本性を呼び覚ますは鋼(はがね)の輝きと血の臭い

君を守るために俺は再び力を手に入れる

だから君が戦う必要はないんだよ

この手を汚してでも、君は俺が守る

















READY STEADY GO



膝のばねだけで跳び、刃衛の鼻っ柱に剣を叩き込むと骨が折れる感触が手に伝わった。
体が大地から離れても全く重力は感じない。

「お喋りの時間はないんだ。殺してやるからさっさとかかってこい」

幕末でもこんな感じだった。
意のままに動く体は奔放なようでいて、しかし頭ではいかにして相手を仕留めるかを冷静に分析している。
泣き出しそうな薫を視界の端に捉えた      彼女を悲しませることになっても、まず彼女自身の命を救わねばならぬ。
それは機械的に要人の護衛についたときと全く変わらぬものであった。










「ここからが真の勝負・・・・いくぞ抜刀斎!」










喜色満面の刃衛が躍り掛かるが、すぐ弾かれたように飛びずさる。
    どうした?」
問いかけてはいるが興味を示したわけではない。
剣心      否、緋村抜刀斎は無関心のようでいて眼光はどこまでも鋭い。



凝縮された殺気。
静謐(せいひつ)な水面が巨大な津波となって襲い掛かるよう      間合いに入ったが最後、こちらが飲まれそうだ。



「さすが伝説の人斬り様。殺気がこもるとやはり違うな」
殺気に圧されて迂闊に近づけぬ。
刃衛のこめかみから冷たい汗が伝っていった。

「命が惜しくなったのなら、薫殿にかけた心の一方を解け」

そう告げたは冷酷と呼ばれる抜刀斎の最後の慈悲か。
だが現実はどこまでも無慈悲だった。










心の一方を解く方法は自力で解くか、術者を殺すか二つに一つ。










「もっとも前者は不可能だろうがな」
不気味に笑う刃衛に、残っていたひとかけらの慈悲が砕け散った。
「ならば、お前を殺すまでだ」
「それも不可能だ」
笑みを崩さず抜刀斎の眼光を受け止め、刀を目の前で構えた。
戦うための構えではないことに抜刀斎が僅かに反応する。
油断なく見据えていると、気合と共に刃衛の剣気が倍増した。



いや、増したのは剣気だけではない。
己の姿を映し、そこに強力な暗示を叩き込むことによって術者に反映される。
大方眠っている自身の潜在能力を最大限に引き出すよう暗示をかけたのだろう。



心の一方・憑鬼の術      それがこの術の名前らしい。
刃を軽く振っただけで彼の前にある岩が雲母(うんも)のように容易く砕けた。
「卑怯といえば卑怯な技だが、使わせてもらうぞ」
「構わん。好きなだけ使え」
対する抜刀斎はさらりと答えた。
が、返答はこれで終わらなかった。










「俺が殺すと言った以上     お前の死は絶対だ」










周りの大気すら彼の闘気に怯えるかのように震えている。
殺気と剣気が渦巻き、常人であれば自身の気を保っていることは難しいだろう。
それなりに胆力がある者でも体の自由は奪われる。
事実、心の一方がなくとも薫はその場から動けなかった。
抜刀術の構えのまま微動だにしない抜刀斎の姿は鬼気迫るものがある。
全身が総毛立つほどの強さに震撼した。
それは刃衛にとって最も欣快(きんかい)とするところである。



己の持てる全ての力を以ってしても死の影が付き纏う。
その恐怖さえ心地良い。










「いざ勝負!!!!!」
幕末最強の人斬り・緋村抜刀斎に刃衛は最大の力をぶつける。










筋力・速さを最大限に引き揚げた刃衛に抜刀術が迎え撃つ!
だが悲しいかな、逆刃刀では真剣より剣速が鈍る。
逆刃刀は抜刀術には不向き      それが死闘であれば致命的だ。
刃衛が寸前で踏みとどまり、一撃必殺の剣撃を避けた。
刀を振り切った抜刀斎の胴はがら空きだ。

「俺の勝ちだ、抜刀斎!!」

勝利を確信し、攻撃に移る。
薫が声なき悲鳴を上げた。
二人の動きはほぼ同時だった。

そして抜刀斎は。









ゴギャアッッッ!!!!!!









瞬間、薫は剣心がやられたのかと思った。
が、刃衛の刀は手放され、彼の腕はありえない方向に折れ曲がっている。
刃衛の骨と筋を絶ったのは鉄拵えの鞘      一撃目の後、斬撃の勢いを利用し鞘を抜いたのか。



抜刀術の全てを知り、極めていなければ抜刀斎の名は名乗れぬ。



抜刀術に破れ、利き腕が使い物にならなくなった剣客は刀を振るうことさえできない。
薫に心の一方をかけていなければ他に道があっただろうが、無様に蹲(うずくま)る敗者に残された道はただ一つ。
「これで人生の終わりだ」
刃を返すと、月明かりを受けて一瞬だけ眩(まばゆ)く輝いた。
刃衛を見下ろす抜刀斎の瞳はどこまでも冷たい。
しかし、死刑宣告をした後も刀が下ろされることはなかった。

まるで何かを迷っているように。

「どうした抜刀斎。何を躊躇っている?」
これから殺されようという相手の心の動きに気付いたのか、刃衛が問う。
抜刀斎の表情は変わらないが、さっきまで張り詰めていた殺気に僅かながら綻(ほころ)びが出来ている。



心の一方を解くためには刃衛を殺すしかない。
そんなことは分かりすぎるほど分かっているはずだ。



だが最後の最後になって躊躇っているその理由が薫には痛いほど分かった。










まだ彼が『抜刀斎』に成りえていないことに。
『剣心』が一歩手前で踏みとどまっていることに。










しかし薫は今、呼吸が出来ず死も時間の問題だ。
「躊躇うことはない      またその時間もない」
刃衛の言葉に後押しされるように再び張り詰めた空気に支配される。



「 死 ね 」



剣を振り下ろす抜刀斎に、出会ってからの剣心が重なる。
顔を合わせればいつだって微笑みかけてくれて、自分のことより人のことばかり気にかけるお人好しの剣心。
不殺を破れば「剣心」が消えてしまう。
薫は助かっても剣心は人の心に潜む闇に囚われ、二度と会えない。

もう、二度と。

「剣・・・・心」
そんなのは絶対嫌だ。




















「だめェ            !!!!」




















想う心が呪縛を解く!
薫が叫びと同じくして、刃衛の脳天を直撃しようとしていた刃が止まった。
剣呑とした空気が一変、男達が少女に瞠目する。
だが薫は赤毛の剣客の目に己の姿が映っているのを認めると、一息に言葉を紡いだ。



「人斬りに戻らないで」



術が解けてもまだ呼吸が安定しない。
だが息を整える前に、どうしてもこれだけは伝えたかった。

剣心の表情は変わらない      少女の想いは伝わっていないのだろうか。

かろうじて残っていた酸素を肺から押し出すようにして声を絞り出した。
「殺人剣、振るった・ら・・・・だ・・・め・・・・・ッ」
限界だった。
頭がくらくらして体から力が抜けていく。
上体を支えていた腕がかくんと折れ、地に伏す薫の体を寸前で抱きとめたのは温かくて力強い腕。











「薫殿しっかり!大丈夫でござるか!?」
これほどまでに薫を力づける言葉はなかった。










剣心だ      ・・・

嬉しくて新たな涙があふれ出す。
「大丈夫でござるよ、剣心」
「おろ?」
彼の間抜けな顔がおかしくて薫は泣きながら笑った。



「私は大丈夫。大丈夫だからもう     
人斬りに戻らなくてもいいのよ、と続けようとした薫の表情が強張る。
剣心もまた緊張感を全身にみなぎらせた。



「昨晩のトリ頭ならいざ知らず」
幽鬼のような刃衛が背後に立つ。
「まさか心の一方をこんな小娘にまで破られるとは、俺自身もずいぶん腑抜けていたようだな」
「お主の負けだ。全てはもう終わった。おとなしく縄につくでござるよ」
「いや、まだ終わらん」
脇差を構えた刃衛に、剣心も傍らにある愛刀を手にする。
だが剣を交える音は聞こえず、代わりに聞こえたのは肉を貫く鈍い音。










「んーむ。この感触・・・いいね」
長身がぐらりと倒れ、それを追うように鮮血が散った。










倒れた刃衛に駆け寄るわけでもなく、二人は困惑した表情で立ち尽くしていた。
それをおかしそうに見やり、刃衛は口を開いた。
「わ・・・分からないってツラしてるな。言ったろ・・・・・後始末だよ・・・」



      後始末。
確かにそう言った。
が、何のための後始末か。

殺人鬼として凶行を繰り返したことへのけじめか。
抜刀斎との死闘に満足したためか。
もしくは剣が握れなくなったことで彼の中で決着がついたのか。

様々な憶測が剣心の中に飛び交う。
だが、瀕死の刃衛の口から出たのはそのどれでもない。



まさか新時代になっても明治政府が人斬りを必要としているとは。










「だからお前は腑抜けたと言うんだ」

やっと迎えた新時代。
だがそこにあるのは安定した平和な日々ではなく、そうすべきはずの政府の中での権力争い。
幕末だろうが明治だろうが、守るのはこの国ではなく、己の保身。
そして輝ける将来。



望む地位を手にして名声も権力をほしいままにするには邪魔な人間が多い。
そこで登場するのが血の味を覚え、道を踏み外した剣客。
両名の利害が一致し、兇刃凶族・黒笠が誕生したというわけだ。



刃衛が語る真実に愕然とした。
それを慰めるような声音で刃衛は続ける。

「『人斬りは自分の意思で人を斬る だが相手を自分で選びはしない』そういうもんだったろ?」

刃衛の口調は絶望したそれではなく、むしろさばさばとして満足感に溢れていた。
それでも明治政府の裏を知った剣心にとっては刃衛もまた、新時代の犠牲者である。
そんな剣心を一瞥し、刃衛は笑った。
これ以上ないほど残酷な笑みで。










「そんな目はよせ、抜刀斎。俺を殺すと言ったときのお前はもっといい目をしていたぞ」










取り乱すことはなかったが、刃衛の言葉は剣心の胸に深く突き刺さった。
「人斬りは所詮死ぬまで人斬り」
目だけ動き、隣にいた薫を捉える。
「そうだろ?」

      その目はお前も同類だと語っていた。

さすがに薫は剣心ほど冷静ではいられない。
「な・・・んで・・・」
だが続きが出ない。
薫の動揺に気付いた剣心が口を開きかけたが、刃衛に遮られた。
「お前がいつまで流浪人などと言ってられるか・・・地獄の淵で見ててやるよ」
そこまで言って、疲れたように息を吐き出した。
そして。



「うふふ」



楽しげな含み笑いを最後に、刃衛はこと切れた。
剣心は刀を納めるのも忘れ、しばらくその死に顔に見入っているようだった。
その瞳の中に闇が宿るのを認めた薫が遠慮がちに口を開く。
「剣心・・・」
少しかすれたが、剣心には届いたようだ。

「帰るでござるよ、薫殿」

納刀すると澄んだ音が鳴った。
そのまま歩き出した剣心が、薫を見ることはなかった。










前頁   次頁










響いて −呼んで− いる君の声
ここで立ち止まるような時間はないさ

Song:L'Arc〜en〜Ciel