篠崎の言葉に従って、薫は刀を持ち上げた。
しかし、腕の痙攣が刀に伝わり、カチカチと小さな音が途切れることなく鳴り続く。



「篠崎、薫殿にかけた術を解け!このまま無理をさせたら薫殿の腕だけでなく、体中の骨が砕けてしまうッ」
「そうなったら非常に残念な結果だが、私としては薫君の限界がどのくらいか見極めることができるな」
「何を言って・・・・!」
「そんなに薫君を助けたいのなら、おとなしく彼女に殺されたまえ。そうすれば少なくとも薫君は傷つかずに済む」
       !!」










篠崎の言葉に、剣心は逆刃刀を力無く下ろした。



















我が行く道は <7>










自分が死を選べば薫は生きていられる。
薫に殺されるなら、それでも構わない       そんな考えが頭をよぎった。

だが。










「お主は何も分かっておらぬ」
「何?」










剣心の言葉に篠崎の眉がぴくりと動く。
「もし、ここで拙者が薫殿に殺されたら、一番悲しむのは薫殿本人でござる。拙者は、薫殿の涙は見たくない」
「馬鹿なことを・・・・大体、彼女は私の暗示術にかかっているのだぞ?感情などありはしないのだ」
嘲(あざけ)るような笑みを浮かべる篠崎に対し、剣心の口調は変わらない。
「いや、薫殿は分かっているでござるよ。薫殿だけではない、お主に操られた奥村や野口も体の自由は奪われても、心までは支配されていなかったはず。人を斬る度に自我を取り戻し、己の罪を認識していたのでござろうな」
「私の術は完璧だ!」

淡々と話し続ける剣心に苛立ちを感じたのか、篠崎の声が高くなった。
それでも剣心は静かに篠崎を見据え、言葉を重ねた。

「違う、お主の術は不完全だった。現に野口という少年は、良心の呵責(かしゃく)に耐え切れず自ら命を絶っている。それこそが暗示術から抜け出したという何よりの証拠」
「だ、黙れッ」
「本当にお主の術が完璧であったなら自害などせぬよ」

自分の術の意外な盲点を剣心によって暴かれた篠崎の目は、動揺のため忙(せわ)しなく動いている。




「だから、拙者は薫殿の心を信じる!」
「私の術は完璧なんだ、今からそれを証明してみせる!!」




篠崎は手にした刀を剣心に向け、薫に命じた。










「あの男を殺せッ」










薫が刀を構えて剣心に突進してくる。
剣心は迎え撃つのかと思いきや、なんと刀を鞘に納めてしまった。
「覚悟を決めたか、緋村抜刀斎!!」
篠崎の嘲笑(あざわら)う声が聞こえたが、剣心は微動だにしない。

薫の刀が弧を描く。
剣心は後方に飛んでそれをかわした。
ふわりと音も立てずに着地した剣心に、再び薫が刀を袈裟懸けに振りかぶる!



ガッ!



切先が剣心の背後にある大木にめり込む音が剣心の耳に届いた。
先ほど剣心が後方に飛んだのは、薫の剣撃から逃れるためだけでなく、今の状況を作り出すことにあった。
刀が木にめり込んでいる以上、今の薫の力ではすぐに己の武器を取り戻すことは出来ない。
その状況を認めると、剣心の唇が一つの名前を形作った。










「薫殿」










剣心は薫から瞳を逸らさず、その名を呼ぶ。
彼女の瞳に自分の姿が映っていることを確認したが、それでもその瞳に光が宿ることは無い。
ただ無表情に剣心を見返しているだけであった。










「薫殿」

もう一度愛しい少女の名を呼び、その美しいかんばせに手を触れることなく薫の瞳を見つめ続けた。
彼女の瞳から己の想いを注ぎ込むように。

「帰ろう、薫殿。拙者と一緒に」

お互いの顔も良く見えぬ闇夜の中で、剣心の瞳だけが光を放っている。
その光に誘われたかのように、薫の唇から声が発せられた。



「け・・・ん・・・し・・・」



薫の背後で篠崎が信じられないという顔をしたが、お互いの姿のみを視界におさめているこの二人は全く気付かない。
薫の右手は柄を握り締めて離そうとしないが、支えるように添えられていた左手が力を失ったかのように、すとん、と下ろされた。
「けんしん・・・・・剣心・・・」
自分の言葉に反応した薫に、剣心はやさしく声をかけた。

「もう大丈夫でござるよ、薫殿」

ほっとして表情を緩ませた剣心に対し、薫の両の目から涙が溢れ出す。
とめどなく流れ出る涙を拭おうと、剣心は手を伸ばした。
しかし次に発せられた薫の言葉を聞いた瞬間、剣心の動きが止まった。










「・・・にげて・・・けんしん・・・」










剣心の声が届いても、薫はいまだ篠崎の術に縛られている。
それでも、僅かばかり自我を取り戻した薫が口にしたのは、剣心の身を案じる言葉。

「お願い、早く逃げて       

絞り出すような声に、返す言葉が見つからなかった。
無表情なのは相変わらずだが、薫の涙は止まらない。
この少女はこんな状態にあっても、自身のことより目の前にいる男を危険にさらすまいとしているのだ。
そんな彼女を置いてこの場から立ち去るなど誰が出来よう。










剣心は薫の細い体をかき抱いた。










「・・・・拙者にそんなことが出来るとお思いか?」
「けん、しん」
「拙者が帰った時、薫殿が『お帰り』と言ってくれるのでござろう?」

抱きしめる腕に力がこもる。










「薫殿がいなければ、拙者は誰に『ただいま』と告げればよいのでござるか?」










自分が『ただいま』と告げるのはこの世で神谷薫、ただ一人。
彼女でなければ、この言葉は剣心にとって何の意味も持たない。











「だから薫殿、一緒に帰ろう」
「剣心・・・・」

己の腕の中で、薫の体から力が抜けるのを感じた。
もう少し。
もう少しで薫にかけられた暗示は完全に解ける。
剣心は日本刀から薫の手を外そうと手を伸ばした。

       その時。










「何をしている薫ッ!私の命令が聞けないのか!!」










篠崎の怒声が夜の空気を震わせた。
その声に、薫の体が強張る。

「あうッ・・・」
「薫殿!」

光を取り戻したかのように見えた薫の瞳が徐々に色を無くしていくのを剣心は見た。
その原因となった存在をキッと睨みつける。
「言ったはずだ、私の術は完璧だと!」
薫の背後で、篠崎が懐中時計を掲げた。
それと同時に薫の体に変化が起き、今まで木にめり込んでいた刀を引き剥がしにかかった。
今の薫の体を考えるととてつもなく無茶な行為である。
このままだと、また篠崎の操り人形になり、己の体が壊れるまで剣を振るい続けるだろう。



考えろ。
今まで暗示から逃れつつあった薫を無理矢理引き戻したのは何だ?



剣心は篠崎と出会ってから今この瞬間までの出来事を思い浮かべた。




















『何か具体的に例えるものがあると飲み込みも早くなるものだよ』

『この音を聞いていると心が落ち着くのよねぇ。何か、聞いているだけで自分の体じゃないみたいに動きが良くなる気がして』





















そう言っていた時、そこにあったものは何だ?
そして、戦うことを強要するために、弱っている薫の耳に押し当てたものは       

剣心の頭に一つの答えが導き出された。
はっとして篠崎を見ると、彼の左手に懐中時計が握られている。










時計か!










篠崎は時計の単調な音を使って人に暗示をかけていたのだ。
弥彦が呼吸法を難なく会得したのも、その暗示術の力を借りたに違いない。
暗示術が悪いということではない。
使い方さえ誤らなければ、弥彦のように己の技術の向上に役立てることが出来る。
だが、今回の一連の事件で使われた暗示術は、人として許されるものではない。



今、それを断ち切るッ!



今まで背後の大木にめり込んでいた刀が、再び術にかかった薫の手によって木から離れた。
そして、離れたと同時にそのまま剣心の首を狙うが、その僅かな間に剣心は己の身を半回転させ、逆刃刀を納刀した鞘に左手をかける。

「飛天御剣流       










剣心が狙うのはただ一つ。










「飛龍閃ッ!!」










捻った体が中心位置に戻ると、それを待っていたかのように鞘から逆刃刀が勢いよく飛び出した。



飛翔した龍は薫の体をすり抜け、瞬時に篠崎の持つ懐中時計に達した。
そして、標的を捕らえた牙はその獲物を噛み砕く。



それと同時に、薫の体がびくり、と停止し、全身の力が抜けた。
あと一寸足らずで剣心の頚動脈を直撃するところだった刀の軌道が大きく外れ、それはカシャンと乾いた音を立てて地に落ちた。










この間、まさに一瞬としか言いようがない。
神速の速さを持つ剣心ならではの神業であった。










篠崎の呪縛を解かれ、意識を失い倒れこむ薫を剣心はしっかと抱きとめた。
彼女をゆっくりと地面に寝かせ、

「これでお主は薫殿を操ることは出来ない」

そう言って、剣心は篠崎と向き合う。
篠崎は憎悪のこもった目で剣心を睨みつけた。そしてゆっくりと己の刀を構える。
「無駄だ、もう諦めろ」
「私の壮大な計画を潰した貴殿にはその命をもって償いをしてもらう・・・!」
雄叫びをあげながら突進してくる篠崎に対し、飛龍を放ってしまった剣心は無手で迎え撃つ。
陸軍省一の剣の使い手と、刀を持たぬ一人の剣客。



勝てる!!



今自分が置かれているこの状況で、篠崎は己の勝利を確信した。
「もらったぁ!!」
渾身の力で刀を振り下ろすと同時に剣心が跳躍する。
だが、この動きは篠崎に読まれていた。

「無手ならば避けるしかないだろうな・・・・だが!」

振り下ろした刀を今度は垂直に振り上げ、上空にかざす。
その先にいるのは       剣心!










己の刃で伝説の人斬りの息の根を止めることを、篠崎は信じて疑わなかった。
一方、上空に飛んだ剣心は刀の代わりに鉄拵(ごしらえ)の鞘を構える。
が、それが篠崎の脳天を捉えるにはわずかに距離が足りない!










「これで終わりだ!」
柄を握る篠崎の手に力がこもる。
剣心も鞘を振りかぶった。



「おおおおおおおおッ!!」



その咆哮(ほうこう)は、剣心か、篠崎か。

だが、篠崎の耳に届いたのは己の声ではなく、ゴキッという鈍い音。
やがてそれが自分の手が砕けた音だと理解しても、彼は痛みを感じるより、ひとつの疑問だけが己の中に渦巻いた。



なんだ、何が起こったんだ!?



刀が感覚のない両手から滑り落ちることにも気付かずにいると、今度は落ち着いた声が聞こえた。










「飛天御剣流、龍槌閃」

赤毛の剣客は自分と視線を合わせることなく、静かに言葉を紡ぐ。



「両手の骨を砕いた。その両手では刀を握ることすら叶わぬよ」



そうだ、両手の骨を砕かれたのは分かる。
だがあの時、自分の太刀は確かにこの男を捉えた。
あのままいけば確実にこの男は自分の刀で血祭りにあげたはず。

「まさ、か」

今思い浮かんだ考えを口にして、自分の声がひどくしゃがれていることに気付く。










この男、空中で私の太刀をかわしたのか。
そして、狙ったのは私の脳天ではなく、最初からこの両手       それならあの距離から十分に狙えたはずだ。










まさに、天空でその身をくねらせながら獲物に襲いかかる龍のごとし動きであった。

殺せ、と己の口が動いた。

このまま自分の理想を叶えることが出来ず、軍人として生き恥をさらすくらいなら、ひと思いに殺してくれと。
だが、かの男は自分に向かってこう言った。



「お主が今まで犯した罪は決して許されぬものではない。一瞬の死など、犠牲になった人間は望まない。ならば、惨めな姿をさらしながらこの国の行く末を見ていることだ。それがどんな結果になろうとも、お主には見届ける義務がある」



剣心は持っていた鞘で、篠崎の鳩尾(みぞおち)を穿(うが)った。
篠崎はうっと呻いて、その場に倒れこむ。
その姿をちらと見やって、
「・・・・彼らはどんなに望んでも己の目でこの国の行く末を見ることが出来ない。それが、犠牲者達へのせめてもの償いでござるよ」
そう言って逆刃刀を手に取り、静かに鞘におさめた。






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よし、今回はキリのいいところで終わったぞ(笑)

飛天御剣流二連発。
この場合、剣心の体のことは考えちゃいけません。
それを視野に入れたらまた付随する話書かなきゃだし←つまりそれがめんどくさいらしい

σ(^^)の中では、
「緋村剣心=飛天御剣流」
という形式が成り立っているんですよ。
アクション書くときも、毎回じゃなくてもやっぱり剣心は飛天御剣流で戦って欲しい。
「それでこそ剣心だ!」って言われるような。

・・・すみません、本当は飛天御剣流使わせた方がアクションシーンが書きやすいからです(爆)

物語の本筋としてはこの章で終わりです。
最終話はどちらかというとオマケみたいなもんなのでちょっと短めです。
それでもいいとおっしゃってくださる方はまた次週お会いしましょう!