あなたは私。
私はあなた。




ありがとう、私になってくれて。
ごめんなさい、私の代わりにしてしまって。




だから、涙は見せずに前を向いて歩いていこう。










これが、私があなたに出来る償いだと思うから。











 ―Sei―   前編



雪代縁との戦いが終わったあと、療養と称して操と蒼紫はしばらく神谷道場に厄介になっていた。
弥彦は「まだいんのか」と心底イヤそうな顔をしていたが、薫は京都でゆっくり話も出来なかったこともあって、時間のあるときは操と共に他愛のないおしゃべりに花を咲かせていた。
しかし、恵が会津に帰ると聞き、それに合わせるように蒼紫も京都に帰ると言い出したのだ。



そして別れの日。



操はまたね、と彼女らしい笑顔を残し、蒼紫の後に従う。
そんな操を確認した後、蒼紫は何か言いたげに薫と剣心に視線を投げた。
だがすぐに視線を前方に戻し、そのまま京都へと出立した。




















操と蒼紫、そして左之助がいなくなり、更に弥彦も左之助が住んでいた長屋に引っ越してしまったため、剣心と薫の二人だけになった家は広く感じる。
そのせいだろうか。
剣心も薫も、お互いの行動に敏感になっていった。



意識するようになった、といったほうが正しいか。



片方が席を立っただけで反応し、留守番している時に帰ってきた気配を感じると思わずそちらに目を向けたり・・・・
剣心が薫に対して違和感を感じたのも、そんな時であった。










ある日、剣心が夕餉の支度をしていると、用があると言って出かけた薫が帰ってきた。
この時も思わず視線を走らせると、薫の着物の裾が泥で汚れている。
それを彼女に伝えると、
「そ、そう?いやだわ、どこでつけたのかしら・・・」
と、ややうろたえたように答えたのを覚えている。










またある時、買い物のため二人で町に出ると和菓子屋の女将から、
「こないだお求めになったお饅頭のお味はいかがでした?」
と尋ねられ、にこやかに談笑していたが、剣心は薫と饅頭を食べた覚えはない。

その女将と別れた後、
「剣心、ごめんね。この前、今の和菓子屋さんでお饅頭買ったんだけど、持って帰る途中で落としちゃったの。それで、泥まみれになって       
と薫は謝ったが、剣心はどうも腑に落ちない。










薫は嘘をついている。
自分と目を合わせないのが何よりの証拠だ。

だが、この少女が嘘をついてまで隠そうとすることはなんだろう。

疑問は胸に残ったままだったが、その理由を無理やり薫に聞き出すことも出来ず、剣心は気にしながらも日々同じように過ごしていた。










一方の薫も、剣心が何か聞きたそうにしていることに気付いていた。
しかし、こればかりは相手が剣心であっても言うわけにはいかない。
否、剣心だからこそ、告げてはならないのだ。



剣心があの場所を知る必要はない。



薫は己と、その場所を教えてくれた蒼紫に誓ったのだ。
そう、あれは京都に出立する三日前のこと          




















「ただいま」
出稽古から戻り、自宅の玄関からお決まりの台詞を口にしてから、薫ははて、と首をかしげた。
彼女が玄関をくぐると、いつも出迎えてくれる赤毛の剣客が現れないのだ。
「剣心・・・けんしーん?」
自室に向かいながらも、とりあえず呼んでみる。

「緋村なら、操と共に出かけたぞ」

いきなり背後から声をかけられ、びっくりして振り向くと、そこには蒼紫が立っていた。
「夕飯の買出しに操も付いていったから、俺が留守番をしていた」
驚いている薫にかまわず、蒼紫は平然として補足を付け加えた。
「そ、そうなんですか・・・・ありがとうございました」
やっとのことでそれだけ口にすると、蒼紫は何も言わずに背中を向けた。
操とは無邪気に笑いあえるが、この男に関しては、どうも苦手意識がつきまとう。










悪い人ではないのだけれどね・・・・










それは分かっている。
しかし、食事の席で一緒になっても、口を開くのは操だけで、蒼紫は黙々と出されたものを食すばかりで、会話に加わろうともしない。



一度、薫が作った煮物を食卓に出したことがあった。

幸い失敗もせず、味見をした剣心からも大丈夫、と太鼓判を押され、安心して皆の前に出した一品だ。
全員口々に「おいしい」とか「まあ、いいんじゃねぇの」と感想を述べたが、蒼紫だけは何も言わなかった。
口に合わなかったのかしら、と不安になり、思い切って聞いてみたところ、
「・・・・別に」
とだけ言って、あとは終始無言であった。

どちらかというと薫はおしゃべりな人種に入るため、蒼紫のような無口な人間を前にするとどうも落ち着かない。
話しかけても、会話が続かないような気がして、そう思うとこちらから話しかけることは出来ずにいるのだ。



それでも、今回の件で色々と助けてもらったんだし。



雪代縁に攫われた後のことは恵と弥彦に聞いた。
薫そっくりの屍人形を剣心に見せつけ、人誅の完成としたこと。
それを見た剣心が、心に深い傷を負い、生きる気力を失くしたこと。
そして、医者である恵ですら薫本人と信じて疑わなかったその死体を、蒼紫が偽者であると見破ったこと。

そこまで思い返して、ふとあることに気付いた。










そういえば          どこにあるのか聞いていなかったわね。










「あの」
遠ざかる背中に声をかけると、蒼紫が顔だけ動かして薫を見た。
「聞きたいことがあるんです」
「何だ」



薫は今頭に浮かんだ疑問を蒼紫にぶつけた。
それを聞いてわずかに彼の表情が変わる。



「それを聞いてどうする気だ」
「どうする、というか・・・・一度私も行ったほうがいいかと思って」
「とりあえずのことは済ませたから、あとは自然に還すだけだ。この件に関してはお前に責任があるわけではないし、気に病むことなどない」
そして今度は体ごと振り向き、薫と向き合った。










「あれは雪代縁が緋村を絶望させるためにやったことだ。現に、それによって奴は再起不能になりかけた。お前がその地に行ったことを奴が知ったら、忘れかけていた苦しみを思い出させることになるぞ」










蒼紫の言うことは正論だ。
自分がそこに行ったところで、何か出来るわけではない。
むしろ、剣心を傷つけてしまう可能性さえある。



それでも、薫はその場所に行かねば自分の気が済まなかった。
「おっしゃるとおりです。でも、私はそこに行く義務があると思うんです。私はその       当事者でもありますし」

そこで一旦言葉を切り、
「剣心には知られないようにします。だから        
頼む、というよりほとんど詰め寄る形で薫は蒼紫を見上げた。
そんな薫の様子になにかしら感じるものがあったのか、しばし考え込むそぶりを見せた後、仕方ない、という風に息を吐き出し、薫に告げた。



         その場所に行くには、女の足ではきついかもしれんぞ」




















そして薫は教えられた場所に行った。
蒼紫の言うとおり、薫の足では確かにきつい道のりであった。



急斜面に沿うように、申し訳程度に草木が分けられているだけの道。
その地面にはごつごつとした岩が頭を出して、気をつけないと足をとられ怪我をする恐れすらあった。
そんな悪路をひたすら歩き、目指す場所に付く頃には、すでに息が切れてしまっていた。
しばらくその場で呼吸を整え、前方にあるものを見据えると、薫はその方向に向かって歩を進める。










少し土が盛り上がり、その上にはやや大きめの石が置かれていた。
そしてその脇には先日薫が持参した花と和菓子屋で買い求めた饅頭が供えられている。
さすがに日数が経っているので、花は萎れ、饅頭は鳥に突かれたような跡があったが。










薫はそれらを片付け、新しい花を供える。
手を合わせる前に空を見上げると、暗雲が空を覆い、これから雨になることを告げている。
「もうここには来ないつもりだったんだけど・・・大雨だったら流されちゃうと思って。でも、それも自然に還るってことなのよね」
目を閉じてしばし黙祷する。
「・・・・ありがとう」
そう言って目を開き、蒼紫が作ったという『墓』を見やる。










          ここにもう一人の『私』が眠っているのね。










この墓には、雪代縁が作らせたという、薫の屍人形が眠っているのだ。
姿かたちは人間だが、所詮は人形、骨はない。
あるのは生身の人間と思わせるために使われた、皮膚や髪、目玉などの部分である。
それらは蒼紫が荼毘(だび)に付し、灰となった。



これから雨で流されることがあっても、その魂は既に天に昇っているため、あとは自然に還るのみ。

だから、形だけの墓なのだ、と蒼紫は薫に告げた。



それでも。

それでも薫は、自分のせいで安らかな眠りを妨げてしまったことを謝りたかった。
望みもしない姿にさせてしまったが、それが薫の命を助ける結果となったことに対して、感謝の気持ちを伝えたかった。










ごめんなさい。
そして、ありがとう。










ぽとん、と薫の手に水滴が落ちた。
「雨        
見上げると、今まで溜め込んだ水分を吐き出すように天から雨が降ってきた。



「あっ」



激しく降り注ぐ雨が、一粒目に入ったらしい。
視界がぼやけ、思わず目を閉じると、雫が頬を伝った。










違う。










だってこの雫はこんなにも熱い。



体を濡らすのは冷たい雫。
でも、頬を伝うのは熱い雫。



これはだれの涙?
私?










それとも            










分からない。
分からない。



でも、確実に言えることは。



「ありがとう・・・・・ごめんなさい・・・・・」



とめどなく流れる涙を手の甲でぬぐい、立ち上がった薫はその墓を見た。



「・・・・さようなら」











もう自然にお還り。











「さようなら」



何とか笑顔を作り、もう一度同じ言葉を繰り返した。
あなたに助けてもらった命、大切にするから。

だから、涙は見せない。










くるりと墓に背を向け、そのまま振り向かずに歩み続けたが、ここまで上ってきた悪路にさしかかると、今までこらえていた涙が一気に溢れ出した。



「ふっ・・・くぅ・・・・」



泣いてはいけない。
前を向いて歩かなくては。
それが、私の身代わりとなった人へのせめてもの贖罪(しょくざい)。










蒼紫の言うとおり、薫に直接的な責任はない。

だが、現に己のせいで犠牲になった人がいる。

それを思うと、薫は罪悪の念に囚われた。
やがてそれは、黒い塊となって、日を追うごとに薫の胸に重くのしかかる。










「泣くな、薫。泣いちゃだめ      ・・・」



泣いたところで胸の塊が軽くなるわけではないが、それでもこみ上げる感情を抑えることができなかった。

嗚咽を止めるために大きく呼吸を繰り返しながら、斜面を下っていく。
そんな中。



        え?」










突然、地面が消えた。










否、正確に言うと、今まで薫の足が踏みしめていた岩が地面からすっぽ抜け、彼女の体重を支えることが出来なくなったのだ。
どうやら雨が降ったせいで地盤が緩み、埋もれていた岩が動いたらしい。



「!!」



今の状況を把握した薫は、咄嗟に己の頭を両手で抱え込む。
ひょっとしたら、しばらく竹刀は握れなくなるだろうが、岩に頭をぶつけるよりずっといい。
あちこち岩が飛び出ているような地面に、頭部などぶつけたらたんこぶくらいでは済まない。



体が傾(かし)いでいる状況で、ここまで考えられたのが不思議なくらいだ。
薫は、両手で頭部を守り、これから来るであろう衝撃にそなえた。










しかし。













己の体が地面に叩きつけられる衝撃はやってこなかった。
そうなる前に、力強い腕によって、彼女の体が抱き込まれたからだ。
その影は薫を己の胸に抱くと、草木が生い茂っている脇のほうへと体を捻った。
そして薫の体を抱えたまま、斜面を滑り落ちていく。










          ザザザザザッ











ぎゅ、と目を瞑っているため、何が起きたのかは分からないが、自分が今どんな状況にいるのかは、視界に飛び込んだ緋色の着物で把握できた。










ザザ・・・ザッ










がくん、と動きが止まり、目を開けて見てみると、自分を抱え込んだ人物の右手が草木を握り締めている。
どうやらこれで滑り落ちるのを止めたようだ。
しかし、薫はこの人物が誰かは分かっていても、なぜここにいるのかが理解できない。



「どうして        



やっとのことで絞り出した声が、のどにはりつく。
ごくりと生唾を飲み込んでから、もう一度薫は問うた。










「剣心が・・・・なぜ、ここにいるの?」







後編
    小説置場



タイトルはシンプルに一文字。
「生」→「せい」とそのまま読んじゃってください。
間違っても「ナマ」なんて読まないようにッ(笑)

「薫の屍人形はどこに葬られたのか」

蒼紫によって火葬されたのは原作にもあったけど、そうすると墓もあるはず!
墓があるんなら、薫が放っておくわけが無い!
というσ(^^)の思い込みにより生まれた作品です。

今まで書いた中で、一番悩んだ作品です。
特に、薫の心情が難しい!
やはり、この件に関して、薫は薫なりに悩み苦しんだと思います。
その薫の苦悩がちゃんと表れているか心配・・・・・

後編、かなりメチャクチャな文章となっております(汗)