我が行く道は <6>










身も凍るような剣気を感じ、篠崎は己の背に悪寒を感じた。



これが人斬り抜刀斎の剣気。
篠崎とて幾人もの強敵と剣を交えてきたが、彼の戦いの人生においてこれほどの恐怖を感じる相手は現れなかった。










これが恐怖か。










指一本動かしたが最後、次の瞬間には血溜の中でこと切れている己の姿がありありと思い浮かぶ。
いまだかつて無い恐怖に、篠崎は口を開くことも出来ない。










「もう一度言う。薫殿はどこだ」










威嚇のつもりで逆刃刀を一寸近づける。

と。










       ザンッ!










木の陰から小さな影が飛び出し、剣心に向かって刀を突き出した。



新手かッ!?



剣心はすかさず後方に退き、刀を交えようと身構える。
が、その影の正体が分かると、呆然として刀を下ろした。










「薫殿・・・?」










剣心が聞くのを無理は無い。
今、篠崎を守るようにして剣心と対峙している道着姿の薫は、感情が抜け落ちてしまったかのように何の表情も浮かばない。

「薫殿!」

少し強めに呼びかけてみても、薫は何の反応も示さなかった。










「ほう・・・どうやら、この少女に対して貴殿は刀を向けることが出来ないようだな」











薫の背後で、篠崎がのっそりと立ち上がった。
「篠崎!薫殿に何をしたッ」
「前の二人と同じことをしたまでだ。この町に配属したのも、隣町より武術道場の数が多いからだ。その中で条件に合う人材を探していたのだが・・・・」










初めて会った時、浦村は篠崎が自ら志願したと言っていた。
つまり、この町に来たのも意図があってのことか。










「薫君は女性の身でありながら優れた剣の使い手だ。それに愛国心とはまた違うが、己の信念をしっかり持っている。女性の研究成果を見てみるのも悪くないと思ってね」
「篠崎・・・貴様ッ」
怒りを隠さずに一歩踏み出すと、薫が刀を突きつけて剣心の動きを牽制する。
「しかし、これは予想外の結果だ。貴殿は薫君を傷つけることは出来ない。薫君は私の意のままに動く。この状態で貴殿がどう戦うか、実に興味深いものがある」
そして、篠崎は懐から懐中時計を出した。
蓋を開け、薫に語りかける。










「さあ、薫君。目の前にいる男と戦うんだ。そして       殺せッ!」










篠崎の声を合図に薫が刀を構え、剣心に襲い掛かる。
薫はだらりと刀を右下に下ろし、そのまま切り上げてきた。
それを逆刃刀で受け止め、剣心は必死に呼びかける。



「薫殿!目を覚ませッ」
「無駄だ、私のかけた暗示術は誰にも解けんよ」



薫の背後で篠崎が勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「もっとも、私なら解けるがね」
「ならば、そうさせるまで!」
「その前に薫君を倒さなければ、私にたどりつけない。貴殿に薫君を傷つけることは出来ないだろう?」
篠崎の言うとおりだ。
薫を傷つけるようなことは、例えそれがこの少女を救う手段であっても剣心に出来るはずが無かった。










ならば、傷つけなければいいだけのこと。










剣心は一旦体を離して間合いを取り、薫の姿を見定めた。

いつも稽古で見かける道着姿に、頭の上でひとつにまとめてある艶やかな黒髪。
違うのは竹刀ではなく抜き身の刀を持っていることと、己を見据える虚ろな瞳。

その瞳が己の姿を映しても何の反応もないことを知り、剣心の胸がちくりと痛んだ。
しかし、術さえ解けば剣心のために微笑み、花びらのような唇に彼の名前を乗せてくれることだろう。










「しばしの辛抱でござるよ」










その言葉は薫に告げたのか、それとも己に言い聞かせたのか。

自分自身よく分かっていないまま、剣心は薫を救う策を練(ね)る。
傷つけることが出来ないのなら、薫の隙をつき、気絶させる。
少々荒っぽいやり方だが、自我の無い薫を制して篠崎にたどり着くにはこれが一番妥当な方法と思われた。



剣心の心は決まった。
決まると同時に、策を実行に移す。



接近してくる剣心に対し、薫は刀を振り上げるだろう。
刀を振り上げ、懐ががら空きになったところへ彼女の鳩尾に一撃打ち込めば、これで薫は気絶するはず。










剣心はそう読んでいたのだが。










その思惑に気付いたのか、薫は隙を作らないために動きを最小限に抑え、剣心が打ち込もうとする間を与えなかった。
そして、そのまま反撃に移る。



キン、キィン・・・・・・



薫が繰り出してくる剣を逆刃刀で受け流しながら、剣心は隙を探る。
しかしこちらの思惑が読まれているのか、薫は鳩尾や後頭部など、己の急所を剣心に狙われぬよう守りを固めていた。
逆に、剣心のほうが油断すると薫の攻撃を受けかねない状況にあった。
篠崎の暗示術によって、薫の身体能力が向上している。
普段なら難なく受け流せるはずの薫の攻撃が鋭さと共に重さを増し、受け流すだけで精一杯だった。



更に剣心が苦戦を強いられているのはもうひとつ理由がある。
剣心が薫の癖を知っているように、薫もまた、剣心の癖を知り尽くしていた。
こちらから仕掛けようとするとその気配を察知して身を退き、剣心の呼吸に合わせて彼が最もかわしにくい瞬間を狙って攻撃してくるのだ。
しかも薫の自我は失われているため、容赦なく斬りこんで来る。










敵にまわすとこれほど厄介な相手とは       










両者一歩も譲らず、同じような小競り合いの応酬が続く。
飛天御剣流を使えば一瞬で片がつくが、薫の体を傷つける危険性がある。
時間がかかっても薫を傷つけずに済むのなら、と思い剣心は持久戦に持ち込むことにした。










しかし、長引かせることも出来ない状態になった。

剣さばきや体の動きは特に変化は無いのだが、薫の手にある刀が小刻みに震えている。
いや、刀ではなく、彼女の右腕が痙攣(けいれん)しているのだ。



無理も無い。



自分ならいざ知らず、薫は日本刀を持つ機会が少ない。
手にしても、剣の型を披露するのに使う、僅かな時間だけだ。
ずしりとした日本刀の重さに、少女の細腕が耐えられるはずもなかった。



おそらく、薫にしてもこんな長時間刀を振り回したのは初めてであろう。
表情に出ていなくても、彼女の体が悲鳴を上げている。
それでも、暗示が解けない限り刀を振るうだろう。
そうなれば確実に薫の腕から壊れ始め、やがて体全体が崩壊してしまう。



剣心の心に焦りが芽生えてきた。



このままでは、自分にその気が無くとも薫の体は傷ついてしまう。
あまり使いたくない手だが、と口の中でつぶやいて剣心は薫に仕掛けた。










狙うは薫の持つ刀。










悲鳴を上げ始めている右腕では、暗示にかかっていなければ刀を持ち上げるのも苦痛のはずだ。



ならば。



攻撃される前に先手を打とうとしたのか、薫の右腕が上がる。
しかし、先ほどの動きに比べるとだいぶ鈍くなっている。
これなら、こちらから少し力を加えれば刀を封じることが出来よう。

薫の右腕と共に、剣先が剣心に向けられる。
剣心は逆刃刀で薫の刀を絡めるようにして上空へ薙ぎ払った。
その衝撃につられるようにして、刀と共に薫の右腕も大きく振り上げられた。










       今だ!










剣心は薫の右脇をすり抜け、直立不動の姿勢を崩さない篠崎との距離を縮める       はずであった。



あと二・三歩で篠崎を己の間合いに捉えるというところで、剣心は右の脇腹に焼け付くような熱さを感じた。
それはやがて激痛へと変わり、剣心はたまらずその場に膝をつく。

「ぐう・・・!」

背後に殺気を感じ、はっと振り向くと、今まさに薫が刀を突き立てるところであった。
反射的に地を転がり、剣撃を避ける。
脇腹の痛みと戦いながら何とか立ち上がると、薫も移動したのか、かばうようにして篠崎を背にしている。
脇腹に手をやると、錆びた鉄のような臭いと共にぬるりとした血の感触が手に伝わってきた。



急所は外れているが、早く止血しないとまずい。



薫の右腕が上空に飛んだとき、刀を手放したものと考え、確かめもせずに次の行動に移った。
確かめずとも、常人であれば今の攻撃で刀を手放している。
しかし、刀は吸い付いているかのように薫の手におさまっていた。

これも暗示にかかっているせいなのか。

いずれにせよ、この脇腹の傷は自分が油断した結果、というわけだ。










隙を作るな。
隙を見せるな。










修行時代、師匠からいつも同じ言葉で叱咤された。
そのおかげで、今の剣心は無意識のうちにその言葉を実践するようになった。
だが、薫はこちらが仕掛けてもそれをかわしつつ、攻撃の瞬間に生じる僅かな隙を見逃さない。



それだけいつも見られているということか。



ふ、と剣心は死闘の最中にふさわしくない笑みを漏らした。
ぼたりと音を立てて落ちた血が地面に染み込んでゆく。
痛みをこらえる剣心に対して、対峙している薫の表情はそれを見てもなにも変わらない。
能面のように剣心を見つめている。
恐らく、自分を殺してもその表情が変わることはないだろう。










ずきりと痛んだのは、今しがた一閃された脇腹の傷か、それとも己の心か。










一陣の風が吹き、砂を巻き上げてお互いの姿を隠す。
剣心は油断なく周りの空気に意識を向ける。










       来るッ!!










砂塵にまぎれて、見慣れた姿が視界に入る。



ギィィィィンッ!



その上から振りかぶる刀は寸分の狂いなく、剣心の脳天を狙ってきた。
それを真っ向から逆刃刀で受け止め、力任せに押し戻す。

力比べでは自分のほうが勝ることを分かっていての反応だった。

薫は再び間合いを取り、刀を正眼に構えなおした。
薫相手に飛天の技を繰り出せない剣心はそれをただ見ていることしか出来ない。



「薫殿・・・・!」










吹き付ける風が、緋色と黒色の髪を宙に躍(おど)らせる。
掠れた声で呼びかけても、薫は何の反応も示さなかった。










「何度呼びかけても貴殿の声は彼女には届かん」

そう言って、篠崎は薫の右腕を手に取った。
「やはり女の腕は華奢(きゃしゃ)だな。これで長時間日本刀を振るうのは無理か・・・・ならば、刀ではなく西洋刀(サーベル)を持たせたほうが効率がいいかも知れん」
篠崎は自分の研究に役立てようと、薫の腕を撫でながら頭の中で考えをまとめている。
薫に触れる篠崎の手は人間の体に触れるそれではなく、自分が作った作品の出来を確かめているような手つきで、剣心は嫌悪を覚えた。



この男にとって暗示をかけた人間は、もはや自分の意のままに動く道具としか映らないのだ。



人の心を持ち合わせていないような男が薫に触れること自体腹ただしい。
嫌悪と共に、言いようのない怒りが腹の底からこみ上げてくる。










「・・・触るな」
「ん?」










薫の腕を撫で回していた篠崎が動きを止め、剣心を見やる。










「その手で薫殿に触るな!薫殿をお主の都合のいい道具になどさせぬ!」










一瞬、驚いたように剣心を見つめていたが、やがて声を立てて篠崎が笑い出した。
「驚いたな、貴殿がこんなにも諦めが悪い男とは・・・よほど薫君が大切と見える。伝説の人斬り抜刀斎が年端もいかぬ少女に殺されるか。それもまた一興」



カシャン・・・・と薫の手から刀が滑り落ちた。
薫の体に限界が近づいてきている。
それでも小刻みに震える手で刀を持とうとする薫に、たまらず剣心が声を飛ばす。



「だめだ薫殿!」
「動くな!!」



いつの間にか篠崎は先ほど剣心に払われた自分の剣を手にしており、その刃を薫の首に当てた。

僅かに皮膚が切れたのか、薄く血がにじみ出ている。
「私とて、薫君を手にかけるのは本意でない。さあ薫君、今度こそあの男を殺すんだ」
懐中時計を薫の耳に押し当てた。






前頁   次頁



冒頭のシーンをご覧になり、
「まだ?ちょっと、まだなの!?」
と焦れまくっていたソコのあなた!
お待たせいたしました、これが冒頭シーンの全体像となっております。

もとを正せばこの作品、
「剣心と薫を戦わせてみたい」
というσ(・_・ )の妄想から生まれました。
ただの稽古でも薫と手合わせしない剣心と、どうやって真剣勝負に持ち込むか・・・・
何かの事件に巻き込まれる→何者かによって操られる薫→剣心と戦う羽目になる、という流れがσ(・_・ )の頭に浮かびました。

でも、いざ書いてみると、スムーズにいかないんだ、コレが(^^;

薫が操られるにあたって「剣心がらみの事件に薫が巻き込まれる」っていうのは極力避けたかったんです。
話を書くには一番手っ取り早いんですけど、σ(^◇^;)としては剣心がらみで薫が危険にさらされて、自分を責める剣心を見たくなかったもので。

さて、篠崎によって自我を奪われた薫。
薫に対し、反撃が出来ない剣心。
果たして彼はこの窮地をいかにして脱するのか!?

待て、次週!!(笑)