないのさ。人斬り抜刀斎の話に聞いているだけで鳥肌が立つほどの強さを、な」
反論したかったが言うべきことが見つからず、薫は黙り込んだ。



     楽しいひとときの始まりだ」



ぱちんと懐中時計が閉じられる音で初めて剣心が現れたことを知った。
「剣心!」
喜色を浮かべた薫の表情が凍りつくのにさほど時間はかからなかった。











      これがあの緋村剣心だろうか?










彼の周囲を取り巻く空気は平素のそれではなく、安易に近づけぬほどの怒気に満ちている。
視線そのものが刃(やいば)になったかのように刃衛を射抜いており、そこに薫を安心させるような光は見つけられない。

「いい目だ。怒っているな」
「ああ、薫殿まで巻き込んだ貴様とそれを阻止できなかった俺自身にな」

今まで聞いたことのない剣心の口調と感じたことのない剣気。
どれをとっても薫の知る緋村剣心とは異なる。
張り詰めた空気が肌を刺すようだが、痛むのはそれだけではないような感じがした。
こんな剣心を見るのは初めてだ。



    初めて?



頭がちりり、と焦げ付くような痛みを発する。
だが、今はそれどころではないと頭を振り、戦いの場に目を向けた。

途切れることのない金属音が一層頭に響いて、薫はたまらず眉間を押さえた。
目が離せないはずなのに、逆に視界がかすむ      















「おおおおお!!!」
「うふわっは      ッ!!!」

打ち合う刃が激しさを増し、二人の使い手も戦いに没頭している。
刃衛が真の一方を叩きつけても、剣心はものともせず弾き返す。
と。
刃が水平に倒されたのを見て警鐘が鳴った。
それを紙一重で避けると腰を落とすと頭上を一閃され、赤い髪が数本舞う。



平青眼ではなく、己が流儀の型で来たか。



全ては先読みした結果だが、まだ戦いは終わらない。
更に低くなった剣心の真上に刃衛の凶剣が襲う。
剣心は敵から視線を外さず、刃を真下に向け、刃衛の剣を柄頭で受けた。










ここで崩す!!










圧(お)される力に抗(あらが)い、刃衛の刃を跳ね上げた!
「う・・・!」
刃衛の表情が驚きに染まり、後ろに傾(かし)いだ体を持ち直すかのように数歩後退する。
その機を逃す剣心ではない。
不安定な姿勢のままで斬り込む剣心を迎えれば敗北は必須。



刃衛のそれが、不敵な笑みへと変わった。



剣心の目が見開かれるのと、刀を持ったままの刃衛の右手が彼の背中に消えたのはほぼ同時。
瞬時に危険を察知した剣心の体が反応したが、一瞬の隙が生まれた。
今度は刃衛がそれを狙う!
彼の背中から現れた左手に握られた剣は、かわそうとしてしかし間に合わなかった剣心の左腕に深く突き刺さった。










ズッ        










「ぐっ・・・」
負傷した腕から赤い血が溢れ出した。
しかし命に別状はない。
刃衛も背車刀で仕留められるとは思っていないだろう。



だがこれは試合ではなく死闘。



一撃で殺せずとも、相手の力を削ぐことができれば次で仕留められる。
例えば今この時、攻撃の手を休めなければ勝利したのは刃衛だ。
地に伏した人間ほど殺(や)りやすいものはない。

が、刃衛にとってはこれは死闘であり愉しみ。
今抜刀斎を呆気なく殺してしまっては己の殺人欲は満たされない。










まだ幕末の抜刀斎に遠く及ばない。










「つまらないな」
鼻で笑った。
「もっと怒ってもらおうか」
捕らえた少女は剣心の奥底に眠る狂気を呼び覚ますための贄(にえ)。
首だけ回し、少女の瞳を探す。



しかし、彼が見たものは押し込まれていた祠からゆっくりと地面に降り立った少女の姿だった。



両手を拘束していたはずの縄が彼女の手に握られている。
縄抜けしたと気付くと、刃衛の眉がひそめられた。
「何者だ、女」

薫は答えない。
下ろされた髪が風で乱され、どんな顔をしているのか分からないが身に纏(まと)う気は何者も寄せ付けぬ冷ややかさがあった。

「薫、殿?」
刃衛と同じように彼女の様子を窺っていた剣心が声をかけると、そこで初めて薫が反応を見せた。
ぼんやりとした黒瞳は彼の負傷した肩に注がれている。










しばらく注視していたかと思えば、今度は刃衛と向き合った。
そして      消えた。










「!!」
驚いたのは薫が消えたからではない。
消えた薫が一拍もおかずに刃衛の前に現れたことに驚愕したのだ。
瞬きする間もなく薫の手が伸び、反射的に刃衛が身を退く      だが少女の手にある縄が生き物のように首に巻きついた。



抗うために今度は刃衛の腕が伸びた。
それを見越して跳躍した薫の手には未だ縄が握られている。
くるんと宙返ると自然刃衛の背後にまわることとなり、地に足が着く前に一気に縄を引っ張った!



「グ・・・!?」
器官を圧迫され刃衛が呻く。
しかしさすがに黒笠と恐れられた人斬り。
首が絞まることに構わず、地を蹴って薫と向き合う。
薫の体が後方に跳んだのと刃衛が刀を薙いだのはほぼ同時だった。

充分に間合いを取る薫は動きやすいように裾を大きく広げてある。
眩しいほどの白い足を惜しみなく晒しているが、今この場に心惑わすものはいない。

しかしながら少女から目を離せずにいることに変わりはない。
剣心の視線の先にいるのは間違いなく神谷薫その人。
彼女の纏う気と同様に冷たく刃衛を見据えているのが己の知る少女だとは思えなかった。



人が変わったよう、とはこういうときに使うのだろうか。



剣心と考えを同じくする者がもう一人いた。










この女、只者ではない。










男と女。
幾多の死線を潜り抜けてきた人斬りと安寧しか知らぬ剣術道場の師範代。
大の大人と幼さの残る子供。

比べる要素を挙げずとも、刃衛と薫を見ればどちらに軍配が上がるかなど一目瞭然だろう。
だが刃衛は対峙した瞬間、純粋な殺気を感じた。
憎しみ、恐怖といった感情は一切なく、ただ殺すためだけに向かってくる。



      何者だ?



幾度となく反芻した問いに答えは出ない。
考えても無駄ならば、己の身を以(も)って確かめるしかないだろう。

刃衛の口元が歪む。
それを認めた剣心の瞳が険しくなり薫へ警告を発したが、少女は聞こえなかったかのように微動だにしなかった。

「うふ」
脅しではなく、殺す気で向かってきた刃衛を見ても薫の表情は変わらない。
武器を持たぬ身では斬撃を受けることは不可能だ。
自然、かわすことしか出来ないし薫もそうした。
骨まで絶たれそうな豪剣を、まるで人ごみをすり抜けるかのようにひらりひらりとかわしていく。
心の一方をかけられても剣心のように気合で跳ね返すのではなく、静かに受け流して無効化する。
それでいて相手から目を逸らさず、攻撃に転じる瞬間を狙っている。










動き同様、薫の気も柔和だが、だからこそ踏み込めばただでは済まされない。

理屈ではなく直感。
それは修羅場を潜り抜けきた者のみが持つ防衛本能だった。

だが、恐れるよりも新たな「相手」が予想以上の力を持っていることに歓喜していた。



「愉しいねぇ・・・腑抜けた抜刀斎よりお前と戦うほうが愉しめる」



一旦剣を退き、突きの連打を繰り出す。
しかしその剣は薫の身はおろか、髪の毛にすら触れることはない。
刃衛の腕が伸びきり、引く。
何度か同じ動きを繰り返した      と思ったら、突きの状態で刃が水平に流れた!










平青眼!!


幕末、新撰組とやり合ったときに剣心も幾度か目にした技である。
突きと同じ構えだが刃を水平に構えているので、突きを外されてもすぐさま攻撃に移ることが出来る。
元・新撰組の刃衛ならではの技だろう。
意表をついた攻撃に薫は身を退くかと思われたが、予想を裏切り前に踏み込む。

薫が狙うは相討ちか。

「くッ!」
剣心が立ち上がり、刃衛の刀が月光に煌(きらめ)く。










ガキィィィン!!!!










森に響いたのは明らかに肉を裂く音ではない。
少女の柔肌に食い込んでいると思われた刃は寸前で止められていた      刃衛の腰にあった脇差で。
つい先ほどまで刃衛のものだった得物は既に薫の武器と代わった。
反撃に転じようとしたのを感じ取ったのか、刃衛が後方に跳び、二人の間に空間を生じさせた。



「何者だ、女」

最初の疑問を再度口にした。
つい半刻前まで内にある恐れを隠すかのように怒りをぶつけてきたただの小娘が、自分たちと肩を並べられるほどの存在に成り代わった。
それは刃衛でなくとも問いかけたくもなろう。
戒められていたはずの縄を容易(たやす)く外し、一瞬の隙を突いて刃衛の懐に潜り、そこから脇差を抜き取って己の武器とする薫の動きといったら。



      どうやら俺達と同じらしい」
にぃ、と口角が上がった刃衛に対して、初めて薫が口を開いた。
そして彼女から発せられた言葉は再びその場にいる者を混乱させる結果となった。










「好きに思えばいい。私はこの人を守るだけ」
「!?」










一瞥した先に剣心がいた。
意味を問う前に薫が身構え、小さな呟きが彼女の唇から漏れた。
何を呟いているのかまでは分からないが、周囲の空気が意志を持ったようにざわめき始めた。
今までの薫の攻撃とは何かが違う。



受けた者も仕掛けた者も無事では済まされない      剣心の本能が危険と告げていた。










「 や め ろ            ッ!!!!!!!!」










禍々しささえ感じさせる大気が、剣心の叫びで霧散する。
緩和されたのは空気だけではない。



「・・・・・・剣心?」
きょとりとした少女の顔が向けられる。



「一体どうし・・・え!?ちょっと、何で私こんなものを持っているの!?」
己の手にある重みを手放すと、ガシャリとやかましい音を立てた      一見するといつもの薫のようだ。
聞きたいことが口先まで出かかったが、今はそれどころではないことも重々承知している。

「いいから早くこっちへ!」
大地を蹴る。
が、それより早く刃衛が薫の胸倉を掴んでいた。

「刃衛!」
「さっきまでいたのが本当のお前か?」
「な、何を・・・」










胸倉を掴まれながらも気丈に見返す薫の黒瞳が大きく見開かれた。
刃衛が手を離すと、少女の体が糸が切れたように崩れ落ちる。

「薫殿!!」

剣心が呼びかけても喘ぐ声しか返ってこない。
薫の状態を推し量ろうとする剣心に、刃衛の乾いた声が浴びせられた。



「心の一方を少し強めにかけたんだ      肺機能まで麻痺する程度にな」



体の芯が急激に冷えていくのが分かった。










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もしもあなたが弱っている時は
かわりに私が強くなるから心配いらないよ

Song:AI