LOVE PHANTOM <7>









「なぜ俺を拒む?今の君の歌を聴けるのは俺しかいないのに」










確かにそうだ。
だが、今の薫にとって怪人は恐怖でしかない。
怪人に抱きすくめられ、彼女の脳裏に浮かぶのは幼い頃毎日のように見ていたやんちゃな少年      










「縁」
薫の口から紡がれた名に怪人がピクリと反応する。
「縁・・・」
彼の名前を口にすることで薫ははっきりと己の求めるものに気付いた。



早く縁のもとに帰りたい      



「俺がここにいるのに、なぜ薫は他の男を求める?」
怪人が僅かに体を離して彼女の顔を覗き込む。
師と崇(あが)め、誰よりも尊敬し信じていたはずの怪人。
今、薫を己の激情のままに腕の中に閉じ込めている彼は、とても同じ人間とは思えなかった。
再び恐怖が薫を支配する。










「いやぁぁぁあぁぁ!!縁、縁、縁ッ」










求める青年の名を呼びながら滅茶苦茶に腕を振り回すと、予想外の彼女の動きに対応できず、怪人の体がぐらりと傾いだ。
だが足に力を入れ、その場に留まる。
その時、振り上げた薫の手が怪人の仮面に当たり、皮膚と同化したかのようにぴったりと張り付いていた仮面が外れた。



カラン・・・・・・



仮面が落ちて乾いた音が洞窟内に響き渡った。
その音で我に返り、地面を見ると今まで怪人がつけていた仮面が薫の足元に転がっている。
「え・・・?」
反射的に怪人の顔を見て      言葉を失った。










炎に照らされた怪人の素顔。
赤い髪がより一層鮮やかに煌き、その瞳も蝋燭の灯を受けて爛々と狂気染みた光を放っている。










今すぐこの場から逃げ出したいのに、足が地面に縫い付けられたかのように動かない。
「・・・きっと薫の想い人は美しいのだろうね。それこそ、傷一つないくらいに」

一見落ち着きを取り戻したように見えるが、その声には張りがなく、洞窟内に虚ろに響く。

「出来れば見せたくなかったが・・・・・これもまた運命なのだろう」
怪人の声は悲しみを帯びていた。
だが、あまりの衝撃に薫がそれに気付くことはない。



「さぁ見るがいい。思いのほか醜いだろう?」



そう言って怪人は左頬を覆っていた手を外した。
そこには十字架のような傷が左頬を占めていた。
薫は言葉を発することが出来なかった。
いや、正確に言うと言葉を発する前に意識を失ったのだ。
立て続けに想像を絶するこの現実に耐えられるものなどどこにいよう。

少女の体が前後に揺れたかと思うと、足の力が抜けたかのように膝がかくんと折れた。
固い地面に倒れる前に、怪人が薫の体を受け止める。
「それでも・・・・・この禍々しい怪物は天国に憧れる・・・」
怪人の口から小さく紡がれた言葉は独り言か、それとも      
薫の体を大切に抱きかかえる怪人の瞳から先ほどの激情も、狂気も消えていた。





















薫が目を覚ましたのは自分の部屋だった。
いつもと同じようにベッドに横になり、いつもと同じように窓から差し込む光で目が覚めた。
一瞬昨夜のことは夢だったのかとも思ったが、あの強烈とも言える出来事は夢では済まされないことも十分分かっていた。



荒々しく怪人に掴まれた肩にはくっきりと跡が残っており、暗闇でも鮮やかに浮かび上がる十字傷を見たのはまさしく現実のことだ。



「せんせい・・・・先生ッ」
ベッドを飛び降りるとそのまま舞台に向かって駆け出した。
幸い、まだ誰も起きだしてはいない。
走りながら薫は昨夜のことを思い返していた。



あの時、確かに恐怖した。
だがそれ以上に怪人の瞳に惹きつけられたことも事実。










深い紫苑の瞳は狂気に染まっていたが、それでも何かに縋り付くようにこちらを見ていた。

あの時は色んなことが一度にありすぎて思考が追いつかず意識を失ってしまったが、それでも薫の心に強く刻まれたのは十字傷でも赤い髪でもなく、彼の瞳。










怪人の瞳を思い出すだけで胸が締め付けられる。
このままではいけない、と思う。

でも      私は一体どうしたらよかったの?

収納庫の扉を開けたまではいいが、ここに来て躊躇いがちに階段を降り始めた。
そんな薫の揺れる思いを感じ取ったのか。










隠し部屋への出入り口になっていた鏡は姿を消し、そこには冷たい壁しか残っていなかった。



















      どうしタ、薫。浮かない顔をしているナ」
シャンパングラスを片手にぼんやりとしていたが、縁の声で我に返った。
顔を上げればそこには愛しい人が心配げに覗き込んでいる。
そして彼の向こうには普段とは違い、上等な衣服に身を包んだ団員達が思い思いの仮面を付けてダンスや歓談に興じている。



今宵はその年を盛大に送る仮面舞踏会。



女達が美しく着飾り、薫もまた縁から贈られた上質なドレスを着ている。
やや濃い目のピンクの生地は彼女の動きに合わせて微妙に色彩が変わり、それが更に人々の目を惹きつけた。
そしてそのドレスは薫の可憐さを引き立たせ、今宵の彼女はさながら春の妖精と呼ぶに相応しい。

「まだ気にしているのカ?オペラ座の怪人のコトを」

流れる音楽や団員達の笑いさざめく声でともすれば話し声などかき消されてしまう。
お互いの吐息が肌に感じられるほど顔が近づく。
これが以前であれば薫も頬を染め恥らう所だが今は別に気にかかることがあって、恋人と寄り添っていても心から楽しめない。
「ええ・・・・あれから先生がいらっしゃる部屋へは行けなくなってしまったし、先生も何もおっしゃってくださらない。やはり先生は私のことを許してはくださらないのかしら」
ため息をつく薫を元気付けるように、縁は彼女の肩に手を置いた。
「きっと怪人は俺に嫉妬でもしているんダロウ。今まで手塩にかけてキタ愛弟子を突然現れた俺に取られてしまったのだからナ」
「取られただなんて!そんなこと言わないでちょうだい。あなたとの結婚は私が自分で決めたことなんだから」
「嬉しいことを言ってクレル」
恋人同士は微笑み合った。



      きっと先生もいつか分かってくださるわ」
「そうダナ、時が解決してくれることだってアル。さあ、折角の舞踏会ダ。踊ろう、薫!」



ステップを踏むたびに、薫の左手の薬指にはめ込まれたダイヤが存在を主張した。
ワルツに乗って踊る恋人達を待つのは輝かしい未来。
楽しげに踊る薫を、女性団員が面白くなさそうに見つめている。
だがそんなことは気にならなかった。



今、二人の瞳に映るのはお互いの姿だけ。



薫も縁もこの幸せな時間がいつまでも続くと信じて疑わなかった。
「幸せにスル、薫」
耳元で囁かれた言葉に、薫は微笑を浮かべて縁の胸に体を預けた。

曲が終わる。

そのまま次の曲が流れるのを待っていると踊りの輪の中に一人入り込んできた。
「美しいお嬢さん、次は私と踊ってくださいませんか?」
幸せの余韻に浸っていた薫であったが、聞き覚えのある声に反射的に顔を向けた。










赤い髪に白い仮面。
会いたいと願っていた人が今、目の前にいる。










「先生・・・・先生なのですね?」
ぱっと婚約者から体を離し、怪人と向き合う。
今までずっと縁と寄り添っていたところを見られたと思うと恥ずかしさがこみ上げてくる。
更には最後に会った日のこともあり、正面きって向き合ったまではいいが、何から話せばいいのか分からない。
ちらりと怪人の顔を見るが、仮面に邪魔されて彼が今どんな表情なのか窺い知ることも出来なかった。
その場の空気に異なる何かを感じ取ったのか、誰一人として動くものはいない。
言葉も発せず、音楽も流れない無音の空間で、怪人は薫に手を差し伸べた。
誘われるようにして薫も手を伸ばす。



だがその動きは途中で止まる。



      先生・・・以前とは違う?

最初は久しぶりに会ったせいだと思った。
ずいぶん長い間顔を見ていなかったせいだと。
しかし、薫の中にある違和感はますます大きくなるばかりだった。



その原因となった一番の理由は仮面の奥にある怪人の瞳。



引き込まれるような澄んだ瞳はそこにはなく、薫を見つめているそれは暗く澱んで底が見えない。










初めて会ったときには人を惹きつけずにはいられない輝きがあった。
レッスン中は厳しく、それでも包み込むような温かな光があった。
最後に見たときには激しい感情のうねりがあった。










あの時は怪人の感情に巻き込まれそうで怖かった。
でも今は闇に飲まれそうで怖い。











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この回ははっきり言ってエニカオですね〜
ストーリー上の関係もあるとはいえ、ここまでラブラブなエニカオ書いたのは初めてじゃないか?ん?
・・・まぁ縁自体初書きなんですがね( ̄▽ ̄;)ははは
言葉遣いが怪しいのは勘弁してください;
ホラ、外国暮らしが長くて日本語忘れかけているし・・・
たどたどしさを表現しようとしたらカタカナをしつこく使いすぎたorz

今回は仮面舞踏会です。
書いてませんが、全員仮面をつけています。
薫の仮面はドレス同様、縁が用意しました。
おそろいかどうかまではご想像にお任せするとして、カネがかかっているのは確か(゚∀゚)