LOVE PHANTOM <6>










      会えてヨカッタ。実は、薫に大事な話があってキタ」
「大事な話?」
鸚鵡(おうむ)返しに聞く薫の腕を掴むと、


「すまないが、彼女を少し拝借したい。私の勝手で申し訳ないが、よろしいでしょうか?」



支配人に向かって英語で言うと、呆気にとられていた彼は反射的に首を縦に振った。
それを認めると、縁はそのまま薫と共に舞台から離れた。
彼らがいなくなった後、訳が分からず呆然とする支配人と、歯噛みして悔しがる踊り子達が残された・・・・・










縁に連れてこられた場所は以前薫が一人で歌を歌っていた庭園。
静寂に包まれる夜とは打って変わり、頭上には青空が広がり緑風が草木をそよがせる。
家族連れや恋人同士が散策を楽しむ中、縁と薫は向き合ったまま動かない。
「大事な話ってなぁに?」
大きな黒目を無邪気に向ける薫とは対照的に、縁はやや緊張した面持ち。

まるで、これから初舞台を踏む新人のようだ。

そんな喩(たと)えが脳裏をよぎり吹き出しそうになったが耐えた。
縁の様子がいつもとは違う。
思い詰めたような顔をしてこちらをじっと見ている。



何か悩みでも抱えているのだろうか。



「縁?」
なるたけ普通に呼びかけると、それを合図にしたかのように縁は大きく深呼吸を繰り返した。
それが終わると彼は、上着のポケットから小さな箱を取り出した。

縁によって開けられた箱の中には大きなダイヤモンドが埋め込まれた指輪が鎮座している。

薫は全てを察した。
「縁、これ      
目を見張る薫に、縁は幾分照れくさそうな口調で言った。
「コノ前はちゃんと話が出来なかったからナ」
それからすぐ真顔になり、薫の瞳をひたと見つめてはっきりと告げた。



「結婚シヨウ、薫」



薫の瞳に歓喜と驚きがない交ぜになり、返事をするために唇が動く。
だがそこから言葉は発せられず、きゅ、と真一文字に引き結ばれた。
そのまま黙り込んでしまった薫に縁も不安を覚え、
「薫?」
彼女の表情を読み取ろうとするが前髪に邪魔されそれは叶わなかった。
「薫      ・・・」
再度呼びかける縁の声に落胆と悲しみが帯びる。
それを感じ取った薫は弾かれるように顔を上げ、彼の瞳を捉えた。
「違うの縁。あなたのことが嫌いで返事が出来ないわけじゃない」
「じゃあナゼ」
ひとまず好意を寄せられていることに安堵したが、それでも疑問が消えたわけではない。
縁の問いに、再び薫の睫毛が伏せられた。



「私だってあなたと一緒にいたいわ。でも、結婚したら私はオペラ座から出て行かなくちゃいけないのでしょう?」



きらびやかな舞台、厳しい稽古、そして父との思い出が薫の脳裏を駆け巡る。
いつかはそれらに別れを告げなくてはならないと分かっていても、今はまだできなかった。
それに、人前で歌えない薫のために熱心にレッスンしてくれる怪人に何一つ恩を返していないのだ。










舞台で歌えないままオペラ座を立ち去ることは出来ない。










「だから、結婚は出来ないわ」

唇を噛み締め、思い詰めた表情が痛々しい。

「薫。オマエを悲しませたくてプロポーズしたんじゃナイ」
縁の手が薫の頬に触れ、そっと顔を上向かせる。
だが、薫の瞳が縁のそれと合わせられることはなかった。
それを見て縁の表情が翳ったが、すぐ笑顔に変わる。
「それに、俺は今すぐオペラ座をヤメロとは言っていナイ      俺も、オペラ座に薫の歌声が響き渡るのをコノ目で見てみたいんダ」
はっとして縁を見ると、とっておきの宝物を見せるかのようなやんちゃな笑みを浮かべていた。



ああ、この笑顔も変わっていない      昔の面影と重ね合わせていると、縁から驚くべきことを聞かされた。



「三日前、ここで歌を聴いタ。曲の最後の部分しか聴こえなかっタが・・・・アレは薫ダロ?」
      !!」
驚きのあまり声が出ない。
だが、その表情の変化が真実を語っていた。










      以前、怪人が言っていた。

あの隠し部屋の換気口はこの庭園に繋がっており、それによって庭園で歌う薫の声が聴こえたのだと。
無論、そのときの風向きにもよるが、その逆      つまり隠し部屋で歌う薫の声が庭園に流れることもあるのだ。










「縁・・・あなたも私の歌を聴いたの?」
夢見ていた答えのはずなのにすぐには信じられなかった。
問い返す声が上擦る。
そんな薫を見て縁は苦笑しながらもはっきり答えた。
「俺ガお前の声を聞き違えるはずがナイ」
「ああ、縁!」
薫は感激して縁の胸に飛び込んだ。



「縁も先生と同じ!いいえ、先生のおかげであなたにも私の歌が聴こえたのよ」
「先生?」
「オペラ座の怪人よ!あの方は私の天使だわ!」



陶酔しきったように宙を見つめる薫に縁の表情が強張る。
「天使?オペラ座の怪人が?」
恋人の表情の変化を敏感に感じ取り、薫は縁に詰め寄った。
「あなたが疑うのも無理はないわ。でも信じて。あの方が私を見出してくださらなかったら、縁だって私の歌を聴くことはなかったのよ?」
必死で説く薫に、縁も破顔する。
「なるほど、違いナイ」
「でしょ?」

薫の笑顔を見ながら、縁は切り出した。
「安心した所デもう一度聞くが・・・・・そうなると俺はプロポーズの答えヲ期待してもいいノカ?」




















蝋燭の淡い光に包まれて薫の声が流れる。
だが一小節もいかないうちに伴奏のピアノの音が切れた。
「違う、何度言ったら分かるんだ!?」

鋭い声が飛ぶと、薫も歌うのをやめた。

同じ台詞を今日何度言われたことだろう。
さすがに怪人も苛立ったようで、鍵盤を叩く手がどことなく乱暴な感じがする。
「自分が嬉しいときでも曲が悲しければ悲壮感を出すように歌う・・・・先週も教えたはずだろう」



怪人と薫のレッスン時間。
始まってすぐ、薫は怪人の叱責を受けることとなる。



悲哀に満ちた曲なのに、どこか浮ついた調子で歌うものだから折角の曲のイメージが台無しになってしまうのだ。
「すみません、先生」
「またいいことがあったのかい?この前と同じように昔馴染みに会ったとか?」
皮肉を込めて言うとふん、と鼻を鳴らした。

薫は何も答えなかった。
浮かれていたのは事実だったから。

だんまりを決め込む薫に、怪人は諦めたように嘆息した。










「今日はもうやめよう。これじゃレッスンにならない」

突き放されたように告げられて全身の血が冷えた。
強制的にレッスンを終了させられることほど辛いことはない。
それならば残りの時間、ずっと説教されたほうがまだましだった。
だが、これ以上歌い続けても彼の希望通りに出来ないことは、薫は嫌というほど自覚していた。










「・・・・・はい。申し訳ありませんでした」
うなだれてその場を後にしようとする薫に、
「待ちなさい。確かにレッスンは出来ないが、君の話を聞くことくらいならできる」
まさか怪人に引き止められるとは予想していなかったらしく、薫の動きが止まった。
苦笑を漏らしつつ、怪人は続ける。



「団員の誰かに話すことなど出来ないのだろう?悲しいことでも嬉しいことでも誰かに話さなければ自分の中に溜め込むことになるからね。そのせいで今日のようになったらまた無駄な時間を費やすことになってしまう」
「先生・・・!」



論理的に語るが、その口調からは薫を案じる気遣いが感じられた。
彼の言うとおりである。
縁と二人で舞台を抜け出した後、女性団員の嫉妬の目が薫に突き刺さった。
プロポーズを受けたことはまだ誰にも話していないが、それでも肩を並べて戻ってきた縁と薫の様子に何かを感じ取ったのだろう。

以後、彼女達からあからさまに嫌がらせを受けるようになった      もっともそれは今までもされていたことで、それが単純にエスカレートしただけの話だが。

そんな険悪な状態で心を開ける相手を探せというほうが無理だ。
結局薫ははちきれんばかりの嬉しさを胸に秘めたまま、誰にもこの喜びを語ることなど出来なかったのだ。










この人は全てお見通しなのだ。










薫の胸に温かいものが広がり、今まで張り詰めていた体がすっと楽になった。
怪人を見ると表情は隠されているが、それでもずっと薫を見守り続けている。
その眼差しになぜか安心感を覚え、薫は話し出した。



「・・・ずっと想っていた人から求婚されました」



頬を染めながらも幸せそうな笑みを浮かべた。
対照的に怪人の瞳が冷えたことに薫は気付かず、同じ口調で話を続ける。
「でも、結婚はまだ先の話です。それまでは今までどおり、先生に指導していただきたいと」
「だが、いずれは結婚する・・・・・そうなればもう二度と会うことはないだろう」

薫の華やかな声を冷たく遮り、心から祝福してくれるだろうと信じてやまなかった彼女の期待とは裏腹に怪人はくるりと背を向けた。

「せんせい?」
ここにきて初めて師と仰ぐ男の様子がおかしいと感じた。
そしてはっと気付く。



私が縁と結婚してしまえば今までどおり先生に教えを請うことも少なくなる。
そうなれば先生はこの暗い洞窟の中で一人きりになってしまう。



薫はなるべく明るい口調でこう言った。
「先生、二度と会うことがないなんてそんな寂しいことおっしゃらないでください。彼は結婚しても私がオペラ座に留まることを許してくれました。だからこちらに伺うこともできますのよ」
びくり、と怪人の背中が震えた。
普段指導してもらうときに見せる威厳ある様はなく、今薫の目の前にさらけ出されている背中はとても小さく見えた。
思わず手を伸ばすと、いきなり怪人が振り返った。
驚いた薫は目を丸くし、伸ばしかけた手が中途半端に止まった。










「それでは駄目なんだ・・・!」










宙に浮いた薫の手を怪人が掴んで、彼女の体を引き寄せる。
「君はここに・・・俺と一緒にいるべきなんだ!俺以外の男と共に生きることなど許さないッ」

激情のあまり、怪人の口調が変わった。
薫の肩を強く掴むと、少女の顔が苦痛に歪む。

痛みを堪えながら、薫は怪人の顔を見た。
仮面に隠され、彼の表情は分からないが、瞳はぎらぎらと異様な光を放っていた。
ここで初めて薫に恐怖が生まれた。



怖い      



「は、放して!先生、放してくださいッ」
必死で逃れようと身を捩るが、怪人に押さえつけられた体はびくともしない。
「お願い、放して・・・!」
怯えたように懇願しても、その表情ですら美しい。
怪人の口角が上がった。
「薫、薫・・・俺だけの天使・・・」
肩を掴んでいた手を少女の背中に移動させ、そのままきつく抱きしめる。
「や・・・・・」
薫の声が先程より弱々しくなったが、それでも口から出るのは拒絶でしかない。










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婚約指輪はでかいダイヤ・・・ってベタですみません(笑)
金持ちのやることってよく分かりません。
だってσ(^^)は万年ボンビーだから(゚∀゚)
時代的には結婚したら女は家に入るのに、結婚後もオペラ座に留まることを許してくれるなんて・・・なんて心が広いんだエニー!
男らしいけど理解があって紳士的で更に金持ちって理想的じゃあございませんかッ
いいですねぇ・・・特に金持ちってあたりが←待て

怪人が激昂すると口調が変わるのは抜刀斎のイメージです。
こっちは逆に非紳士的な振る舞いしてます。
そして次回もそんなけしからん振る舞いが続くという・・・わぁ最低←お前がやらせてるんだろーが

現時点ではエニーに人気が集まっているような気がします・・・そりゃこれだけ比べられちゃーねぇ( ̄▽ ̄;)ははは