町の中心を過ぎた辺りで、剣心は足を止めた。










「どうかしましたか?」

怪訝そうに眉をひそめる浦村を静かに、と制し、寂(さび)れた裏通りに入った。
しばらく歩いて、再び剣心は足を止めた。
辺りを見回しながら歩いていた浦村は、危うく剣心にぶつかりそうになった。
新たに家屋でも建てるのだろう。
そこには建材用に切断された板が数十枚立てかけてある。
「署長殿はここに」
小声で浦村に囁くと、剣心は一人その中を進み始めた。



十歩ほど歩いただろうか。
ぐらり、と立てかけてあった板が剣心に覆いかぶさるようにして倒れてきた。



「緋村さ       
浦村の声もむなしく、あわや剣心は木材の下敷きになったかに思われた。
が、木材が倒れ始めたことに気付くや否や、剣心は神速で駆け抜け、木材の途切れた先に立っていた。
ほーっと安堵のため息をつく浦村を尻目に、剣心は木材が倒れてきた方向を見やる。

「この程度では拙者は倒せぬよ。観念して出て来い」

静かな、しかし有無を言わせぬ口調で語りかけると、闇の中に蠢(うごめ)く影があった。









我が行く道は <4>










剣心はその影が出てくるのを待ったが、影はその場を動こうとしない。
実力行使も止むを得ない、と剣心が逆刃刀に手をかけ、一歩踏み出したのだが。
影が存在するその空間から覚えのある臭いを感知し、逆刃刀から手を離し素早く駆け寄る。

その臭いとは       すなわち、人間の血。

「おいっ、しっかりするでござる!!」
驚いた浦村もその影に近づくと、たちこめる血の臭いに吐き気を覚えたのか、思わず口を押さえた。
それでもその影の姿を確認しようと身を乗り出す。



「緋村さん、間違いありません。この男が現在手配中の田原平次です」



第三の惨劇の犯人である田原平次。
闇に邪魔されてよく見えないが、左手で腹部を押さえている。
どうやら怪我を負い、それをかばっているらしかった。

彼はその場から動かなかったのではない。
動けなかったのだ。

「け・・・警察・・・か・・・・?」
「喋るな。これから医者を呼ぶ」
そう言いながら、剣心は持っていた手拭いを傷口に押し当てる。
ここではない、他の場所で怪我を負ったのだろう。
闇夜に目を凝らすと、点々と血の跡が続いているのが見えた。
「お・・・俺は、野口の無念を晴らすためにここまで       
「もういい、喋るな!」
田原が口を開くたび、傷口から新たな鮮血が噴出した。
剣心が彼の傷口に押し当てていた手拭いは既に真っ赤に濡れそぼり、多量の出血であることを物語っていた。
「署長殿、早く医者を!!」
剣心は浦村にそう指示し、彼もそれを受け走り出そうとしたが、



「待てッ!待ってくれ、あんたはこの町の警察署長か!?」



田原の悲痛な声に浦村は足を止めた。
「い・・・いかにもそうだが?」
「なら・・・い、医者は要らな・・・い。どうせこの傷じゃ・・・・俺は長くない・・・そう、だろ・・・?」
血走った目で田原は剣心を見上げる。










剣心もひと目見て、田原の傷は致命傷であることを見抜いた。
田原は自分が助からないこと、そしてその事実を目の前にいる赤毛の男も察したことを悟っていた。










       お主の望みは何だ?」
剣心は命の灯(ひ)が消えかけている男の最後の願いを聞き遂げることにした。
その言葉を聞いて、安堵したように田原の表情が和(やわ)らぐ。
「の、望みなんて・・・大それたものはな、い・・・ただ・・・話を・・・き、いてもらいた・・・」
「話というのは、先ほどお主が口走った野口眞一郎のことでござるか?」
剣心の言葉にこくり、と頷く。
「あれは・・・・あの、通り魔事件・・・野口が悪いんじゃ、な、い・・・」
荒い呼吸を繰り返しながも、田原は言葉を紡ぐ。
剣心と浦村は田原の話に耳を傾けた。




















コチ、コチ、コチ・・・・
いつもならば気にならない時計の音が、今日はやけに耳につく。
正確に言えば、剣心がなんらかの事情で家をあける夜に、だ。
それでも、今日はことさら音が響くような気がする。
薫は居間の柱時計を見上げたが、剣心が出て行ってからさほど時間が経っていないことを確認しただけであった。



剣心の強さは良く知っている。
でも、いつも無事に戻ってくるという保障はどこにもない。



予想できない事態、というのは誰にでもありえることだ。
剣心は大丈夫だと信じていても、わけもなく不安に駆られることが多々あった。
不安になり、悪いことばかり頭に浮かぶ。

「いやだわ、こんなの」

薫はそんな考えを振り払うかのように頭を振った。
自身の黒髪と共に、それをまとめてある藍色のりぼんが左右に揺れた。
こんなことを考えていたら、現実になってしまうかもしれない。
気を紛らわすために、薫は戸棚から二人分の湯飲みを出した。
火にかけてあるやかんの湯がそろそろ沸く頃だ。
弥彦と左之助は念のため、家の外で見張りをしている。



彼らのためにお茶でも淹れてあげよう。



そう思い、茶を淹れる用意を始める。
急須に茶の葉を入れ、ほどよく沸いた湯を注ぎいれ、湯飲みと茶菓子と共に盆に乗せる。
そこで一旦手を止めて、自分の湯飲みも出した。

一人でここに居たって、不安になるだけだわ。
それなら、弥彦や左之助と話をしていたほうが余計なことを考えずに済むかもしれない。

そう考え、自分の分を含めた湯飲みを盆に乗せ、それを持って薫は庭先に向かった。










「お茶が入ったわよ」










声をかけると、そこには左之助と弥彦のほかに見慣れた人物が立っていた。
その人物の持ち物で薫も覚えがあるそれを、今は懐にしまっておらず、彼は手で弄(もてあそ)んでいる。

なぜ、この人がここに・・・?

一瞬薫の胸に疑問が湧いたが、特に気にも留めずに型通りの挨拶から始まって、何気ない話をし、いつの間にか今回の事件の話になっていた。
その話になって、忘れかけていた不安が薫の胸に蘇ってきた。
それが表情に出ていたのか、弥彦と左之助が不器用ながらも薫を励まそうとする。
ここで、それまで何も言わなかったその人物が、薫に一振りの刀を差し出した。
そして言った。










気休めかもしれないが、一人になった時、この刀を見てごらん、と。










この刀は人を斬るための刀ではない。
己の信念を守るための刀だと       

そう言って、その人物は去っていった。



















よほどぼんやりしていたのだろうか。

弥彦に、久しぶりにまともなもん作ったから疲れたんじゃねえの、とからかい混じりに言われた。
出かけ際に剣心に言われたとおり、夜食にできるようにありあわせの食材で雑炊を作ったのだが、自分でも驚くほど美味しく出来た。
ひょっとしたらこれで人並みの味になっただけなのかもしれないが、それでも薫にしてはこれまで作った料理の中では上位に入るほどの出来だった。
剣心が帰ってきたらちゃんと食うように言っとくからもう休んだほうがいい、と左之助に勧められ、薫はその言葉に従うことにした。










自室に入ると、そのまま畳の上に座り込んだ。
居間で聞いた時計の音がまだ耳に残っていて、何だか頭が重かった。
実際本当に重い感じがして、頭を垂れると先ほど与えられた刀が目に入った。



己の信念を守るための刀。
私の信念はなんだろう。



父が亡くなったとき、周囲から道場を閉めることを勧められた。
女一人で剣術道場を続けていくのは無理だと。
それでなくても昨今、廃刀令が発令され、洋式の武器が重宝されて剣術など廃(すた)れていく一方だ。

それでも。

幼い頃から嗜んできた剣術を捨てることは出来なかった。
母親が亡くなって、男手ひとつで子育てと道場の師範を兼任していた多忙な父とは、世間一般で言う親子の触れ合いは無かった。
薫に言わせれば、剣術こそが父と自分を結び付ける唯一の絆であったのだ。
それに父のことが無くとも、まだ見えぬ己の境地を極めてみたいといういち剣術家としての目標も出来た。










時代の流れなど関係ない。
私は私の剣を携(たずさ)えて生きていく。










いつの間にか、それが薫の信念となった。
ふと気付くと、己の手が白くなるほど刀を強く握り締めていた。

コチ、コチ、コチ・・・・

時計の音は相変わらず薫の頭に響いてくる。
いつの間にか、その音はいつも稽古で聞いている音と重なった。
剣心を想うゆえの不安は姿を消し、時計の音が薫の精神を占めていた。



何も感じない。
ただ、時を刻む音が聞こえるのみ。



薫はゆっくりと刀を持ち上げ、刀身を鞘から抜いた。




















全速力で走る剣心を、彼がひた走る道よりひとつ挟んだ通りから向かってくる馬車の御者が、その姿を見て目を丸くしている。
剣心も視界の端にその姿を捉えたが、今はそんなことに構っていられない。
田原の末期の告白で、この事件の犯人が分かった。
まだこの近くにいるはずだ。
剣心はその人物を見つけ出そうと町中を走り回っていた。



「剣心ッ!!」



こちらに向かってくるのは弥彦だ。
お互い、ぶつかる寸前で立ち止まり、息せき切って話を切り出した。

「何かあったでござるか!?」
「薫が大変なんだ!」

両者ともほぼ同時に話し出したが、何を言っているのかはお互いの耳にはっきり聞こえた。
薫の名前を聞いて剣心の瞳が揺らいだが、弥彦はそれに気付かずにまくし立てる。
「薫の奴、自分の部屋に引っ込んだと思ったら、抜き身の刀を持って出てきたんだ。んで、そのままどこか行こうとするから止めようとしたんだけど、いきなり刀を振りかざして俺たちに向かってきてよ。そしたら左之助が『ここは俺が止めるから、お前は剣心か警邏中の警官連れて来い』って言って・・・」
とにかく、早く来てくれ、と言いながら弥彦は駆け出そうとする。
だが、剣心はそれを制し、
「いや、道場には拙者一人で戻る。弥彦、お主は署長殿と合流するでござるよ」
と指示する。
弥彦は反論しようと口を開きかけたが、声を発する前に剣心の姿はその場から消えていた。










ひと足遅かったか・・・










剣心はぎり、と歯噛みすると速度を落とすことなく走り続ける。
道場に抜ける最後の角を曲がった時、門から見慣れた赤い晒(さらし)を巻いた腕が覗いていた。



       左之!!」



門にもたれるようにして座り込んでいる左之助は全身刀傷だらけであったが、どれもかすり傷程度のものだった。
一番の打撃となったのは、背後から打ち込まれた脊髄(せきずい)への一撃か。
刀の棟(むね)で打たれたらしく、その部分だけ青く変色している。
「すまねえ剣心、嬢ちゃんを止められなかった・・・」
「左之、一体何が起こったのでござる?」










左之助の話も、弥彦とさして変わらなかった。
外へ出ようとした薫に近づいたとたん、問答無用で突然斬りかかってきたと。
これはただ事ではないと察知した左之助は弥彦に応援を頼み、自分は薫の行く手を阻んでいた。

力では左之助のほうが上だ。

だが、相手が薫ということもあり、左之助も自らの力をうまく発揮できない。
手加減していたら自分がやられることは重々承知していたが、どう見てもいつもと違う薫に対して本気で立ち向かうことは出来なかった。
そしてあれこれ策を練っている間に薫からの痛恨の一撃を食らってしまった、というわけである。










その一撃を食らい立ち上がる力はあったものの、ふらつく左之助に肩を貸し、道場の縁側に腰を下ろさせた。
そしてそのまま家の中に入り、薫の自室にたどり着く。

障子は開け放しになっており、道着に着替えたのか、剣心が出かけていく前に着ていたはずの藤色の小紋が無造作に脱ぎ捨てられていた。
いつもの薫であれば、こんな不調法はしない。

何気なく畳の上に広がる小紋に触れたとき、その色よりも濃い色が剣心の目に入った。
薫が好きな色だという藍色のりぼんである。
剣心の手は無意識のうちにそのりぼんを掴んでいた。






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一話目といい、今回といい・・・やはり刃衛編を意識しちゃっているかもです。
りぼんは萌えアイテムの一種!
ならば大いに活用させてもらうじゃんッ( ̄ー ̄)ニヤリッ

ちなみに次回、薫殿の出番なしです。
「おろ?」な剣心も当分出てきません。
剣客らしく、かっこよくキメていただきましょう!