気配に聡(さと)い剣心に気付かれないように後をつけるのは至難の業だった。
十分すぎるほど距離をとり、遠目から剣心の姿を確認する。
このときばかりは彼の赤毛がいい目印となった。










例えばこんな贈り物   【後編】



町に出ても剣心は八百屋や米問屋に寄ることなく、ただ一つの場所を目指して迷うことなく歩を進める。
彼の姿を見失わないよう、薫も歩き出したが。

「薫ちゃん?」
いきなり声をかけられ、驚いて振り返ると妙が手を振りながらこちらに向かってくる。
「どないしたん、こんなところで・・・あ、もしかして今日お休みな」










妙の言葉が途中で途切れたのは、薫が彼女の口をふさいで無理矢理物陰に引っ張り込んだからだ。










「んーッ、んーーー!?」
じたばたと暴れる妙を押さえ込み、そっと物陰から顔を出してみると、剣心は道を曲がった所だった。
「大変、見失っちゃう!」
「薫ちゃん・・・あんた一体何してはるの?」
やっとのことで薫の手から逃れた妙が大きく息を吐き出した。
「ごめん、妙さん!理由はまた後で話すから・・・」
その場を離れようとする薫の手をむんずと掴み、
「いーえ!教えてくれるまでこの手は放さへんッ」
「だーかーら!今説明している暇なんてないんだってばッ」

そうこうしている内に剣心が角を曲がりきり、薫の視界から姿が消えた。
焦って必死で振りほどこうとしても妙の手はなかなか離れない。

「早く剣心に追いつかないと・・・!」
「剣心さん?何や、薫ちゃん知らんの?」
「え?」
何気なく紡がれた言葉を危うく聞き漏らす所だった。
「知らんのって、妙さんは知っているの?剣心が何をしているか」
問いかけた所でやっと二人はまともに向き合った。
そんな薫を見て妙はにんまりと口元を歪ませ、



「まずはゆっくり話を聞きまひょ」
近くの甘味処に入り、腰を落ち着けると妙は早速切り出した。



「で?何があったん?」
「別に何かあったってほどじゃ・・・それより妙さん、お店はいいの?」
薫の当然過ぎる指摘に妙は手を振り振り、
「コッチのほうが重要や!」
それでいいのか、というツッコミは言わずにおいた。
とにかく、事情を説明しないと解放してくれそうにない。
薫は諦めて話し出した。










反物問屋で見つけた常盤色の反物を買うために今までお金を貯めてきたこと。
人当たりの良い人形師から髪を売って欲しいと言われたこと。

そして、剣心が何か隠し事をしていること。










全てを話し終えた頃、注文したあんみつが運ばれてきた。
だが、すぐ手をつける気にはなれず、無言でただ見ているだけだった。

「自分が隠し事しておいてこんなこと言える立場じゃないけど、やっぱり剣心に隠し事されると不安で・・・」

甘い物が好きなはずなのに一口も食べようとしない薫を見て、妙もはお汁粉に伸ばしかけた手をそのまま薫の手に重ねた。
薫の瞳に自分が映っていることを確認すると、妙は重ねた手と同じように力強く言った。
「薫ちゃん。剣心さんな、最近『深志堂』のご主人と仲がええねん」
「『深志堂』って、刀剣を扱っているあの深志堂?確か今は刀剣のほかに珍しい舶来物も見かけるようになったけど」



その店なら薫も知っている。
在りし日の父親と共に何度か訪れたこともあった。



当時の店主は既に病没し、現在では彼の息子が店を切り盛りしている。
文明開化の世の中で刀剣だけでは生活できないと判断したのか、現在は女性が喜びそうな小物など取り揃えていた。
「でも・・・なんで剣心が?」
ぱちぱちと数回瞬きを繰り返す。
こちらを見つめる瞳には子供のような好奇心と疑問が溢れており、妙はくすりと笑みを漏らした。
「なんでかまではウチにもよう分からんけど、深志堂のご主人は剣心さんの刀をえらいべた褒めしていたみたいやで」
「剣心の刀って、逆刃刀よ?売ったところで二束三文にもならないって剣心も言っていたし」
「今は舶来物のほうで有名になってきはったけど、刀と聞くと興味惹かれるみたいやね。そのあたりはさすが深志堂のご主人やわ」
「じゃあ、ご主人は剣心じゃなくて、剣心の逆刃刀のほうに興味があるってこと?」
「・・・ってことになるやろな。なんせ、はたから見てても、買い取ってもおかしくないくらいの熱の入れようみたいやったし」
「妙さん、詳しいわね・・・」
「この町のことでウチに分からんことなんてあらしまへん!」
えへん、と胸を張る妙に思わず苦笑する。

「でも話を聞いていると別に気にすることもないみたいね」
晴れ晴れとした気持ちで薫はあんみつを口に運んだ。

ゆっくり噛んで甘さを堪能していると妙から意地悪な問いを受けて危うくむせる所だった。
「なんや、薫ちゃん。ひょっとして剣心さんが他の女のところに行っているとでも勘ぐってたん?」
「ち、違います!私はただ、剣心が家計のことをずっと勘違いしたままだったから・・・・」
二口目を口に入れようとして薫の動きが止まった。



「・・・・もしかして剣心、逆刃刀を・・・?」



見る見るうちにその面から血が引いていくのを見て、
「薫ちゃん!?具合でも悪いん?」
心配そうに顔を覗き込む妙に気付かず、薫はいきなり立ち上がった。
「ごめんなさい妙さん!私、ちょっと深志堂まで行ってくる!!」
言うが早いか、薫は妙の返事を待たず店を飛び出した。



















息せき切って深志堂の前まで来ると、まず彼女の視界に飛び込んだのは紫檀の刀掛け。
描かれている山水蒔絵が人の目を惹く。
そこに掛けられている刀を見たとき、薫は山水蒔絵の美しさなどもう目に入らなかった。




















それからどこをどう走ったのか覚えていない。
気が付いたら薫は大きな鏡の前に座らされていた。
髪は下ろされ、傍(かたわ)らには鋏(はさみ)が置いてある。
「実はもう諦めていたんですよ。やぁ、待った甲斐がありました」
袖が邪魔にならないように襷(たすき)掛けをした老人形師が鏡越しに映り、薫はぎこちなく微笑んだ。
彼は薫の後ろに立ち、もう一度尋ねた。

     本当にいいんですね?」

鏡越しに映る人形視の眼差しはまっすぐ薫に注がれている。
その視線を受け止められず、薫は硬く目を瞑った。
「はい、お願いします」
一呼吸おいて、人形師が薫の黒髪に触れる。
その瞬間、思わずこの場から走って逃げたい衝動に駆られたが歯を食いしばって耐えた。










髪なんてすぐ伸びるんだから!
それより、髪を売ったお金で剣心の逆刃刀を買い戻さないと       










ぎゅ、と膝の上に乗せた手を握り締め、髪を切られるその時を待った。
だが、薫の耳に届いたのは無機質な鋏の音ではなく、人が動く衣擦れの音。
「・・・・?」
恐る恐る目を開けると、そこには温かい目で見つめる人形師の姿があった。
その眼差しはどこか懐かしく、亡き父親を思い出させる。



「女性が髪を切るんだ、そりゃあ不安でしょう。でも、あなたの場合は何か思い詰めた感じがしますね」
薫の表情が強張ったのを彼は見逃さなかった。



「余程切羽詰った事情があるとお見受けしますが、今の状態で髪を切ったら後で絶対に後悔しますよ?」
一言一言噛み締めるように告げられ、薫は何も言えなかった。
薫の心情そのままに瞳が揺れているのを認め、人形師はおどけてみせる。
「・・・なんて、髪を頂きたいといったのは私の方なのに、こんなことを言い出すのはおかしいですね」

人形師が茶目っ気たっぷりに片目を瞑ると、薫も強張っていた顔の筋肉がほぐれ、ほっとしたような微笑を見せた。
それを見た人形師もまた薫に笑みを返す。

「折角来ていただいたんだ、いくつか人形をお見せしましょう・・・・おや、私としたことがまだお茶も出していない」
腰を上げた人形師に、おかまいなく、と声をかけようとしたのだが遠くから騒がしい物音が聞こえて思わず彼と顔を見合わせた。
「何かあったんですかね・・・・」










言い争うような声まで聞こえ、人形師が部屋を出ようとするのとほぼ同時に誰かが飛び込んできた。
慌てて人形師が脇にどいたので正面衝突は免れたが、その影は彼のことなど見向きもせず、目の前にいる少女に一目散に駆け寄った。

「薫殿、髪!髪は切っておらぬな!?」










薫の体を自分に向かせると、そのまま手を髪に差し入れ、わしゃわしゃと乱暴に乱している。
「やだ、剣心やめてってば!髪はまだ切ってないから・・・・ッ」

抗議の声は金切り声に近い。
だが、そんな声でも上げねば剣心はやめなかっただろう。

「切っていない?本当に?」
「見れば分かるでしょ!あーもう、髪がくしゃくしゃになっちゃったじゃない〜」
口を尖らせて手櫛で整えていると、己のものではない温もりを頭皮に感じた。










「本当に、切ってないのでござるな。よかった、間に合って     

いつの間にか剣心の手が薫の髪を整えていた。
その指で髪一本一本愛おしむように。










「剣心こそなんで」
髪を撫でられる心地良さに身を任せながら問うと、
「妙殿に聞いたのでござるよ。薫殿が逆刃刀を売ったと思い込んでいると。そして買い戻すために自分の髪を切るかも知れない、と」
そして剣心は腰に帯びていた逆刃刀を薫の前に差し出した。

「あ、逆刃刀」
確か深志堂に置かれているのではなかったのか、と薫の瞳が問いかけている。

そんな薫に苦笑しつつ、剣心は語った。
「深志堂のご主人は逆刃刀をいたく気に入っているようでな。模造刀を作って店内に飾りたいと申されて・・・・その模造刀を作るためにこの逆刃刀を参考にしたのでござるよ」
「じゃあ、深志堂にある逆刃刀って」



「正真正銘、真っ赤な偽物でござるよ」



あっけらかんとした剣心に、薫はがっくりとうなだれた。
「私、あれが偽物とは思えなくて・・・逆刃刀を見つけたときは本当に焦ったわよ」
「それは拙者の台詞でござるよ。妙殿から話を聞いたときは心臓が止まるかと思った」
二人同時に大きく息を吐き出す。










「でも・・・」
剣心がさらりと薫の黒髪を梳き。

「うん」
薫は剣心の逆刃刀を胸に抱く。










「「無事でよかった」」










守りたかったものはお互いの手の中にある。
その存在の貴さをかみしめていると、



「これにて一件落着!・・・・・でございますかな?」



はっと我に返れば、にこにこと相好を崩す人形師がそこにいた。
無言で温かく見守っていた老人に対し、彼に全く気付かず今までのことを全部見られていた恋人達は真っ赤になって俯いてしまった・・・・・















二人が老人形師の住まいを辞した頃には日が傾き始めていた。
薫の髪の長さは変わっていないが、彼女の手には懐紙で包まれた金銭があった。
結局髪を切ることが出来なくなり、恐縮した薫はひたすら謝ったのだが、
「お嬢さんのことをこれほどまでに大切に想う人がいるんじゃ仕方ありませんよ。髪を切った後だったら、このお侍様に何をされるか分かったもんじゃないですからね」
からからと笑う人形師に、剣心は決まり悪そうに身を縮めた。

     そのかわりといってはなんですが、お二人の髪の毛をひと房だけ頂けませんか?」
「それなら私は構いませんけど」

ちら、と薫が見やると剣心は至極もっともな疑問をぶつけた。
「拙者も構わぬが、ひと房だけでは足りないのでは?」
「確かに人形を作るためにはそれだけでは足りません。ですが、幸せそうなあなた方の髪の毛をひと房でも加えればそれだけで観客の皆様にも幸せのおすそ分けが出来るような気がするんですよ」










今薫の手にある金銭は、髪を頂いた礼、ということらしい。
最初に提示された金額より少なくはなっていたが、それでもそれなりの額が支払われている。
もちろん二人は遠慮したのだが、

「いやぁ、こちらもいいものを見せてもらいましたから」

と言われ、再び赤面する羽目になった。















結局ありがたく頂くことになり、二人は並んで家までの道を歩いていた。
「やれやれ、今回のような思いはさすがに勘弁してもらいたいでござるよ」
「何よー、剣心が深志堂のご主人とのやり取りを隠したりするからややこしくなったんでしょ?大体、何のために隠したりするのよ」
「そ、それは・・・・その時は手に入るかどうか分からなかったゆえ」
「手に入るかどうかって、何が?」
剣心は足を止めると懐に手を入れ、小さな包みを取り出した。
そしてそれを薫の前に差し出し、ぼそりと一言。



     絶対薫殿に似合うと思ったから」
聞きようによってはかなりぶっきらぼうな口調だが、それは彼が照れている証拠。



薫はそれ以上何も聞かずに包みを受け取り、中を開いて小さく声を上げた。
そこには琥珀色の櫛が入っていた。
本物の鼈甲(べっこう)で縁に翠玉が散りばめられている。










「いつだったか、町で見かけたどこぞの妻女が付けていた櫛に見惚れていたことがあったでござろう?」
確かに、美しい琥珀色の櫛に憧れていた。
だが値の張ることはもちろん分かっていたし、鼈甲の櫛についてはその後口に出すことはなかった。



まさか剣心がそのときのことを覚えていたなど夢にも思わず。










「すごく嬉しい!剣心、ありがとう!」
満開の花が咲き誇ったような笑みを浮かべると、剣心も満足げに微笑んだ。

「でも・・・すごく高かったんじゃない?」
現実的な問題に気付き、明るかった薫の表情に影が差す。

「まあ、値が張るのは否定しないが・・・それでも深志堂からの報酬で何とかなったし」
「え!?もしかしてこの櫛を買うために深志堂のご主人と?」
「あそこのご主人から話を聞いて、拙者の逆刃刀を参考に色々助言をしたのでござるよ。あとは置いてある刀剣の目利きを少々・・・そうしたらかなり喜ばれてな、それで櫛を買う金を得たのでござる」



照れくさそうに頭をかく剣心に、薫は感激して言葉が出てこない。
言葉の代わりに渡された櫛を大切そうに胸に仕舞い込み、少し潤んだ瞳でもう一度微笑んでみせた。



「・・・・・私もね、剣心に着物を仕立てようと思ったの」
「着物、でござるか?」
剣心の言葉に頷く。
「お父さんのものを仕立て直すんじゃなくて、剣心のものを新しく作りたかったの・・・・本当は着物にしたかったんだけど」
でも頂いたお金で綿入れ分くらいなら買えそうだわ、と朗らかに笑う薫に、剣心の瞳が僅かに翳(かげ)った。
「薫殿・・・拙者はお父上のもので十分でござるよ?」
「言うと思った。だから内緒で仕立てようと思ったのに・・・」
「ってことは家計の話は嘘だったのでござるか!?」
素っ頓狂な声を上げる剣心に薫もまた声が高くなる。
「嘘も何も、私が違うって言おうとしても剣心が勝手にそう思い込んじゃったんじゃない!」
「そ、そうでござったか・・・」










「もう、そんなことはいいの!いい?剣心のものは私がそうしたいから仕立てるの。だから遠慮なんてしないでよ・・・・・こういうときは素直に受け取ってちょうだい」
上目遣いで睨まれても、頬を染めた少女の愛らしさに剣心の口元が綻んだ。










「そうでござるな、ありがたく頂戴するでござるよ。薫殿の仕立ててくれたものならば拙者も嬉しいし」
さらりと告げた言葉は薫を慌てさせた。
「やだ、剣心てば大げさなんだからッ」
「大げさではござらん。拙者は本心から・・・・」
「もういいってば!あ、今ならまだお店は開いているわよね。早く買わないとなくなっちゃう!」
照れていることを誤魔化すためにわざとらしく話題を変え、薫は駆け出した。
「おろ、薫殿!?」
「ほら、剣心急いで!」
一足早く駆け出した薫が剣心を急(せ)かした。




















それからひと月が過ぎ、神谷家では鼈甲の櫛で髪をまとめている薫の姿があった。
そして彼女の隣には、常盤色の綿入れを羽織って寛ぐ剣心がいたという。















【終】

前編    小説置場



「賢者のおくりもの」はσ(^^)が親の仕事の関係で転校することになったときに担任の先生から頂いたものです。
六歳児でも読めるような絵本でしたが、話の内容は難しく感じたのを覚えています。
あれから二十数年、今読み返すとまた新鮮な感じですね〜

ただ、頂いた当時は話の内容までよく理解できませんでしたが、子供心に納得できない部分がありまして。

お互いの大切なものを売って、相手のためのプレゼントを贈る。
そこまではいい話だと思います。
でも、その後の話として、妻は髪だからそのうち伸びてプレゼントの櫛も有効利用できるけど、旦那の方は銀時計売っちゃったんだから、もし誰かに買われたらもう買い戻せないほど高額になっているかもしれない。
六歳児だったσ(・_・ )は思いました。

「じゃあ時計用の鎖は結局使えないじゃん!」

まあ今読み返せば色々感じるものはありますが、それでも子供的なまっすぐな疑問ってのは大人になっても残っているもんですね〜
そんなわけで「賢者のおくりもの」ケンカオバージョンではσ(^^)的にハッピーエンドで終わらせてあります。
ちなみに文中にある「本物の鼈甲(べっこう)で縁に翠玉が散りばめられている」の「翠玉」はエメラルドのことです。

実際問題そんな高価な櫛を目利き程度で買えたのかとか、当時の日本女性が髪を切って売ることなんてあるのか、とか考えちゃいけません・・・・・所詮はσ(^◇^;)の妄想ですから(爆)
そして妙さんの関西弁についてもつっこんじゃいけない| |_・) ソォー