Moments



買い物の途中で偶然赤べこの妙に出会い、そのまま自然と立ち話に興じることになった。
「剣心さん、最近どうですのん?」
「どうとは何がでござる?」

どうもこの牛鍋屋の娘は自分と薫の間柄が特別なものと信じて疑わず。
会うたびに「二人はどこまで進んではりますの?」と質問攻めに遭っているため、剣心としてはやや警戒せざるを得ない。

だが、今日は普通に薫の様子を聞いてきただけらしい。
「この前薫ちゃんと会うたんですけど、両手にえらい傷こさえてはりましたなぁ。それ見てうち、苦手なお料理頑張ってはるんやなぁて感心してましてん」



彼女が言う薫の傷というのは、おそらく自分達が武田観柳邸に赴いた夜に出来た切り傷のことだろう。
もっとも苦労して作った料理は完全なる失敗作であったが。



そのときの味が口の中に蘇って思わず顔をしかめたが、妙は気付かなかったようだ。
「剣術は越路郎さんや他の元門下生も驚くくらいに上達が早かったんやけど、やっぱり女の子やろ?周りから『男女』とか『じゃじゃ馬』とか陰口叩かれましてなぁ。せやからうちとしては外見だけでも女らしゅうするよう越路郎さんにも言うといたんよ。せやのにあの人いうたら、薫ちゃんが髪を切ろうとした時・・・」
「髪を?」
ぎょっとして口を挟んでしまったが、彼女は気を悪くした風ではなくむしろ剣心が話に乗ってくれたことのほうが嬉しいらしい。
「へぇ、療養中は髪が短かったんですけど、歩けるようになってからは伸ばしてはったんです。それが剣術を始めるようになって鬱陶しくなったんちゃいますか。せやのに越路郎さんいうたら、止めるどころかそのまま切らせようとしはったんです。寸前でうちが止めたからええようなもんの、さすがに堪忍袋の緒が切れましたえ」



当時の様子が目に浮かぶようである。
怒り心頭の妙に説教されては越路郎も薫もひたすら姿勢を低くして聞くしかなかっただろう。



「左様でござるか、薫殿と越路郎殿が・・・」
くっくっと喉で笑うと、
「笑うところちゃいます!」
ぴしゃりと言われ、剣心は慌てて笑いを引っ込めた。
「お料理を練習するのが悪いこととは言いませんけど、もうちょっと何か・・・外見から滲み出るような女らしさゆうか可愛らしさゆうか」
「はぁ・・・」
そういわれても剣心としては曖昧な返し方しか出来ない。
いや、出来ないのではなくそうせざるを得ないのだ。

別に着飾らなくとも薫は異性から人気がある。
胴着姿で竹刀を振り回していても、彼女の清廉さが損なわれるわけではなく、むしろそこに生き生きとした生命力すら感じる。

更には誰にでも親しく接し、いつも笑顔を絶やさない。
そんな清らかさと親しみやすさを持つ薫を異性が放っておくわけがない。



先日もどこぞの門下生から手紙をもらったようでござるし・・・



しかしそれを知った妙に何を言われるか考えるまでもなく。
(というより、こういったことは拙者より妙殿の方が詳しいのでは?)
何気なさを装って妙を観察するが、これといって変わったところはない。
さてどうしようかと考えていると、今まで悩んでいた妙がおもむろに声を上げた。










「せや!薫ちゃんに、身に付けるような何かを贈ったらええんちゃいます?」
「おろ?せ、拙者がでござるか!?」










いきなり振られて焦る剣心に強く頷く。
「当然でっしゃろ?好きな人から贈られたらそれが何であれ、薫ちゃんかて喜んで身に付けるはずや」
「好きな人って・・・」
結局その話になるのか、と剣心は盛大なため息をついた。
逆に楽しそうな笑みを浮かべた妙は、近くに構えている小物屋を指差し、
「りぼんなら心配するほどの値段やおまへんし、薫ちゃんもよう付けてはるからちょうどええんちゃいます?」
つられて目をやると、なるほど、確かに色とりどりのりぼんが店頭に並んでいる。
しかし、女の装飾物を選べといわれても種類がたくさんありすぎて何が何だか分からなくなってくる。
「あ、あそこのりぼんなんてかわええなぁ。剣心さん、どうでっしゃろ?」
「そうでござるなぁ・・・似合うといえば似合うし・・・」
煮え切らない態度に妙が眉を吊り上げる。

「真面目に見てはります?全く、剣心さんといい、越路郎さんといい、男はんいうのは・・・」
「越路郎殿?」

現状に関係ない名前が出てきて剣心は聞き返した。
「越路郎さんもこういうことには疎うて普段は亡くなった奥様のものやうちが買うてきたものを薫ちゃんに使うてもろてましたけど、いっぺんだけ越路郎さんが買うたことがありますねん」
当時の思い出が妙の口から語られる。
りぼんを買い求めたのは彼が西南戦争に赴く前日だったことも。

「・・・結局そのりぼんは形見になってもうて。うちが藍色のりぼんをした薫ちゃんを見たのは越路郎さん葬儀の時やったけど、それ以降あのりぼんをしている姿は見たことないし」
「藍色?」
剣心の眉がひそめられる。
「剣心さんと同じように悩んではりましたけど、結局自分のお好きな色で決めはったみたいでっせ」
楽しそうに語る妙に適当な相槌を打ちながら、剣心は全く別のことを考えていた。




















『一番気に入っている藍色のりぼん・・・剣心に貸すわ』
『あくまで貸すだけだからね。ちゃんと返すのよ』




















刃衛に攫われる直前に手渡されたりぼん。
それまで何種類ものりぼんをつけていたから、きっとその中の一枚なのだろうとしか考えていなかった。
一番気に入っていると聞いていたから何とか元に戻そうと手を尽くしたが、染み付いた血はそう簡単には取れず。
使い物にならなくなってしまったことにひたすら謝ると、
「りぼんはこれだけじゃないから大丈夫!あ、でもその分家事に勤(いそ)しんでよね」
あっけらかんとして、中途半端に洗ったりぼんをそのまま受け取ったのだ。



形見なんてことは一言も言わなかった。



(そんな大切なものを拙者は・・・・)
妙から話を聞いてから数日、そのことが頭から離れない。
今も風呂の火加減を見ながら無意識のうちにぼんやり考えている。
辺りは既に暗く、炎が眩しいくらいに燃え上がっていた。

     薫殿に似合いそうなりぼんは手に入れたが、果たして気に入ってもらえるかどうか・・・

りぼんといえばその前にも一枚駄目にしてしまったことを思い出した。
この町に来たばかりのときに剣客警官隊に絡まれた。
騒ぎを聞きつけた薫を見つけるや否や、彼女の髪をまとめていたりぼんを切り刻んだのだ。
その時にも彼女は自分を責めず、同じように家事に勤しむことを条件にそれ以上のことは言わなかった。
そうやって茶化すことで己に負担をかけまいとしてくれた薫のやさしさが心に沁みた。
     だからこそ、より一層の罪悪の念のとらわれることになる。

「・・しん・・・剣心てば!」
「は、はいっ!?何でござるか?」

薫が入浴中であることをすっかり失念していた。
「だから薪を足してってさっきから言っているじゃない。聞こえてなかったの?」
「ああ、すまぬ。ちょっと考え事をしていて・・・」
「珍しいわね、剣心が呼びかけても気付かないほど考え事するなんて」










すまぬ、と繰り返して薪を手にしたが、妙な所に触れてしまったらしく、薪の束が雪崩を起こした!










「おおぉおろろろッ!!?」
「ちょっと今の音って・・・きゃあぁぁッ」
格子戸から顔を覗かせると薪に埋もれている剣心の姿が見えて薫は混乱に陥(おちい)った。
「だ、誰か来て!剣心が死んじゃう〜ッ!!!」
叫ぶ薫も相当慌てている。
ざばりと湯船から上がると、そのまま戸を開けて脱衣所へ     



どかっ、ガッシャーン!!



「薫殿!?」
薪の雪崩よりも数倍けたたましい音と悲鳴を聞き取り、埋もれていた剣心ががばりと立ち上がる。
湯から上がった薫が脱衣所に駆け込んだのは分かるが、そこには灯りが置いてある。
小さなものだが、それが他のものに引火したら中にいる薫に危険が及ぶ。

「薫殿、大丈夫でござるか!?」
「おいおい、一体何事だよ」
「やだ、剣さん!擦り傷だらけじゃありませんかッ」

弥彦のほかに左之助と恵まで駆けつけてきた。
だが、説明している暇はない。
足元に転がる薪を蹴り飛ばしながら剣心は脱衣所に急ぐ。



その頃の薫といえば、敷居で足を引っ掛けてすっころび、鼻を押さえながら起き上がったところであった。
「いたたた・・・思いっきり打っちゃった」



だが転んだおかげで落ち着きを取り戻した。
手をつくとぬるりとした液体に触れた。
どうやら転んだ時に灯りの油が零れたらしい。
火が消えたせいで辺りは真っ暗だが、それ以外に被害がないことにほっとした。
「よかった、燃え移ってなくて」
手にしていた手ぬぐいで床に零れた油を拭いていると、

「薫殿!!」

勢いよく扉が開けられ、人の輪郭を認めた。
そして、今の薫がどんな格好をしているかこの時初めて気付いた。
「・・・あ」
二人同時に声をあげ、剣心が一緒にいた左之助と弥彦とともに背を向けた。

「見てない!全く見てないでござる!!」

必要以上に声を張り上げているのは不可抗力とはいえ、あられもない少女の裸体を見てしまった後ろめたさからか。
薫は突如起きた出来事にすぐ反応できないのか、その場で固まっている。
「あ、あ、」
ぶるりと震え出した薫を見て、さすがに傍観できなくなった恵が前に進んだ。
「ほら、男共はとっとと出て行く!薫ちゃん、あなたもそこで呆けてないで」
「こ・・で・・・」
「え?」
恵の足が止まった。










       来ないで!!!」










はっきりとした拒絶。
見れば薫の視線は定まらず、恐怖に揺れている。
この状態では目の前にいるのが恵だということが分かっていないのだろう。
「な、何よ、別に私は・・・!」
「嫌!こっちに来ないでッ」
戸惑ったのは恵だけではない。
背中を向けていた三人も思わず首を回そうとしたくらいだ。
「来ないで・・・何でもするから、私に触らないで・・・ッ」
歯の根が合わず、かちかちと音を立てる。
恵がただ見守るだけしか出来ずにいると、露(あらわ)になった体を隠そうともせず、じりじりと後退していった。

「薫ちゃん!」
切迫した響きに剣心は迷わず振り向いた。

薫のすぐ後ろにあるのは先ほどまで彼女が入っていた湯船。
膝の後ろが湯船の縁に当たると、ぐらりと薫の体が傾いた     が危機一髪、恵の脇をすり抜けて剣心が少女の体を支えて事なきを得た。
ほっと息をついたのも束の間、剣心の腕の中で硬直していた薫が暴れだした。
「嫌ッ、いやあぁぁぁぁあぁぁ!!!」
半狂乱になって逃れようとする体を、剣心は必死になって押さえ込んだ。



「薫殿落ち着いて!拙者が分からないのでござるか!?」
「やっ、放して、もう許して・・・ッ」
「薫殿ッ」



相変わらず薫はこちらを見ようともしない。
いや、仮に見たとしても彼女の瞳に剣心は映っていないのだろう。
無我夢中で暴れ、爪を立てたせいで剣心の腕や首筋にいくつもの赤いスジが描き出される。
「剣さん!」
「今お前の目の前にいるのは剣心だろ!それが分からねえのかよ!?」
何を言っても薫には届かない。
それでも何とか薫をおとなしくさせようと、それぞれの手が少女を捕まえる。
さすがに体の自由を奪われるとそれ以上暴れることも出来ず、薫の瞳が絶望に染まっていった。










「お願い、やめて・・・・助、けて・・・」

弱々しい声そのままに、少女の体から力が抜け、瞳が閉ざされた。
すぐさま恵が様子を見る。
脈を取り、瞳孔を調べている間、剣心はぐったりとした薫を食い入るように見つめていた。










     大丈夫、ただ気を失っただけのようです」
この場を支配していた緊張感がふつりと切れ、一斉に息を吐き出した。
「来るなとか許してとか・・・一体嬢ちゃんは何から逃れようとしていたんだ?」

左之助の問いに答えられる者は誰もいなかった。
いるとすれば苦悶の表情そのままに意識を失っている薫だけ。

「とにかく、部屋で寝かせましょう。色々聞くのは薫ちゃんが目を覚ましてからです」
手にした寝巻きで少女を包み込もうとした時、全員の目が薫の背中に注がれた。
「これは・・・ッ」



そこにあったのは右肩から左の脇腹まで走っている刀傷。
しかもただの刀傷ではない。
一体どんな剣を使ったのかと思うほどかなり皮膚が抉(えぐ)れている。



傷自体は塞がっているが今つけられたもののように生々しく、その傷跡からは獲物を狩る緋龍を想像させた。
あと少しずれていたら頚動脈をも断ち切っていただろう。
今も背中から忍び寄るように龍の顎(あぎと)が彼女の細首を狙っているようにも見える。
闇に目が慣れてきたために気付いたものだった。

「こんな・・・何てひどい・・・ッ」

医師である恵が傷から目を離せぬまま声を震わせ、
「弥彦。嬢ちゃんを運ぶから部屋に布団敷いといてくれ」
若干強張った声で、それでも年少の弥彦の目から隠すようにしてさりげなく左之助の体が移動した。
弥彦が出て行くと動けずにいる恵の手から寝巻きを奪い、薫の体を隠した。



「恵殿の言うとおりでござるな。まず薫殿を休ませよう」
薫を部屋に寝かせても、剣心は彼女のそばから離れようとはしなかった。



「剣さん、ここは私が見てますから・・・まず自分の手当てをなさってください」
「いや、大丈夫でござるよ」
先ほど薫に引っかかれた傷のことを言っているのは分かったが、それ以上に酷い傷を見た後ではこんな小さなものなど傷のうちには入らないように思う。
そんなことを考えているとぐい、と襟首を掴まれ、無理矢理立たされた。
襟首を掴んでいるのは左之助だ。










「お前が気にしなくても嬢ちゃんが気にするだろうが。せめて傷口くらい洗っとけ」
「・・・・そうでござるな。では恵殿、ここは頼む」










承知したように恵が頷くのを認め、剣心と左之助は連れ立って部屋を出た。





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君が絶望という名の淵に立たされ
そこで見た景色はどんなものだったのだろう

Song:浜崎あゆみ