そういえば、今日のかづはあの時見た着物を纏っている。

「先日お邪魔した時、かづさんが着ていらっしゃる着物が荷物の中に入っていたんです。あれは奥様のものではなかったんですね」

素朴な疑問を口にすると、
「ええ。義母はああいう感じの人ですから屋敷の者からは私と義母の仲が悪いように言われていますが、何かと気を配ってくださるいい方です。この着物のほかにも数枚私のために誂(あつら)えてくれて・・・他にも私が使用人上がりの女と蔑まれないように色々教えてくださいます」
「かづと結婚すると言ったとき、両親から猛反対されました。でもかづは妻として、母親として本当によくやってくれているので、最近では両親も岡部家の嫁として認めてくれるようになりました。ただ、母は素直ではないのでそのせいでかづに強くあたってしまうこともあるようですが」
私に使用人時代の癖が残っているせいもあるんですよ、とかづは義母を気遣うように付け加えた。










二人の話しぶりからすると、岡部の両親は面(おもて)にこそ出さないが、かづのことをひどく気に入っているらしい。











夏のある日、箸が折れた <5>



「慶介のことも可愛くて仕方ないくせに、今までのことがあるものだからなかなか」
会うたびに土産物を持ってくるのはあの二人の精一杯の愛情表現なのだろう。
大人四人で歓談していると、それまでおとなしくしていた慶介が体をもぞもぞ動かし始めた。
「おろ、慶坊にこういった話は退屈かもしれぬな」
「申し訳ございません、たぶんお手水(ちょうず)だと思うのですが」
「あ、じゃあご案内します」
薫が腰を上げると、すみません、と言って慶介を抱いたかづも後に続いた。



「慶坊の小用が済んだら少し庭で遊ばせてみるのはどうでござる?」
「そうね、じゃあ私とかづさんは庭にいるから」



     女子供が完全に消えると、剣心は残り少なくなった岡部の湯飲みに茶を注いだ。
「そういえば、御母堂の箸はあれからどうなったのでござるか?」
「はい、店に戻ってから奥様から助言を頂いたように継ぎ目をしようかと考えています。こちらでは道具も材料も揃っていないので」
左様でござるか、と頷いて剣心は茶をすすった。
「時に岡部殿」
コトリと湯飲みを置いてまっすぐ岡部を捉えると、そのまま視線を逸らさずこう告げた。










「あの日、薫殿が中庭で踏んだのは別のものであったと、何故言わなかったのでござるか?」










岡部の表情から笑みが消えた。
彼の口から言葉が出てこない。
だが、沈黙こそ肯定。
「あの日、拙者らは岡部殿の屋敷の使用人に間違えられ、別行動することとなった。だから拙者は薫殿があの時、どんな状況にいたか知らぬ」















岡部の屋敷から帰宅し。
剣心は当時の状況を薫に問うた。
本人としては一日でも早く忘れたかったことだろう。
案の定、剣心の問いに薫の表情が強張った。
自分でも酷なことをしていると分かっている。



それでも人間の記憶力は時間が過ぎれば過ぎるほど段々曖昧(あいまい)になっていく。



剣心はそれを恐れたのだ。
もう済んだことなんだから、と投げやりになっている薫を宥め、説得し、断片的にではあるが何とか状況を聞きだすことが出来た。
昼間のことを思い出すことによって、薫はまた不安と罪の意識に襲われることになったが、



「もう大丈夫でござるよ。今の話を聞いて薫殿ではないことがはっきり分かった」



剣心の言葉にびっくりして不安を忘れた。
理由を聞いても、
「それは内緒でござる。でも、薫殿が箸を折っていないことは事実でござるよ」
の一点張りで肝心なことは何一つ教えてはくれなかった。
彼の寝巻きの袖を引っ張ったりして更にしつこく聞くと「何だか・・・そんな風にされると誘われているようでござるな」ととんでもないことを言われて否定の言葉を紡ぎだす暇(いとま)を与えられず強引に唇を奪われた。
そしてそのまま薫にとってとんでもない目に遭ったのは言うまでもない。
そういった理由もあり、以後しつこく聞くのは止めた。















いつもと変わりない日常を送っていくうちに嫌な記憶も薄れていき、現金なもので一番心を預けている人から「薫殿はやってない」と断言されたことで薫の心はすっきりと軽くなっていった。
その証拠に岡部一家と会っても先日のことなど全く気にならなかったのだ。
もちろん、折れてしまった箸のことは気の毒だと思うが、それでもあの時薫を支配していた闇は欠片すら残っていなかった。



だが剣心は。
薫が忘れても剣心は忘れていなかった。



それどころか、岡部が来る今日という日を待ち望んでいたのかもしれない。
薫の話によれば、中庭で彼女が何か踏んだと感じたとき、岡部がその正体を確認していたのだ。
散らばっていた小物を踏んだのかと心配する薫に対して彼ははっきりとこう言った。










『大丈夫です。奥様が踏んでしまったのはおそらく小枝でしょう』










無論、彼とてそれを手にとって確認したわけではない。
が、小枝と琥珀色の鼈甲を見極めるくらいは出来るはずだ。
彼は問題の箸を薫が踏んだのではないと分かっていた。
それなら何故それを言わなかったのか。



「言えなかったのは、犯人を知っているからでござろう?そして岡部殿は犯人をかばおうとした」

刺すような剣心の視線に耐え切れなかったのか。
岡部は顔ごと目を背けた。

「犯人、と呼ぶのはちとおかしいでござるな。いや、そもそもこの件に関して『犯人』という呼称は存在しない」
「・・・・・緋村様は分かっていらっしゃるんですね。母の箸を折ったのは誰か、ということを」
「拙者とて最初から分かっていたわけではござらんよ。だが、あの時拙者が薫殿のそばにいれば、薫殿は傷つかずに済んだ・・・今悔いているのはそれだけでござる」



静かな口調の中に悔しさが滲み出している。
機械的にこちらを見据えていた剣心が人間らしい感情を垣間見せたことによって岡部も少し気持ちがほぐれたのか、彼の口から滑らかに言葉が滑り出る。



「いいえ緋村様。そんなことを言ったらもっと前にさかのぼらなければならなくなる。あの時、私の両親が緋村様達を使用人と勘違いしなければ。拙宅にいらっしゃらなければ。私達を助けなかったら      妻と出会わなければ」
くすり、と自嘲的に言って、岡部は剣心に向き直った。
「でも私は妻と出会ったことを後悔していません。彼女がいない世の中など考えられない」
「その点は同感でござるな」
瞬間、お互い共通の笑みが表情を彩る。
だがすぐに剣心は真顔に戻った。











「率直に申し上げる。箸を折ったのは岡部殿のご子息でござるな」










遠くから薫とかづの声が聞こえた。
目を閉じてその声に聞き入っているようだったが、やがて岡部の眼(まなこ)が開かれる。
       はい」
「岡部殿はいつ気付かれた?」
「いつ、と言いますか・・・騒ぎの前に慶介を抱き上げたとき、手はかなり汚れていたのに今まで使っていた小枝はさほど汚れていなかった。何か別のもので遊んでいたんだな、くらいにしか思っていませんでしたが、母から折れた箸を見せられたときに慶介が使っていたのはこれだ、と気付いたのです」
「遊びというのは慶坊が今夢中になっている『穴掘り』でござるな?」
剣心の言葉に岡部は頷いた。










『どういうわけか、穴掘りが好きでして。細い小枝を見つけてしょっちゅう穴を掘っていますの』
 
かづは細い小枝、と言ったがそれに替わるものを見つければ幼子は興味を引かれ、それを使って遊びに興じようとするだろう。
ましてやそれが飴色に輝く細身の箸ならば慶介の手にすっぽりおさまり、小枝と同じくらい使いやすい道具となる。










「慶坊の力ではあの箸は折れまい。だが、穴掘りのために何度も固い地面に突き刺していたらその衝撃に耐え切れず鼈甲の箸は折れる・・・・・箸の先端だけ著しく泥汚れが目立つのは慶坊が穴掘りに使っていたと言う何よりの証拠でござるな」
「そこまで分かっているなら、何故」
「あの日、あの時に事実が分かっていなければ今言ったところで無駄に波風を立てるだけ。所詮は幼子のやったことでござるし、それが分かった以上、拙者から何も言うことはござらん」
それに、と続ける剣心の瞳は鋭く岡部を射抜いていた。










「仮に話そうとしたら岡部殿は何が何でも阻止しようとするでござろう?     あの日薫殿に全ての罪を被せたように」










ちりちりと無数の針が全身を刺す       そんな痛覚すら感じるほど、目の前の男から注がれる視線が痛かった。
幻の痛みに僅かに顔をしかめながら、岡部は目を逸らそうとはしなかった。



武道の心得、まして死闘とは縁のない普通の人間が剣心の眼差しを真っ向から受け止めている。
まるで、視線を逸らさずにいることが己に課せられた義務であるかのように。
もしかしたら岡部は彼なりに薫を傷つけたことを申し訳なく思っているのかもしれない。



この男がどこまでもまっすぐな人間であることは分かっている。
だからこそ岡部の行為が理解できなかった。
「何故でござる?大切なものだったとはいえ、孫が知らずにやってしまったことだと分かれば肉親の情もあるし、あの騒ぎは簡単におさまったはずでござろう?拙者には、岡部殿が他者を貶(おとし)めてまで真実を隠し通そうとした理由が分からぬ」
あくまで真剣に問う剣心に対し、岡部は一瞬きょとりとしておかしそうに吹き出した。
これにはさすがに剣心も眉間に皺を寄せた。
それを見て岡部も己の非礼に気づいたのだろう。
失礼、と一言おいて咳払いを繰り返した。
「・・・・拙者、何か笑われるようなことでも?」
憮然とした表情を崩さない剣心に、
「いいえ、そうではないのです・・・・ああそうか、緋村様も奥様も既にご両親は鬼籍に入られているのですね」
記憶を辿るように口の中でつぶやいてから、居住まいを正した。










「緋村様。これだけは信じていただきたいのですが、私は奥様を傷つけてしまうつもりはございませんでした。今回の件に関しても本心から申し訳なく思っています」

剣心は無言で頷いた。







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やっとここまで終わったーーーー!
剣心が真実を明らかにするシーン・・・これは書いていて楽しかった!
つーか謎ときをする瞬間が好きなのかもしれません。
全てを明らかにする(いやまだ全部じゃないけど)この快感といったら・・・!←待て

「誰が箸を折ったのか」という点に関しては今回はっきりさせてあります。
ただし、文中でもありますが今回の件に「犯人」という概念は存在しません。
剣心の言うとおり、家族がやったことであればそのうち思い出話に変わるかもしれない。

それなら何故、岡部は薫に全ての罪を被せたのか。
謎が解けた時剣心を始め、岡部、薫、かづはどうなるのか。



以下次週!



中途半端なところで終わらせてスミマセ・・・ッ