君は僕に似ている
二人とも黙りこくったまま歩き続けていたが、もう少しで森の出口というところで薫が声をかけた。
が、考え事でもしていたのか、剣心は振り返らない。
「剣心」
心持ち声を大きくすると、夢から覚めたような瞳が薫に向けられる。
呼びかけたはいいが、実際のところ薫は何も考えずに呼んだのだ。
ただ、彼の顔が見られればいいと。
しかし呼んだ限りは何か話さなくてはなるまい。
一番最初に思い浮かんだのはこうなった経緯だ。
まず剣心に礼を述べると、少し驚いたような顔になった。
「礼なんてそんな 」
剣心からしてみれば、自分が至らないせいで薫を危機に晒したのだ。
恨み言ならまだしも、礼を言われる筋合いはない。
当たり障りのないことを伝えようとしたとき、ふと脳裏に心の一方を解いた薫の姿が蘇った。
「・・・いや、礼を言うのは拙者の方でござる」
「え?」
黒瞳を見開いているところを見ると、今頃彼女の頭の中には疑問符が飛び交っていることだろう。
なぜ自分が礼を言われるのか、と。
あの時、確かに刃衛を殺すつもりだった。
だがそうなれば完全に人斬り抜刀斎に立ち戻っていたことだろう。
見れば薫はまだ悩んでいる。
背丈は自分とさして変わらないが、抱きとめた時のか細さに驚いた。
突然黒笠に攫われ、さぞかし怖かっただろうに。
それでも彼女は剣心を助けてくれた。
薫が止めてくれなかったら、今こうして彼女と向き合っていることはないだろう。
「なぁに?人の顔をじっと見て」
薫の声にはっと我に返る。
無意識のうちに見つめていたらしく、少々気恥ずかしい。
一方の薫は剣心の感情に全く気付いていないらしく、先ほどと同じ表情のまま彼からの返答を待っていた。
「や、別に大したことでは」
「大したことじゃなきゃ言えるでしょ?」
くりっとした黒目が剣心を注視している。
薫の視線に耐え切れずに体ごと向きを変え、
「さ、さぁ森を出たら車でも拾おう。運がよければ捕まるやも知れぬし」
ぎくしゃくとした動きで一歩進む。
「・・・・剣心」
「勘弁して欲しいでござる〜。本当に何でもないでござるよ」
「私、何をしたの?」
低く問われて剣心は足を止めた。
「黒笠が言っていたわ。『俺達と同じ』って。それにあの人、死ぬ時に私を見たでしょ?あれは気まぐれに私を見ただけじゃない」
右腕に痺れたような痛みがあった。
脇差を持っていたのは覚えているが、ただ持っただけではこうはならない。
脇差で何かの攻撃を受けたか。
あるいは自分が仕掛けたか。
「剣心の肩が刺されたことまでは覚えているの。でもそれから剣心が私を呼ぶまでの間に何をしていたのか全然分からない・・・・ねえ剣心、その間の私ってどうだったの?」
剣心が振り向くと、黒瞳が不安に揺れていた。
逆に薫は目を合わせることが出来ず、自分から視線を外した。
「私は平気だから正直に答えて。もしかしたら私の記憶のことと関係あるかもしれないし」
剣心は悩んだ。
薫は気丈に言うが、実際正直に話したら平静を保ってはいられまい。
あの、人が変わったような薫。
あれが本当の薫なのかもしれない。
だが、見たままの事を伝えても無駄に彼女を悩ませるだけだ。
ましてや、戦う彼女が昔の自分に見えたなどとは口が裂けても言えない。
それは薫に聞かせたくないというより、薫に重ねた自分自身と向き合うのを恐れるが故。
言葉を探していると、その沈黙を悪いほうに取ったのか、薫が顔を上げて剣心に歩み寄った。
「ねぇ・・・もしかして私の記憶違いで、剣心の肩の傷って本当は私が・・・?」
「それは違う。この傷は拙者が不覚を取ったせいで刃衛にやられた傷でござるよ」
そこは強く否定するが、薫は困惑したままだった。
「じゃあ何で?何で私は脇差なんて持っていたの?両手だって縄で縛られていたはずなのに、何で解けていたの?これで何もなかったなんて絶対おかしいじゃないッ」
不安に駆られて今まで言わずにいたことまで口から出てくる。
「あの脇差って黒笠のものよね?どうやって手にしたかは知らないけど、私が脇差を持って何かしたってことは間違いないわ。それも黒笠を相手に・・・・それなのに無傷でいるのは、やっぱり私も同じように剣を振るって同じように誰かを」
「薫殿!!!!」
鋭い声で遮り少女の肩を掴むと、華奢な体が強張った。
思わず大きな声を出してしまったことを詫びるように剣心は微笑んだ。
「考えすぎでござるよ」
やんわりと語りかけ、肩に置いた手を下ろす。
それでも数秒間薫の体は硬直したままだったが、やがてその目が潤み、大粒の涙が零れ落ちた。
しゃくりあげる薫の頬に幾筋も涙が流れる。
「だ・・・だって、どう考えても変なんだもの!気がついたら脇差を持って立っているし、く、黒笠が同じだなんて言うし、でも何も覚えてないし・・・・もう、わけ分かんないよ・・・!」
拭っても拭っても涙は止まらない。
「私って何?何なのよぉ!!」
いつだって不安だった。
食が細いことも、食べなくてもそれなりに動けることも。
眠れぬ夜を過ごしていたが、それが眠れないのではなくて眠らなくても平気なのだと気づいた時には更に悩んだ。
剣の稽古をしていても時々これが真剣だったら、と考えることもある。
越路郎に拾われ、剣心達と出会い毎日が充実しているが、それでも失われた記憶のことは常に頭にあった。
今はまだいい。
だが、本当の自分が実はとんでもない罪人だったとしたら?
黒笠のように人の血を求めているのだとしたら?
「私・・・剣心達を傷つけちゃうかもしれない・・・」
それが一番怖い。
つい、と剣心の指が頬を撫でた。
負傷しているため熱を帯びているのか、彼の指が熱い。
顔を上げると眉尻を下げた剣心がいた。
「それは困った。これ以上薫殿にどつかれ続けたら拙者、身がもたぬよ」
言われたことを理解する間、何度か瞬きをする。
が、すぐ眉を吊り上げ、
「な、何言ってるのよ!人が真面目に・・・!」
「真面目に答えたらつまり、こういうことでござるよ 薫殿は薫殿。過去のことが分かったとしても拙者にとっては、いや他の皆から見ても薫殿であることには変わりない」
何か言おうとした薫の動きが止まった。
「拙者は記憶を失ったという経験がない。だから薫殿の不安がいかほどのものか計り知れぬ。我慢せず今のように吐き出すことで少しでも薫殿の気が軽くなるなら、喜んで付き合うでござるよ」
確かに溜め込んでいたのかもしれない。
言ったところでどうしようもないと諦めていたせいもある。
「・・・でもそれじゃあ剣心が」
「拙者のことは気遣い無用。そもそも薫殿が我慢など土台無理でござろう」
「ちょっと待って!私に我慢が無理って何で決め付けてるの!?」
聞き捨てならない台詞にいきり立っても、剣心は涼しい顔。
「そりゃあ弥彦や左之にちょっとからかわれただけですぐ怒り出す薫殿を毎日のように見ていれば」
「あれは絶対に向こうが悪いのよ!何も言わなかったら余計つけ上がるわッ」
「ほらすぐ怒る」
「けーんーしーんー!!」
からからと笑う剣心に、薫は頬を膨らませている。
よかった。
いつもの彼女だ。
表情には出さずに安堵する。
薫に沈んだ表情は似合わない。
今まで色んな表情を見てきたが、やはり一番似合うのは笑顔だ。
・・・・・・・・・・・・って拙者は何を考えているのでござるか!?
いやいや、決して不純なものではないッ
拙者は純粋に薫殿の笑顔が似合うと思っているのでござるよ!
ぶんぶんと頭を振って考えを追い出していると、
「?どうしたの、変な顔しちゃって」
「な、何でもござらん!それより、借りていた藍のりぼん、返さなきゃでござるな」
無理矢理話題を変えて懐からりぼんを取り出し、絶句した。
もとはきれいな藍色だったそれは、負傷した肩の出血が流れたせいで見るも無残な血みどろの状態になっていた。
薫はもちろん、剣心もまさかこんな状態になっていたとは夢にも思わず、これには二人とも言葉を失ったが。
「何よコレ!血みどろじゃない!!」
やはり年頃の少女としては、自分の持ち物でしかもお気に入りのりぼんが台無しになったことを笑って済ませられるほど寛容ではないらしい。
「不可抗力でござるよ〜」
それで納得してもらえるとは剣心も思っていない。
「すまぬ。まさか拙者もこんなことになるとは・・・」
「全くよ、これじゃもう使えないし」
「誠に以って・・・・」
段々声が小さくなる。
そんな剣心に小さく息を吐き出して、
「ほら、肩見せて」
「・・・・肩?」
全く関係のないことを言われ、反応が遅れた。
薫を見ればまだ怒ったような顔をしているが、実際はさほどではないらしい。
「もうりぼんとして使えないなら別のことに使いましょ。出血は止まっているみたいだけど、一応手当てしておかないと」
手頃な岩に剣心を座らせ右肩を肌蹴(はだけ)させると、少しきつめにりぼんを巻いた。
「帰ったら玄斎先生に診てもらいましょうね」
「ああ、そうでござるな」
薫は返事をせず、立ち上がってひらりと身を翻(ひるがえ)す。
「ありがと、剣心」
何に対しての礼なのか問い返すことはしなかった。
一部始終を見守っている満月の光は変わらずに剣心と薫を包み込んでいた。
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君の姿は僕に似ている
同じ世界を見てる君がいることで
最後に心なくすこともなく
僕を好きでいられる
僕は君に生かされている
Song:See-Saw